五歳児の大人は、自分の意志で したいことをしていない。
誰かに 言われてしたとか、憎しみがらしたとか、意地でやった ということはあっても、素直な 自分の意志でしたいことをしていない。
こういう場合には、人生は 決して楽しくない。
「私は やったんだ。もう、とことんやったんだ」と 思ったときには、後悔はない。
人生を 生きにくくしている五歳児の大人は、やりたいことを やるだけやった、という経験が 一度もないのである。
また、そういう人間関係を作っていない。
五歳児の大人には、「これだけやって、これだけ愛情を尽くした相手が、この言葉を 聞き入れてくれなかった としても、私は もう後悔はしない」という関係がない。
先の 妻の例でも、したくない結婚をしている。
かといって、
それを解決するために 正面から離婚という解決には 乗り出さない。
仕事も とことんしていないし、愛することも「これだけ愛した」というほどでもない。
「私は やったんだ、もう、とことんやったんだ」というほどでなくても、よいだろう。
しかし、
五歳児の大人は、生き方そのものが「楽しむ」ということに 重点が置かれていないのである。
(つづく)