「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

…なぜ? 私が この心理学者を支持するのか?の…心理 06

2013-04-17 20:18:16 | 気づき



五歳児の大人は、自分の意志で したいことをしていない。
誰かに 言われてしたとか、憎しみがらしたとか、意地でやった ということはあっても、素直な 自分の意志でしたいことをしていない。

こういう場合には、人生は 決して楽しくない。

「私は やったんだ。もう、とことんやったんだ」と 思ったときには、後悔はない。
人生を 生きにくくしている五歳児の大人は、やりたいことを やるだけやった、という経験が 一度もないのである。

また、そういう人間関係を作っていない。

五歳児の大人には、「これだけやって、これだけ愛情を尽くした相手が、この言葉を 聞き入れてくれなかった としても、私は もう後悔はしない」という関係がない。


先の 妻の例でも、したくない結婚をしている。
かといって、
それを解決するために 正面から離婚という解決には 乗り出さない。

仕事も とことんしていないし、愛することも「これだけ愛した」というほどでもない。


「私は やったんだ、もう、とことんやったんだ」というほどでなくても、よいだろう。
しかし、
五歳児の大人は、生き方そのものが「楽しむ」ということに 重点が置かれていないのである。


(つづく)

…なぜ? 私が この心理学者を支持するのか?の…心理 05

2013-04-17 19:21:14 | 気づき



(P.29~)
【やりたいことを「とことんやった」人は満足する】

五歳児の大人は、小さい頃から、したくないことを 強制的にさせられたことで 憎しみを持っているし、またそれだけに、同じように 嫌なことをしない人を許さない。
このことは、今まで 述べてきたとおりである。

そうした特徴の他に もう一つある。
それは、
したいことを していない ということである。
ちょうど 前の特徴と 逆である。

五歳児の大人には、「人が 何と言っても、もう自分が絶対に やりたいこと」を やったという体験がない。

人生を楽しんで 幸せな人は、「自分は これをしたい、絶対に やってやる」ということを 実際にしている。
そこで
「もう悔いはない」となる。
「もう 本当にやった」という 満足感を 持っている。

この 楽しんで生きている人の 満足感が、五歳児の大人にはない。

世の中には 五歳児の大人も多いが、逆に、結構人生を 楽しく生きている人も多いのである、。

その違いは、、この 満足感の違いである。


(06に…つづく)