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【 憎しみを 乗り越えれば、人望が得られる 】
(P.38~)
どこの世界にも、言うことは正しいし、していることも 間違ってはいないけれど、人望がない人がいる。
言っていることも していることも正しいが、みんなが トップとしての器(ウツワ) と見なさない。
それは、
今 述べた憎しみを 乗り越えていないからである。
どこの 地域社会にも、どこの 会社にも、そうした人は いるだろう。
政治家でも そうである。
言っていることは まともなのだけれども、多数派には なれない。
どうして、これだけ正しいことを言っているのに もう少し力が持てないのか、と 不思議に思う時がある。
しかし
力を持てないのは、人望のなさなのである。
人望のなさとは、人柄の 問題である。
正しいことを言いながら それが通らなくて、「けしからん!」と 言っている人は、心理的に 乗り越えなければならないことを 乗り越えられないでいるのである。
それが、人柄の狭さとなって 現れてくる。
まさに「将(ショウ) たる器」というのは このことである。
将たる器とは、感情的、心理的に どんなに辛くても 憎しみを乗り越えられる人である。
「許せない」という 感情を 乗り越えられる人である。
将たる器とは、憎しみを乗り越えられる人である。
先の 子どもの例で言えば、テーブルを拭きたくないのに 拭かされたが、それでも、他の子どもが 拭かないでいることを 許せる子どものことである。
そして、
無気力に ならない子どもである。
普通の 子どもは、拭きたくないのに 拭かされていれば、拭かない子どもに 憎しみを持つ。
その憎しみを 乗り越えられた子どもが、将たる器の子どもである。
もちろん、
今、わかりやすくするために 子どもを例にあげているまでで、実際には そんな子どもはいない。
しかし 大人になれば、それらの 心理的課題を 乗り越える人も出てくる。
今までの 辛い過酷な環境に順応しながらも、歪んだ価値観を 持っていないひとである。
(つづく)