(…P.143~
…もっともはっきりした例がベートーベンの生涯なのです。)
彼は、恐ろしい幼少期を経験するのですが、彼の伝記作家たちの語るところによれば、彼の 創造的な才能は、彼が受けた こうした試練と密接な関係をもっているのです。
ベートーベンの父親は、大酒飲みであり、母は 彼がまだ若いときに亡くなり、そのために 十八歳のときから、彼が 家族の全員を養わなければならなかったのです。
彼は 結婚することを熱心に望んでいたのですが、とうとう一度も 結婚しませんでした。
しかし彼は、あのような 素晴らしい音楽を 創作することができたのです。
彼の伝記作家は書いておりますーーー「ベートーベンの生涯において、音楽形式に 顕著な発展や変革が 起こったときには、必ずそれに相当する精神的な発展が起こっており、それには 例外はまったくありません」と。
つまり、精神的な発達と 音楽形式の発展とは、必ず並行していたのです。
他のものを 変革する ということは、同時に 自己自身の変革なのです。
ときには こうした変革は、現代の 芸術家の目には、かならずしも良いものには映らないかもしません。
オランダの画家 レンブラント(Rembrandt van Rijn, 1606-69) の場合がそうでした。
彼が まだ若いときには、彼の絵は どこでも売られていました。
当時 彼は、私たちが今、大変な成功と呼ぶような状態にあったのです。
しかし 彼が年をとって、もっと深いものを もつようになると、彼の人生の 悲劇的な体験ーーー子供たちの死、妻の死ーーーのために、彼の絵は もっと陰気で 深い性質を帯びてきて、当時の オランダ人には あまり売れるものではなくなってきたのです。
そのことは、彼の自画像に はっきりと映っています。
どの絵を見ても、以前の絵よりも もっと悲劇的になっているのです。
彼の 画家としての人気は だんだんと下り坂になっていきました。
というのは、当時の 若い人びとには、もっと華々しい、もっと売れやすい作品が 流行しており、レンブラントは それに 媚び へつらおうとは しなかったからです。
彼は、迷うことなく、自分自身の才能の導く道を 歩んだのです。
こうした 後半生の 創造的な貢献のために、今では彼は、当時の最大の画家として認められております。
彼は 悲しみと貧困のうちに亡くなりました。
その当時の人びとは、彼レンブラントを 失敗者と 見なしたのです。
今私たちは 彼を、あらゆる時代を つうじて最大の画家として承認しているのですが、それはまさに、
自己自身の変革と 美術の変革が、手に手をとって すすむことが できた からなのです。
そこには もうひとつの問題があります。
それは、創造性と 価値観との関係です。
価値観は たしかに、サイコセラピィと大きな関係を もっているのですが、芸術または美とは あまり関係がないように思われるかもしれません。
創造的人間の研究によれば、創造的な人びとは、価値観に関する限り、不道徳(immoral) ではないけれども、無道徳(amoral) だといわれます。
創造的な人びとは、一般的な 同調主義者の道徳律ーーー多くの人びとが そのなかで育てられておりますがーーーには あまり関心を もっていないのです。
同時にーーーそしておそらく、この伝統的な道徳から 自由であることの故にーーー創造的な人びとは、別の種類の倫理をもっているのです。
それは 機械的に教えられた規則ではなくて、むしろ 統合性それ自体(integrity itself) なのです。
それは 紙に書いた結婚証明書なのではなくて、その結婚関係の真実さ なのです。
それは 健康のルール-方法なのではなくて、自然に対する 敬意であり、人間の身体に対する 敬意なのです。
私は ヘンリー-ミラーの この言葉が大好きです。
「芸術家は 現存の価値観を 投げ捨てて……不和と もめごとを 撒き散らそうとします。
その結果、情動の解放によって、死んだものも 生き返ることができます」と。
またこう述べております。
「私は、偉大で不完全なるものに喜んで 駆け寄ります。
その混沌状態が 私に栄養を与え、そのつまずきが 私の耳には 神の音楽のように聴こえるのです」と。
(つづく)
…もっともはっきりした例がベートーベンの生涯なのです。)
彼は、恐ろしい幼少期を経験するのですが、彼の伝記作家たちの語るところによれば、彼の 創造的な才能は、彼が受けた こうした試練と密接な関係をもっているのです。
ベートーベンの父親は、大酒飲みであり、母は 彼がまだ若いときに亡くなり、そのために 十八歳のときから、彼が 家族の全員を養わなければならなかったのです。
彼は 結婚することを熱心に望んでいたのですが、とうとう一度も 結婚しませんでした。
しかし彼は、あのような 素晴らしい音楽を 創作することができたのです。
彼の伝記作家は書いておりますーーー「ベートーベンの生涯において、音楽形式に 顕著な発展や変革が 起こったときには、必ずそれに相当する精神的な発展が起こっており、それには 例外はまったくありません」と。
つまり、精神的な発達と 音楽形式の発展とは、必ず並行していたのです。
他のものを 変革する ということは、同時に 自己自身の変革なのです。
ときには こうした変革は、現代の 芸術家の目には、かならずしも良いものには映らないかもしません。
オランダの画家 レンブラント(Rembrandt van Rijn, 1606-69) の場合がそうでした。
彼が まだ若いときには、彼の絵は どこでも売られていました。
当時 彼は、私たちが今、大変な成功と呼ぶような状態にあったのです。
しかし 彼が年をとって、もっと深いものを もつようになると、彼の人生の 悲劇的な体験ーーー子供たちの死、妻の死ーーーのために、彼の絵は もっと陰気で 深い性質を帯びてきて、当時の オランダ人には あまり売れるものではなくなってきたのです。
そのことは、彼の自画像に はっきりと映っています。
どの絵を見ても、以前の絵よりも もっと悲劇的になっているのです。
彼の 画家としての人気は だんだんと下り坂になっていきました。
というのは、当時の 若い人びとには、もっと華々しい、もっと売れやすい作品が 流行しており、レンブラントは それに 媚び へつらおうとは しなかったからです。
彼は、迷うことなく、自分自身の才能の導く道を 歩んだのです。
こうした 後半生の 創造的な貢献のために、今では彼は、当時の最大の画家として認められております。
彼は 悲しみと貧困のうちに亡くなりました。
その当時の人びとは、彼レンブラントを 失敗者と 見なしたのです。
今私たちは 彼を、あらゆる時代を つうじて最大の画家として承認しているのですが、それはまさに、
自己自身の変革と 美術の変革が、手に手をとって すすむことが できた からなのです。
そこには もうひとつの問題があります。
それは、創造性と 価値観との関係です。
価値観は たしかに、サイコセラピィと大きな関係を もっているのですが、芸術または美とは あまり関係がないように思われるかもしれません。
創造的人間の研究によれば、創造的な人びとは、価値観に関する限り、不道徳(immoral) ではないけれども、無道徳(amoral) だといわれます。
創造的な人びとは、一般的な 同調主義者の道徳律ーーー多くの人びとが そのなかで育てられておりますがーーーには あまり関心を もっていないのです。
同時にーーーそしておそらく、この伝統的な道徳から 自由であることの故にーーー創造的な人びとは、別の種類の倫理をもっているのです。
それは 機械的に教えられた規則ではなくて、むしろ 統合性それ自体(integrity itself) なのです。
それは 紙に書いた結婚証明書なのではなくて、その結婚関係の真実さ なのです。
それは 健康のルール-方法なのではなくて、自然に対する 敬意であり、人間の身体に対する 敬意なのです。
私は ヘンリー-ミラーの この言葉が大好きです。
「芸術家は 現存の価値観を 投げ捨てて……不和と もめごとを 撒き散らそうとします。
その結果、情動の解放によって、死んだものも 生き返ることができます」と。
またこう述べております。
「私は、偉大で不完全なるものに喜んで 駆け寄ります。
その混沌状態が 私に栄養を与え、そのつまずきが 私の耳には 神の音楽のように聴こえるのです」と。
(つづく)