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勿来の関 歌碑と山桜

2012-04-24 07:00:00 | 雑記

常磐自動車道の勿来ICから「勿来の関」は

およそ 3km の小高い山の上にありました。

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“ 吹く風を 勿来の関と思えども 道も背に散る 山桜かな ”

源義家(1042 ~ 1106)が陸奥へ行ったのは

生涯で三度(1056年、1070年、1083年)と云われています。

関所の跡、すり減った石畳は歴史の重みを感じます。

と 同時にこんな所で関守が出来たのか不安に思えました。

砦も城跡も見あたりません。

石畳の両側には素晴らしい大きな石の歌碑が建っています。

源義家の歌碑は一番古く1851年に建てられたそうです。

「勿来の関文学歴史館」は休館日で資料が貰えません。

詩歌の小径 いしぶみ散策マップを照合しましたが

歌碑の順序は一致しないかも知れません。

山桜がとても綺麗で良いときに来ました。

遠くには勿来海岸と燈台が見えます。

そこには国道6号線が通っています。

何回通過したかは数えきれませんが「勿来の関」は初めてでした。

勿来の関はすばらしい所でした。

写真が多いのでスライドショウを作りました。

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斎藤茂吉、長塚節の歌碑や松尾芭蕉、角川源義の句碑もありました。

勿来の関歴史館に女性が来たとは思えないのに

勿来の関が詠まれている訳を聞くと「歌枕として

勿来の関」が使われていたと教えてくれました。

「勿来の関」は文学的に知名度が高かったのですね。

関所と云えば「安宅の関」で義経と弁慶が関守・富樫との

気迫の迫る歌舞伎の勧進帳を思い出しました。

関所とは惜別の悲哀も多かったのでしょうね。

その後に「五浦の六角堂」へ行きました。