保和苑から回天神社と水戸殉難志士の墓へ
向かう途中に延命地蔵尊があります。
別名「ぴんころ地蔵」と呼ばれています。
震災の時は無残な姿でしたが若返って元気な姿になっています。
水戸の観光課に「ぴんころ地蔵」名前の謂れを聞きました。
「生きている時はピンピンして、死ぬときはころり大往生」と答えました。
タイボクサンの花が咲いていますが高くてよく見えません。
安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変以後国のために
殉した1,785名の志士の霊を慰めるとともに、後世に伝えるため
昭和8年忠魂塔(ちゅうこんとう)が建てられました。
さらに昭和44年には明治維新百年を記念し、回天神社が造営されました。
維新回天の事業の貴い礎となった志士の御霊を祀った聖域といえます。
神社の前後に、一定の形の墓石371基が行進しているように整然と並んでいます。
これは幕府軍との戦いで殉難した烈士の墓で大正3年に建てられたものです。
ここも震災で大きな被害を受けましたが修復されました。
常盤共同墓地には格さんや桜田門外の変で活躍した関鉄之助、
藤田東湖のお墓がありますがまだ修復中でした。