ヒット曲の連鎖
1970年代、ひとつのヒット曲で一気に人気に火がつき、次々とシングル・ヒットを連発させたのがシカゴとミッシェル・ポルナレフでした。 シカゴは1970年の終盤に2ndアルバムからシングル・カットされた「長い夜」がヒット。 デビューこそ前年の1969年でしたが、デビュー・アルバムと2ndアルバムが共に2枚組だったので、「長い夜」の大ヒットの後、デビュー・アルバムから3枚のシングルをリリース、更に1971年の年明け早々にまたまた2枚組の3rdアルバムがリリースされた為に、怒涛のシングル・リリースが続きました。
一方、ポルナレフの方は1971年の秋に「シェリーに口づけ」の大ヒットから遡ること5年前の1966年にデビュー、日本でも当時からシングル盤を出していましたが、中々、ヒットするに至りませんでした。
全部、ビートルズの責任?
売出し方に問題があったのかも知れませんが、当時の日本はベンチャーズやビートルズの影響で空前の“エレキ・ブーム”、ビート・バンド系の方が人気があって、それまで歌謡曲に混じって、普通に人気が浸透していた米英仏のポップスのカバー曲が以前のように目立たなくなっており、バンド系のカバー曲がやたらと目立つようになりました。 ポルナレフのデビューはちょうどその時期と重なった事が不発に終わった一番の要因のような気がします。 ビートルズ来日から始まったエレキ・ブーム、1967年からのグループ・サウンズのブームが1969年頃に終焉を迎えると、待ってましたとばかりに、シルヴィ・バルタンやダニエル・ビダルなどのフランス女性歌手がヒットチャートを賑わすようになったのも、偶然とは思えません。
徐々に居場所を確保して来たフレンチ・ポップスがいよいよポルナレフの登場で絶頂期を迎えます。 ポルナレフの楽曲の版権を日本コロンビアから買い取ったCBSソニー、「可愛いシェリーのために」というタイトルをお洒落にした「シェリーに口づけ」が大ヒットすると、以前、他のレコード会社からリリースした曲のタイトルを変えて、次々とリリースさせてヒット曲にして行きました。 その勢いの中、新曲としてリリースされたのが今日ご紹介する「愛の休日 Holidays」です。
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《ミッシェル・ポルナレフの日本でのシングル》
テイチク
1966年6月 ノンノン人形 / 可愛いヴェロニック
1966年10月 ラヴ・ミー・プリーズ・ラヴ・ミー / 恋はいつまで
日本コロンビア
1968年3月 ラヴ・ミー・プリーズ・ラヴ・ミー / ふたりの愛は
1969年3月 悲しみの舞踏会 / バラ色の心
1969年6月 うつりゆく日々 / ピプレット
CBSソニー
1969年9月 追わないで / 可愛いシェリーのために
日本コロンビア
1970年2月 すてきなパリジェンヌ / あき家の中で
CBSソニー
1970年5月 しあわせの足音 / からっぽの家
EPIC*CBSソニーがレーベルを新設
1971年9月 シェリーに口づけ(旧題:可愛いシェリーのために) / 初めての愛
1971年11月 愛の願い(旧題:ラヴ・ミー・プリーズ・ラヴ・ミー) / 君の幸福と僕の悔恨
1972年1月 哀しみの終わる時 / カトリーヌの追憶
1972年4月 愛のコレクション(前年リリースのアルバムに収録) / 神父様の結婚式
1972年8月 渚の想い出(旧題:追わないで) / コンピューターの夢
1972年10月 愛の休日 / 愛の物語
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「シェリーに口づけ」からの大ブームも、新曲はカトリーヌ・ドヌーブ主演の映画主題歌「哀しみの終わる時」と「愛の休日」だけで、ポルナレフからしたら、普段通りにしていたら、知らぬ間にどんどんお金が入って来たって感じなのかな?
因みにイントロの美しい響きはマンドリン〜マンドリン曲を1週間分揃えました♫
一番、苦労したのが、初っ端の土曜日投稿(ワールド・ミュージック&映画音楽)の日の選曲で、当初、「ゴッドファーザⅡー愛のテーマ」しか思いつかず、どうゆうわけかこの曲が思い出せなかった(^-^;
でも、ここでは、、、
ゴッドファーザーは使いたくない!
別のところで使いたい!
それなりに苦労しました・・・(笑)
本当に色々思い出します。初めて知る事も沢山で楽しみです。 なおとも
ミッシェル・ポルナレフは、この後、アメリカ進出を試みるんですが結局うまくいかなかったみたいですね。
アメリカ市場に寄せるとポルナレフの良さが薄れてしまう。
いつも思うのは音楽において、ヨーロッパの音楽は日本人の感性にマッチするのではないかと思っています。