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民芸の森

2022年02月12日 | テーマパーク・伝統産業・祭り
「民芸の森」は、民芸の普及や古陶磁の収集・研究に取り組んだ本多静雄氏の屋敷跡地にあります。クヌギ林や竹林の中に田舎家や茶室、陶磁のこま犬、日本で最古級のコンクリート製電信柱などが点在しています。民芸の森は、先日紹介した豊田市民芸館から1kmほど離れた豊田市平戸橋町にありにあります。


「民芸の森」の入り口です。


入ったところに置かれた大きな甕です。


田舎家の方向に向かいます。


田舎家「青隹居」 (せいすいきょ)
昭和29年 (1954) に矢作川東側の市内寺下町にあった江戸時代中期頃の母屋を移築し、本多静雄氏がこの地方に見られる田の字型の4つの部屋を2つに変更し、さらに東北地方に見られる曲り家に改築しました。田舎家は本多氏の民芸を表した特徴ある建物です。青隹 (せいすい) は本多氏の雅号で、静雄のへんとつくりを取って名付けられています。青隹居 は、本多氏の住まいという意味になります。(案内より)


頭を低くしないと入れない、くぐり戸を開けて中に入ります。


青隹居の内部です。




夜具地 鶴亀松竹梅


室内には長野県松本の染色工芸家・三代澤本寿作の型紙で作られた青・紅・黄の色紙が使用されています。










日本最古級のコンクリート製電信柱
昭和3年 (1928) 、昭和天皇が即位報告のため伊勢神宮へ参拝に行かれた時に建てられたものです。内宮前のおはらい町に、当時としては珍しい現場打ちのコンクリート柱23本を建て、ケーブル配線としました。本多氏は逓信省の工事担当者をしていました。平成5年 (1993) の式年遷宮に際し地下配線としたことで不要になったため、本多氏がもらい受け、移設したものです。(案内より)




茶室「松近亭」 (しょうきんてい)
市内寺部町に陣屋を構えた尾張藩家老渡辺家に仕えた大沢家の煎茶室を昭和24年 (1949) に移築した建物です。本多氏は電気の風炉や照明、扇風機、電話をつけたので「電気茶室」と読んでいました。「松近亭」の名は、父「松三郎」と母「ちか」の名前から一字ずつとっています。本多氏はお茶を習うために、毎月鎌倉からお茶の先生を招いていました。茶室を作る際には、桂離宮や修学院離宮など有名な茶室を見て回り研究しました。茶室は、三畳台目と二畳角炉の二室です。二畳の方は、京都山崎の千利休が作った待庵を真似ています。(案内より)












陶磁の狛犬

戌年生まれの本多氏は陶磁の狛犬の研究者、収集家として知られていました。収集した狛犬のうち200点は昭和59年 (1984) 愛知県の有形民俗文化財に指定されました。これらは愛知県陶磁資料館に寄贈され、西館で常設展示されています。この狛犬は豊田市出身の陶芸家須賀保中氏が本多氏より依頼を受け製作したものです。狛犬は室町時代のものを模したものです。(案内より)








土蔵


能舞台





旧海老名三平宅
挙母藩・尾張藩校の剣術指南を務めた、4代目蛯名三平(邦飛) が明治の廃藩後に住んだという由緒ある建物です。剣豪として知られた三平は、司馬遼太郎の小説「北斗の人」に鹿子木一閑という名前で登場し、北辰一刀流の千葉周作と猿投神社で闘う姿が描かれています。もともと本多氏の生家のある市内花本町にあったものを平成8年 (1996) に移築しました。(案内より)










収蔵庫


民芸の森の散策路














リヤカーを久しぶりに目にしました。今のリヤカーはアルミ製なんですね。



民芸の森は、豊田市民芸館の設立をはじめとした民藝の普及や猿投古窯の研究に尽力された本多静雄氏の屋敷跡です。
本多氏は電気通信事業と科学技術の向上に献身するとともに、古陶磁研究家として、陶磁器の研究に取り組みました。特に猿投山西南麗古窯跡群(猿投窯)の発見者としても知られ、貴重な資料や出土品の収集、研究により郷土文化の発展に貢献しました。その功績により昭和52年(1977)に豊田市名誉市民となりました。(民芸の森ホームページから)

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
イケリンさんへ (遅生)
2022-02-12 07:05:03
いやもう、すごいとしか言えないですね。
建物ももちろんですが、個人で、これだけの敷地全体をどうやって管理していたのか想像がつきません。先立つものの桁が違いますね。
私のところにも、待菴を模した茶室があったのですが、100年近くも使われず物置小屋同然でした。故玩館大改修の時、撤去しました。修復する余力がありません(^^;
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民芸の森 (イケリン)
2022-02-12 07:27:42
遅生さん おはようございます。
蒐集された狛犬などの陶磁器の数といい、この広い敷地に建物、
半端な財力では維持できないですね。
それも蒐集したものを寄贈されたというのですから、ケタが違い
ますね。
遅生さんも、100年近くも経った茶室を撤去されるときは
断腸の想いだったことでしょう。修復するとなると半端な金額では
済まないのでしょうから、思い切らざるを得なかったのでしょうね。
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ゆっくり回れば (fukurou)
2022-02-12 08:23:20
イケリン様
おはようございます。
民芸の森、ゆっくり回りたくなる場所ですね。
一日かけて回ってみたくなります。
この場所が本多静雄氏の屋敷跡というのはおどろきです。
ただ本多静雄氏と言うお名前、存じ上げませんでした。
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民芸の森 (イケリン)
2022-02-12 08:42:55
fukurouさん おはようございます。
広大な屋敷跡には驚かされました。
訪れた時には人の姿も少なく、屋敷内に点在する建物などを
ゆっくりと見て回ることができました。
本多静雄氏は当地の資料館などでは、頻繁に目にするお名前ですが、
他地方の方は、ご存じない方が多いのではないかと思いますよ。
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 (グランマ)
2022-02-12 10:50:53
イケリンさん

入ってすぐの甕に目を奪われますね
最初読み方がわからずに調べました

歴史が詰まった屋敷跡
本多静雄氏 結構長生きしたようですが
今をどう思いながら見ていたのでしょう

いつもながら何も知らないグランマ
ぼ~と生きてきたことがお恥ずかしいです
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広いお屋敷 (さざんか)
2022-02-12 11:05:02
イケリンさん、こんにちは。
本田氏と言うお名前も、ほかの方お名前も、全く知りませんが、広大なお屋敷の跡地ですね。
松本出身の染色工芸家の名前も出て来ましたね。
色使いがモダンで驚きました。
竹林も美しいですね。
イケリンさんは色んな場所や施設をよくご存じで、紹介して下さって有難いです。
今は人出も少ないでしょうから、こういう場所は空いていてゆっくり見学出来たことでしょう。
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 (イケリン)
2022-02-12 11:17:02
グランマさん おはようございます。
甕 (かめ) という漢字。
本人が書けないのに、こんな字を使ったらいけませんね。(笑)
ご迷惑をおかけいたしました。^^;

素晴らしい屋敷跡ですね。蒐集された陶磁や狛犬も半端では
なかったようです。すごい人ですね。
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民芸の森 (イケリン)
2022-02-12 11:22:23
さざんかさん おはようございます。
民芸の森があるのは、以前から知ってはいたのですが、
訪れたのは初めててでした。広い駐車場が整備されていて
屋敷の中も素晴らしかったですよ。
使われているものも、松本出身の染色工芸家の色紙が使われるなど、
一級品ばかりが用いられているようでしたよ。
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Unknown (ran1005)
2022-02-12 12:16:19
先日豊田市民芸館を詳しく解説して案内して頂きましたが
1km位先には民芸の森があるのですか?
とても広くて、それも見所イッパイ!
見学するのが大変だったのではないですか?
さすが名誉市民・財力も半端では無かったのでしょう。
収集している品々は1級品ですネ
豊田市民に歴史に残る貢献をされた本多静雄氏は市民の誇りですネ!
その昔、京都・山崎の千利休が造った待庵を見学した事があります。
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民芸の森 (イケリン)
2022-02-12 13:01:31
ran1005さん こんにちは。
そうなんですよ。民芸の森は民芸館のすぐ近くに位置するのですよ。
両方ともに本多静雄氏が深く関わっておられます。
陶磁の蒐集だけではなくて、これだけのものを残されているのですから、
すごいお方ですね。
ran1005さんは、待庵を見学されたことがあるのですね。
「待庵」は、愛知県犬山市の如庵・京都市大徳寺の密庵とともに国宝三茶室に数えられているようですね。良いところを訪れられていますねぇ。
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