今日の一貫

全農秋田No3 コメ価格形成センター 農協の経済事業

※刑事告発?
農水省は、26日から農政事務所を通じて全農組織の一斉点検を全国一斉点検を行っている。やがて全農秋田問題は、氷山の一角であるのがやがてわかるだろう。
この事件、刑事告発をも射程に入れているという。石原次官は、「刑事告発など厳正に対処」するといっていた。実際事態はそのように動いている。全農自体の個人告発もあった。背任・着服があったということか?

※コメの未来にむけて前向きに考えよう
ただ、この事件、過去の問題としてではなく、未来に向けた議論にしていく必要がある。これは、戦艦大和型「組織・構造の終わり」の一つでしかなく、次の社会を展望しなければ全く意味のないぎろんでしかなくなる。
前にも指摘したが、コメ取引で課題となるのは、買い手と売り手の同一性、全国米穀取引・価格形成センターの監視機能の問題、コメ政策上の指標価格の性格、の3点。このうち2番目はすでに書いたので省略すると、問題は全て全農のあり方、農協の経済事業に収斂していく。

※コメ政策上の指標価格の性格
3番目の課題、指標価格の形成については、米政策上、特に、価格安定政策・経営安定政策上、重要な基準として位置づけられている(米政策大綱)。わが国のコメ政策上、確かに現物取引の基準となる価格は必要である。重要どころか根幹とすらいっていいが、これが米政策の根幹として、指標性たりうるかが問題となっているのである。
センターの価格は高く推移しているのが実情。実際の取引では、農家の直面する価格は下がっている。これがいい加減では米政策の今後や品目横断の今後が思いやられる。公正・中立に?が付いたのが今回の事件。

※事件の背景 情報遮断から情報公開へ
①米政策に必要なのは絶対額ではなく価格差
ただ、これは我々学者がやる表の議論。不正の根元をたどっていくと、「適正な価格でなくても良い」とする雰囲気も伝わってくるから驚きだ。
実際、米政策にとって重要なのは実は価格ではなく価格差である。
経営安定政策の一種として講じられた、稲得も稲経も計算の仕方は(担経は収入差となっているが実は補填単価算出が前提)差額が重要。
となれば、指標価格はある程度のトレンドを示していればそれでいいことになる。価格センターの指標価格は、ある程度高値推移しでもトレンドさえわかれば差はほぼ適格に把握可能。そのトレンドは、毎月入札が行われているので、数業者が不正を働いたからといって、統計上著しく違った数値が出てくるわけではない。こうした認識がどこか集荷業者サイドになかったか?「公正」でなくても。「車の駐車違反やスピード違反」と同じ。悪いのは悪いが、たまたまつかまったのが運が悪い。
こうした事への徹底した監視・罰則が必要なのだ。米業界は倫理観が低すぎる。

②「農家は知らないほうがいい」が変わってきた
また、「売れないとか安いというのが、農家にわかってしまうのも困ったもの」、という考えが集荷業者にある。
農協は、様々な政策を農家に様々に伝え啓蒙活動をしているが、その割りに自分の農協の米の精算書は、マスで農家に提出するだけで、1俵あたりに換算して示すことをしていない。
現に、農家は自分のコメがいくらで精算されたのかしらない(知らされない構造についてはまた別途どこ書こう)し、自分のコメ1俵の値段を知らない。それで良いと考えていたかどうかは知らないが、農家には全体像を知らせない、というのがこれまでの仕組みだった。

これが変わってきた。農村のコメ事業の「民主化」が進んでいる。(「民主化」などと後進国の近代化政策のような表現を使ったが、米政策改革は、自由主義的政策ではなく、まさに農家が自分のコメのことを他の人たちと同様に、自分のものとして考える条件を得ようとする民主化改革なのだ)。

農家は自分のコメの値段は、センターの指標を見れば少しはわかるようになった。
ところが価格はわかっても、いくらで精算されるのかは相変わらず闇の中。これが現状。かつて稲経の収入を当てにし廉売をする集荷業者もいた。農家にはできるだけ知らせない方がいいのか。

だが、「民主化」の風はあともどりできない。農家からは、「うちの県のコメは売れないそうじゃないか」「なんでうちの県は安いんだ」といわれるようになってきたという。「国の政策が悪い」といっていれば良かったのが、逆に「うちの農協が悪い」と突き上げられるようになってきた。

自分たちの勤務評定をされているようで「いやだ」という若手の農協職員もいた。これに応えたいという職員もいた。これはCS(顧客満足)であり「いやだ」、とはいってられないはずだ。
また、農家の何人かからは「コメが売れないので」という表現を聞くようになった。かつては「コメが余っているので」などと表現していたものだ。「余っている」という第三者的な発言、あるいは国家的需給レベルの発想から、「売る」という当事者的、マーケテイング的発想に少しづつ変わってきている。むらの中には確実に米政策改革の精神が浸透してきているのだ。

こういう状況になると、何とか農家の批判をかわしたいという気持ちはどこの経済連にもでてくるだろう。当然といえば当然だ。そんなことが全農秋田事件の背景にはある。前向きの努力ではなく、制度を悪用した後ろ向きの努力。
しかしここがわが国の米政策の正念場である。後10年もすれば農業をやる人はいなくなる、が農村に住んでる人々の共通認識。いつまでもあると思うなコメ代金、である。今改革しなければやるときがなくなるのだ。

※農協の経済事業改革の方向
ここまでくれば、当然に問題解決の最も本源的な課題は、「農協の経済事業のあり方」になる。
制度改革はもちろん、当事者抜きでの制度改革の議論が必要だ。さしあたって考えられるのが、仮渡し制度の見直しや、関連法人間の取引の禁止、

だが、それだけですむはずはない。大企業病にかかってるとすれば、民営化して独禁法の対象にするといったような抜本的な改革も効果ありか? しかし、農協という組織は、農民が営々として作りあげてきた歴史的な財産である。それをこの世代の農協人が破壊して良いという話はない。時代にあった組織にしていくのが使命だ。
必要なのは、21世紀のむらの価値観を体現するビジネスの構築である。むらの起業であり、農の事業構想である。もっと現場で知恵を出し、それを一つ一つ実現していく作業が必要なのだ。そのための新たな仕組みづが必要なのだ。
私は、まっさらな状態から作る必要があると考えている。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「農政 農業問題」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2023年
2022年
人気記事