今日の一貫

コメ政策  構造改革と需給調整政策は二律背反か、そうではないのか?

明日の農水省審議会欠席する。
その前に私の意見を。

19年度から、農政は、「農業者と農業団体が需給調整の主役」となる仕組みを作る。ただ、それは今の段階での計画であって、果たして19年から踏み切れるか否かを、今後検証することになっている。

1)移行しても今までと何ら変わらない

二つ問題がある。まず検証は全中と協議することになる。そうなると、まず第一の問題は、19年以降が困難となる可能性がある。
議論の中心は、「生産目標数量」を農業団体が配分できるかどうかだろう。
結論から言えば、できるはずがない。
何となれば、農協の集荷率は既に5割を割っているから。
「生産数量の半分のシェアーしか占めない一農業団体が、国全体の需給に責任を持つ事はとても不可能」、などといった「謙遜不可能論」が全中からは浮上するかもしれない。
それでも普通の世界と比べれば、農協は、5割近いの集荷率を誇るコメ独占企業。卸等は、この全中・全農の有り様によってひとたまりもないぐらいの弱小集団である。


第二の問題は、たとえ、全中が、19年からOKだしをしたとしても、その仕組みは、今まで通りを踏襲史、これまでと何ら変わらない可能性が高い、という点である。
どこか違うかと言えば、生産目標数量を、農水省ではなく、農業者や農協がするという点。需給調整は、その5割のシェアーを持つ(5割しか持たない、なのか、5割もなのかは、議論のあるところ)全中が、全国需給動向を情報として提供を受け、各県に配分するというのが最も安易なパターン。おそらくそうなる可能性が高いのではないか。

そうなるとこれまでと何にも変わらない可能性がある。むしろ、民のことを民でするために、5割の大独占会社に、小零細農業経営者は、圧迫を受ける可能性もある。それは今より悪くなる。

2)米政策の二律背反

農水省には、悩ましい課題がある。一つは、「需給が均衡しないと価格が下がってしまい混乱する、何はともあれ、需給を均衡させることが大事」とする発想が根強いこと。私はこれを、農水省の「需給調整至上主義」とよんできた。

もう一つは、遅々として進まない土地利用型農業の構造改革だが、その「改革の担い手を育成
しなければならないと言う使命感。

この二つは果たして両立するのか、という悩ましい課題。
農水省は二律背反ではないと思いたがっているが、私は、今の需給調整方法では、に散る背反にならざるを得ないと思っている。だからどちらを優先させるかである。
前者を優先すると、中央集権的な配分が優先し、経営者の自主性が阻害される。
また、後者を優先すると、バラバラな生産目標となり、国全体としての需給調整に困難を来たし、どちらかといえば過剰気味に米生産は推移する。


繰り返すが農水省は、二律背反ではない、と考えているようだが、しかし、コメ改革の際には、両者は二律背反と認識されていたのではなかったろうか。当時の食糧企画課長の針原氏は「需給調整万能主義を廃す」と語っていたのを思い出す。我が意を得たりと感じていたから良く覚えているが、「調整」をやめて「市場原理に移行」するからこそ、コメ改革は、「売れる米作り」であり、「農業者の自主的生産計画」ではなかったのだろうか。農水省は、02年の米政策改革大綱で「需給調整至上主義」を放棄したはずである。

落ち着き先のイメージとしては、「農家による自主的生産目標の積み上げ」、そのことによる「零細農業経営者(4ha以上、集落営農では20haの零細経営者)の成長促進による構造改革の推進」がまず優先されるべき。

また、そうなると、中央官庁の官僚が心配するのが、国レベルでの需給が均衡しないという心配。

しかしだから中央官庁や中央業界団体が配分するというのは思想が間違い。
「積み上げは混乱」、と考えるのは、中央官僚の悪しき思いこみだ。積み上げ段階でチェックの仕方は多様に存在する。
現場で発想し、現場で困らなければ、現場で発想もできない。課題ごと現場に投げかけるのが正解と思うのだが。要は、現場から国レベルへという、発想の転換をすることが非常に大事。

そのためにまずなすべき事は、生産目標数量について、方針作成者間で対等かつ徹底した話し合いをすることだろう。それらが積み上がって供給オーバーするようになれば、価格が下がるだけ。そのために品目横断があるのではないか。そうすれば、前年の売れ具合をそこに反映させる点を強調すべき。
つまり今のままでは「競争」がおきないのだ。「競争原理」が順調に働けば、上記の中央官僚の懸念は杞憂に終わることになる。
しかし、競争が不健全に働くと、相変わらず、需給が混乱し、統制が必要となる。だから中央官僚のすべきことは、この競争する土俵の整備とその管理でいい。参入も自由にしなければならない。耕作者=農家とする農地法の改正も必要だ。

米政策改革大綱が出た際に、マクロ需給政策(国全体需給優先論)からミクロ需給政策(個別経済主体の自主的生産論)へのシフトのロジックが、この政策にはない、と指摘したが、その懸念が現実になり始めている。

相変わらず前者「国レベル需給調整」に拘泥していると、構造改革は進まない。
稲得と担経で600億もあれば充分に積み上げ方式の需給調整にシフト可能だ。




(以下メモ)
かねてより農協は、構造改革の担い手として、専業大規模農家ではなく、集落営農を提案している。しかし集落営農は所詮、弱者連合としての地権者集団にすぎない。
経営的な観念は皆無だそれを経営型の集落営農として、担い手に認めようと言うのが今回の品目横断。これらが経営者として農業の構想改革の担い手になるのだったら、おそらく彼ら自身で生産目標方針を作るのではないか。
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