NPOまちづくり政策フォーラムが、これまでの活動記録をぎょうせいから出すことにしている。
その中のひとつ、「農業・農村を考える経営者の会」について書くのが私の役目。
それで、10年前を思い出しながら書いてみた。
書いてみて、我が国の経営者育成政策の問題が浮き彫りになっているのが、わかった。
その一部を2回に分けて、紹介しておこう。
まず第1回目は、趣旨と設立経緯
1,なぜ経営者の会が生まれたのか
「農業農村を考える経営者の会」は、これからの農業や農村の有り様を経営という視点から考えようとする会です。中小企業の社長さんをはじめ、農家、学者、行政関係者等からなっています。
この会の設立にいたった背景には、「瓜の会」というものがあります。
「瓜の会」は、あの暑い夏の日に食べた「まくわ瓜」をもう一度食べたいというので、はじまった会です。第1回目は88年のことでしたが、農村にある食材を見直すよい契機となり、宮城県に地域食材ブームを作りました。今で言えば、地産地消やスローフード運動といったところでしょうか。実際当時の農村には、あまり都市には紹介されていないいい食材が結構ありました。真桑瓜はその象徴で、こうした食材を、ホテルのレストランと結びつけていったのです。
仙台ホテルの総料理長だった原田茂さんは、よい食材の発見に真剣な方で、これを契機に自らも農村へ出向いて、直接食材を調達するなどするようになりました。このホテルは、その後、むらやまちのよい食材を集め、様々な料理を提供するパーティを恒例にするようになったほどでした。
農家は、今でもそうですが農業生産者といわれています。農産物を生産する人、という意味です。それは、生産してしまえば、農産物は誰かの手に渡ってしまい、その後のことに関しては関知しない(できない)ということを意味しています。農家は、実はエンドユーザーの声からは遮断されていたのです。お客さんがどの様な要望を持っているかわからない中での農産物生産は、羅針盤なしで航海するような無謀なものでしかありません。変わりに、中間流通業者と呼ばれる、農協や、仲卸といった人たちが、情報を伝えてくれればいいのですが、やはり彼らは流通業者でしかなく、事細かい顧客情報が農家に直接いくことはありませんでした。つまり、我が国の農産物の流通システムは、農家がエンドユーザーと対峙しない構造を作り上げていたのです。それはもっと言えば、我が国の農産物の市場は、農業経営者が育たない構造になっていたと言っても過言ではないのです。
しかし、「瓜の会」で、実際にお客さんが、自分の農産物で如何に満足し、如何に喜んでくれるかを現実に目の当たりにすると、自分たちは何をしなければならないか、イマジネーションをふくらませることになったのです。
そこで、自分たちの作ったものが、なんとかいい料理にならないか、積極的にホテルに相談するようになったのです。自分たちの農産物が、以外にも都市の一流ホテルで重宝がられるのを知り、驚きと新たな可能性を感じたからでしたし、情報に基づき、自分たちでも工夫するようになったのです。
関心や工夫は、食材だけでなく、生活を華やかにする花生産や、他のホテルでの料理のありようにまで拡大し、実際バラ栽培を取り入れたり、当時はまだ珍しかったズッキーニやパプリカなど洋野菜の栽培を手がけるようになったのでした。
消費動向を知り、如何に農業が必要とされているかを知ることによって、経営者としての自覚が出てきたことによって、「農業農村を考える経営者の会」の創設への動きがはじまったのでした。
2,何を目指したのか?
大泉一貫と、守末紀生、紀生美容室代表が、それぞれ講演をしています。それに先立ち、なお、ここで断っておかなければならない事がひとつあります。
この会は、1994年の8月10日に発足しています。その日の夕方には、件の「瓜の会」が開かれることになっていましたが、その日の14時から16時にかけて、仙台ホテルの「カトレアルーム」に、およそ50人の趣旨に賛同する経営者の方達が集まりました。
今から12年も前になりますが、会津坂下町で果樹園木ノ実園を営む新国善幸氏が、会設立の趣旨・目的について、「農業経営者の育成を図りつつ、農業・農に進取の気風を育て、快適な農村空間を作り上げる事を目的とする」と説明しています。
さらに、大泉はそれを補足して次のように挨拶しています。
「農村を魅力的なものにし、だれもが住みたいと思う農村を実現したい。ここに集まった人々はみなそう思っています。そのための第一歩は、農村にも経営者を作り、物事を前向きに考える人々をつくることだと思います。しかも一人や二人ではなく、できるだけ多くの人々が経営者となれればと思います。私は、農村に経営者を育てることは将来の農村のためには非常に大切だという認識を持っています。この会は、そうした考えを持った人々の集まりです。自らの成長を考えながら、農村をより魅力的にするための会です。農村に経営感覚を花聞かせるため、他の農村の経営者はもとより、様々な会社の社長さん達の力も借りることにしました」
ただ、当時の私たちは、農村に農業経営者を、といった場合には、当然のことのように、農家が農業経営者に成長すると言った事をイメージしておりました。食品メーカーや、建設業者が農業経営者として農業生産に従事する、今日のような状況はあまり、というより全くイメージしていなかったのです。ですから、この会の方向も、当初は農家が中心となり、それを、異業者の会社の社長さん達が支援するという性格のものとして考えていました。
運営に当たっては、各自から会費を徴収し、また会報を出し、会報には、会員の宣伝広告を載せることによって財政的な背景を作りました。講演や会議による交流・情報交換を主とし、講師は、当時の最も先進といわれる方々をお招きすることとしました。開催場所は、仙台で一流の場所と考え、毎回、仙台ホテルで行うことにしました。
こんな取り決めをし、第二回には、「新食糧法とこれからのコメ経営戦略」を開催し、第三回、第四回と継続していったのです。しかし、その後が続かなくなってしまいました。理由は、会に集まっていた農家の方たちがみな忙しくなってしまったのです。忙しいなら、中小企業の社長さん達はもっと忙しいはずです。社長さん達は、相も変わらず熱心に出てきてくれるのに農家の方々の集まりが悪くなってしまったのです。
そこには、個人事業主としてあれもこれもやらなければならない、農業の経営形態の問題がありました。会社であれば、それでも社員と手分けして何とか役割を割り振りできるのでしょうが、すべて自分絵こなさなければならない専業農家の場合には、それができないと言うことがあります。これは今日でも解決しなければならない課題のひとつです。05年には、宮城県角田市の農業実践塾を立ち上げていますが、販売組織ひとつ作るにも、専業農家は現状で手一杯で、新たな経営革新に人手を割けない状況が存在します。
しかしそれはそれで、経営的には何とかブレークスルーできることも可能なのですが、もう一つの大きな問題は、政府が制度化した認定農業者制度との齟齬、競合でした。これは今後の農政を考える上でも結構解決しなければならない大きな問題のように思われます。
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