今日の一貫

内閣府の農業改革に関する私見

今から半年前の昨年12月21日、内閣府から、「規制改革・民間開放の推進に関する第2次答申」が出された。出したのは、「規制改革民間開放推進会議」。
この中に、農業の改革部分がある。

しかし、農業改革は、農水省改革であることがこの会議はわかってないようだ。農水省文書でお茶を濁して、改革だと言っているような気がする。

以下これに関する評価。内容を一言で言えば、上記見解。
1,答申の評価
「問題意識」には、当然のことだろうが、抽象的な課題認識が書き込まれている。
問題を指摘し、改革項目を提示し実行をせまるのは必要なこと。中でも農地法体系等の改正に取り組見、参入規制をなくし、農振法の厳格な適用によって農地転用に歯止めをかけようとする対応や、はたまた、流通対応としての農協対策も「会議」の指摘としては適切で大切なことである。
ただ、かかる改革の必要性は、農水省も既に認識し指摘しているところのものであり、文面を見る限り、答申の問題意識や具体的課題において、農水省との本質的相違があるかは疑問。農水省の問題意識や具体的課題と同一のもの考えてもおかしくない状況。
となれば、内閣府と農水省では、同一の結果を予測していると考えられるが、結果としてイメージしていることが同一なのかと問えば、おそらく「違う」というであろう。農水省は、はかかる認識を元に、運用で、様々な恣意性を持った運用を行っており、そのことが、また
たとえば、農水省が農業者主義を取っていることから、そこに農業者以外の経営者主義を導入し貫こうとしても、そう簡単に、「経営者能力があれば誰でもがなれる」というような、通常考えられるイメージを持ってはいない。
そうした中で、改革という建前に沿った施策を、如何に執行するかに腐心してきたのが、これまでの農水行政であった。それは、基本的なところに手をつけず、バイパスを提示したり、あるいは法体系とは異なった運用をしたり、はたまた、経済法則に逆行した施策をしたりというものであった。
この運用によって、農水行政はいたく複雑なものとなってしまった。



つまり改革が進まないのは、火元をそのままにし、運用等によって対処療法に専心する、こうした農水行政の有り様がそうさせているのではないか。
これは一種の制度なのか否か、といわれれば、制度といわざるを得ない。
この様な恣意的運用を行う「制度」をやめ、社会常識に沿った運用に近づけるよう示唆するのも、「会議」の一つの役割ではないか。


また、「規制改革・民間開放推進会議」として、残り1年という限られた時間内で成果を上げるなら、「具体的施策」部分の改革を押し進めることが肝要。

2,答申の欠落部分
かかる観点に立った場合、2次答申には、「問題意識」から「具体的施策」に至るプロセス(あるいは「具体的施策」と「問題意識」との関連)に難点があるのではないか?
基本認識である「問題意識」も、「具体的施策」も農水省ベースで、内閣府も同様の認識をしているとすれば、「問題意識」にあるような改革を実現するのははたして可能なのか?
現状は改革が進んでいる状況か?進んでいないから進めようとしているのででゃ内か?
改革が進まないように見えるのは何故か?
①改革の具体的中身、結果として考えられるイメージが異なっている、②改革の実現テンポに対する認識が異なっている。③法律重視というより、運用重視の農水省行政への評価
①農水省との微妙なズレに関する指摘がない。
農業者主義を前提とした上での改革と、国民的課題として考える改革との違い
「市場原理に基づく、農業経営者の育成」と言った場合、農水担当者には、市場原理の浸透のさせ方や、経営というコンセプトへの困惑がある。通常社会との認識ギャップがあるのかもしれない。政策の継続性への固執か?
市場原理に対する農水省の認識への言及がたりない
経営者機能の浸透の具体的戦略にかかわる認識への言及がたりない
②改革のスピードに関する言及がない
遅いのは?→やれないのか、あるいは、やりたくないのか おそらく両方
なぜやれないのか?→政策手法の問題、政策執行に関わる認識の問題
③農水省の施策や手法等戦術的な性格への評価が必要


どうすればいいのかはいずれまた。
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