最終報告書への農協の評価は次のようなもの。
報告書の「具体的施策」は、「既に農水省や農協がやってきた、あるいは農協大会でやると言ったことばかり」で「現実的な内容」(日本農業新聞12月23日)。
参考(「JAグループとしては既に措置しているか、JA全国大会で決議し、取り組みに着手している内容ばかり」(日本農業新聞」12月23日1面。
「具体的施策のほとんどは農水省やJAグループが旗を振る担い手重視の農業改革の方向性に沿った現実的内容だ。同省のある幹部は、答申案の内容を「大骨だけでなく小骨まで取れた」と表現した」(同2面)と述べている)
満足しているのかと思いきや、さにあらず。
「到底容認できる内容でない」(JA全中)という。
自分たちで「やってきたことや、やると言ったこと」が書かれているのに何故満足しないのか?
不思議に思いさらに読み進めると、「問題意識」部分に、「JAに対する嫌悪感をあらわにした記述」が散見されるから、なのだという。
日本農業新聞の論評
タイトルは、「偏見に満ちたJA観」。
当事者を含め、誰もが納得する項目が「具体的施策」にあげられているのに、「問題意識」に「偏見に満ちたJA観」があるから、納得しないというロジック。
だだをこねてるとしか思えない。内容は「いい」が、俺を嫌ってるやつがいるから、「いいとはいえない」、こんなロジックか。
なんか変な論理だ。
こんなことを言ってると、まともな論理の世界では相手にされなくなるのではないか心配だ。
いやもう既に相手にされなくなっているのかも知れない。
ところで、全中が言う「嫌悪感をあらわにした記述」とは、独禁法違反による「不当な圧力」といったくだりのようだ。
農協は、これまで協同組合というので独禁法違反を免れていた。だから、農協の独禁法違反累積件数は他と比べ異常に少ない。
しかし、いくら何でもこれはひどいというので、昨年から摘発される農協が出てきた。
そうした状況の変化が農協にはあまり正確に伝わってないようだ。そこで、公取委は、(農協が)「不当な圧力」をかけることことのないよう、独禁法違反のガイドラインをあらたに作り農協に提示することとした。このことは本年度末の新しい動きで、関係者は既に承知のこと。
このような脈絡にある「農協による不当な圧力の疑念」が払拭できないとする公取委の見解を、日本農業新聞は「偏見に満ちたJA観」、「嫌悪感をあらわにした記述」と言ってる。
争点は、「農協による不当な圧力の懸念」=「偏見に満ちたJA観」か否かの様。
それを日本農業新聞は、委員には「バランスがとれ、農業に理解のある委員の人選を期待したい」と結び、この問題を、規制改革民間開放推進会議の委員の問題にしたそうな感じ。
はたしてそうなのだろうか?
「バランスが取れ、農業に理解のある委員の人選」には、異論がないが、、農協改革を大上段に切り込むのではなく、業界の自助努力に期待しながら、実利を取る今次の報告書のやり方は、農協や農水も反対できないほど、至極もっともな内容。
実に大人の対応ではないか。農協は、「やる」とは言ってみたものの、実は「やりたくない」ので、いやなところを突かれたとあわてているのだろうか?まさか、そんなこともあるまい。
「農協は(公取委などに)後ろ指をさされないよう、自らを律して正道を歩みなさい」と諌言する委員の方がよほどバランスが取れているように思うのだが、、、
それでもバランスが取れてないと言うなら、振り子は、農協のいう方向ではなく、一気に逆の方に触れるだろう。読売新聞には、「民営化や農協改革に踏み込めなかったと」、これまたやたら威勢のいい批判を浴びせられているのだから、世論はもっと派手な空中戦を期待しているようですらある。
さらに、日本農業新聞・全中は、農協が規制改革会議の対象になること自体おかしいとして次のように述べている。
「農協は規制改革の対象にはならない民間団体」(日本農業新聞)、従って、会議がとやかく言うのはおかしい。
本当にそうなのだろうか、このロジックも相当におかしい。
民間団体なら規制改革の対象にはならないというロジック。
規制とは、制度の問題で、企業形態の問題ではないと思うのだが、、
むしろ重要なのは、政府事業との密接な関係だろう。JAは、政府事業との関係を客観的に認識しておく必要があると思うのだが、、、
公取委を「偏見に満ちている」といったり、政府との関係が尋常ならざるものであることを直視しなかったり、
この組織に、まともな論理を理解できる人はもはやいなくなったのだろうか?
そんなことはないと思うのだが、、、
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