今日の一貫

明治神宮会館 全国改良普及職員研修大会

明治神宮会館で、17日上記大会開催。

コーディネーターを仰せつかる。
9つの事例一つ一つにコメントし、最後に全員でパネルディスカッションをするというもの。

簡単に引き受けたものの、実に4時間も壇上に上がりっぱなしのハード・スケジュール。
参加人員は800人というが、数えてみると、7カケがいいところか?

この「改良普及職員」という名称一般には聞き慣れないもの。
「普及指導員」というのだそうだ。
私が農業経済学をやり始めた頃から、いろいろにお世話になっていた人たちで、98年、「普及事業50周年大会」を日比谷公会堂でやって以来、おつきあいが減った人たちである。
その間農水省での制度の見直しなどの委員会で、少々関係はしていたが、基本的につきあいが亡くなった人たち。

今全国に9千人弱ほどいる。
なぜ必要なのかというと、「農業者の多くが家族経営で、自前で技術を開発することが困難であるため」
また「農業者が、新しい技術を地域にあった形で利用できるように国と都道府県が共同で仕組みを作って普及する仕組み」だという。

しかしこの組織、例に漏れず必要性が問われている。
偉い人の挨拶では、「ノウハウ等を共有し、活動や成果の対外周知をして社会に受け入れられる普及組織を目指さなければならない」とあった。

国からの補助金が切られ始めているのだという。

ただ、事例報告を聞いていると、だいたいが、地域の農業者共々、現場で作り上げたノウハウ、それを地域で共有化していこう(普及していこう)という事例が多かった。それを県レベルで政策化しているのもあった。

そうなると、中央で開発した技術を啓蒙的に普及するといった、中央集権的な「普及指導」なるコンセプトとはもはや異なった組織。


     私的考え(普及指導員、コンサル、今回感じた普及のあるべき姿)、

     (ちなみに「普及指導員」という言葉に違和感を感じるのは私だけ
      か?。その理由は次のようなもの。
     指導員という場合、たとえば、
     交通指導員とか栄養指導員というようなものは、すでに基準化し、りル
     ール化したものがあって、それを人々に啓蒙的に指導するという意味 
     が大きい、しかし、「改良普及」の実際は、ルールといったものはな
     い。
     普及とは、当初は確かに中央政府の研究行き観などが開発した技術を伝
     達するといったい見合いもあったようだが、今回の報告でもそうだが、
     現場にあったやり方で、それを農家と一緒に作り上げ政策化するといっ
     た意味合いの方が強いようだ。
     とすると、「指導員」ではなく、相談相手、あるいは共同で物事を考え
     るパートナーといった感じではないか。
     コンサルタントと、エクステンションワーカーの違いをもっとはっき
     りすべきだろう。

     コンサルタントは、自分自身基準となるルールを持っており、それに照
     らして相談者に対応するケースが多い、また市場化テストもクリヤーし
     やすい。「普及指導員」の中の、特に「指導員」という言葉には、
     コンサルより、指導する側の一方向的なニュアンスが強いように思われ
     る。エクステンションがそのようなニュアンスを持っているから
     なのだろうが、今日の我が国の普及は、もはやエクステンションの一方
     向的なものはもとより、コンサルタントよりさらに、双方向的なものに
     変わってきているのではないか。場合によっては、産地の農家の方のノ
     ウハウ形成の方がより優れているケースもあった(宮崎のケースはその
     ようなものだった)。そうなると普及指導員からコンサル、さらに今日
     の普及といった順番で双方向性が強くなり、普及される側の主体性が
     強くなっているのではないか?)

大会で感じたのは、これまでの普及システムや法律や制度は、今日この集団が考え行おうとしていることともはやあわないのではないか、ということだった。むしろ、中央集権的な、国と県との協同でということがどれほどの意味があるのだろうか、ということだった。

しかも、かねてから、現場主権を叫んで、行政課題と一線を画してきたのがこれまでの普及事業だったようにも思うのだがどうだろうか。

となると、今日、行政事態が、地方分権、地方主権を掲げ、「地域特例」など、現場重視に変わってきているのは、むしろ追い風としなければならないのだろう。普及事業との溝は、ますます小さくなっているようなのだ。事例にも、集落営農や、地域システムなど、今日の品目横断的経営安定政策を利用しようとするものが多い。

普及事業にかかわる中央政府の補助金は地方へ移譲した方がいい、となる。
だいたい1県あたり200人近い、いこれほどの普及員がいるかどうかも検討しなければならない。また対象者も農家に限っているが、これからの農業は、企業や国民全体を対象にしなければならないだろう。

構造改革させできれば、この集団の重要性はいや増すのだろうに、しかし、補助金や人数が減ることへの危機意識が先行するせいなのか、残念ながらこの組織は、社会に正当に認知されていないことから、先行きに不安感を持って浮き足立っているようにも見える。

これまで、60年間近い間の、中央集権的な組織運営と、普及の現場主義とがそもそも整合性を持たなかったことを考えれば、今こそその整合性をきちんととる改革を行えばいいだけなのだと私は感じた。

現場で農業振興、産地育成、担い手育成できなければ必要のない組織になるし、それができれば、有益な組織になるだけのことだ。評価は数値的に出ないとか、産地形成に関わる様々なファクターの中での普及の関与度合いが計測不能だとか、いろいろ細かい困難があろうが、そんなものは末節で、農業振興したところに普及が関与していればそれだけで評価の対象になるのだ。

三重の8人のプロジェクトチームや、岩手のリンゴ販売などは、誰がみたって、普及がやったというだろう。
それが、偉い人のいう対外的評価になるのではないか。

そうした観点から「普及指導」とは何か?を定義してみよう。
「技術や知識・ノウハウをベースに、農業所得を高める方式や仕組みを作り出し、他社に伝えること」
農業所得が高まったという結果データのない普及活動は意味がない。
また農家や特定地域と共同で作ったノウハウは知財として取り扱い、他者へ伝えた場合には、料金決済すべきだろう。
普及は、「普及指導」ではなく、「地域イノベーターの補助者」なのだろう。
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