ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

まだ日本に「選挙」とか「国会」が無かった頃…

2020年07月30日 | 文学・歴史・美術および書評
西南戦争には、反政府側で参戦した人らにジャーナリスト、あるいはジャーナリストになった人が多いんですが

かの最後の内戦は、今の「反政府」=「テロ」とはちょっと様子が違っています。

例えば、オウム真理教事件というのが思い出されますが
「新興宗教」はまだそれほど無くて、神格化されてるのはとにかく「天皇」です。

天皇について言えば、西郷側だろうが官軍側だろうがオール信者と言って良く、
中江兆民は確かに左翼と言えますが、天皇制に反対なんて考えもつかない。
福地桜痴は幕臣でしたが、それでも明治天皇に謁見!となると
彼、緊張して前日眠れず、肝心の汽車に乗り遅れるという…ちょっと可愛いミスをやらかしてるくらいです。
天皇は別格。


昔、小説投稿してサブカル雑誌に拾っていただいていた頃は
私は大正デモクラシー以降〜昭和初期とかでやっていました。
でも、やっぱりもうその時代になると
プロレタリア(ナップ)文学あたりは随分とコミュニズムが入って
それゆえに、逆にまずイデオロギーの仕分けがあって
自分でもどこかにアレルギー反応みたいなのが出ちゃう…。
宗教(特にキリスト教)と左翼(特に共産党)

 というのは、私は戦前教育を受けた世代の、右翼系の家庭で育ちましたので
そこは把握しとかないと、偏見刷り込みはあると思いました。

そこいくと明治10年
マルクスどころかまだルソーすら無い。

まだ議会なんてものすら無く
ゆえに現代人だと最初のフィルターになる、右翼だ左翼だの識別も無く
「選挙」ですら憧れだった時代という事で、明治の自由民権運動に至るまでは興味があります。

地理的に見ながら、福澤諭吉先生の話も一緒に見ていきますと
東北の方は一揆が頻繁に起きています。
百姓一揆から自由民権運動につながったのに「ワッパ騒動」なんてのがありました。

一方で「薩長土肥」周辺の地域、西はいち早く「選挙」「自由民権」に目を向け
議会っぽい事をあちこちでやってたようです。
土佐では板垣退助らが「立志社」を作る。弾圧されましたが。
活版印刷も普及して、電報もできて
情報のスピードが上がると、人々の声も熱を帯びてくる。

当時、20代の若者が集まって、自分らで「選挙」をやってみよう!
という感じのが熊本の民権党でして。
ブツクサ時代を嘆いてるよりは建設的だったか、と思うのです。

その民権党にいた宮崎八郎。
西郷を勝たせて最後には自分が分捕るみたいな事を言ったというので
本によると容赦なく悪者にされているんですが

中江さんの部下であり、ルソーと詩を愛してやまなかった彼
文学の側から読み解くと
そんな悪者というよりは、ただの野心家でないのかと思います。
当時まだ28ですか、連帯旗を奪われてガックリ落ち込む乃木希典とあんまり歳変わらんのよ。
ただ、若さゆえに焦ってしまったのかも。

まだ選挙が無かった頃の選挙は、「絶対チャンスある、しかも平和的」なものであり
投票できる権利あるのに行かないなんて、あり得なかったろうし
国会なんてまだ無かった頃は
きちんと話を聞いてもらう事すらできず、服従するか暴れるかしか無かった。

「萩に続いて今年もまた九州で乱が起きたけれど、ああ暴動が起きた、ヤバイ、
よし鎮圧だ、鎮圧したやれやれというのは、熱が出たから解熱剤を飲むようなもので
根本的治療にはなっていない」
と明治10年の福澤諭吉。



でも、最近不思議に
国会では話が決まらない、もしくは一方的なのに
やたらTwitterの「大多数」の意見に反応して
方針が変わったりしてる…

ならもういっそ全部Twitterでやれば?
とか思うの私だけですかね。

何という時代に生きてんだ、みんな…w



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