ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

デカダンの喪失

2019年03月12日 | 雑記
被災からこっち、あまり体調よくないです。
まあこりゃおおかた胃潰瘍だなというかんじなんでガスター10とお粥生活中。来週健康診断だからそれまでもたせよう。


三菱一号館美術館で入手した「英国の唯美主義」図録に、なぜ唯美主義は衰退したかについてありまして、読んでました。
まず、大きな要因としては、オスカー・ワイルドが同性愛事件で逮捕された事とそのスキャンダルによる人気失墜。

今でこそLGBT運動あって認知されてきてますが、当時の英国で同性愛で逮捕されるのは、今の日本でドラッグで逮捕されるのとほぼ同じ状況であると思われます。
世紀末ロンドンの面白い所は、個人では息苦しい社会からの逃避、頽廃を求めるのに、「公」になるとまずプライドの高さも手伝って、保身に走り一斉に罪人叩きをするあたり。ちょっと日本と似てる。
いつの時代も悪人認定された人に安全な場所から石を投げるのは、「公的」でマトモな民衆の楽しみ、なんだろうな。

アールヌーヴォーというべきか、英仏含めてあの貴族的な唯美主義が、やがて20世紀初頭に来る、より合理的で機能的なアールデコに移り変わるうちに、リダクションされてしまったものは何なのか。
頽廃なのか単なる個人的狂気なのか、資本主義の「裏」に当たるそれは
ナチス支配下でレジスタンスに流れたかと思えば、芸術家の一部がアメリカに亡命した影響もあって
形をすっかり変えて抽象表現主義になり、多方面に分岐しながら「アート」になっていきましたが

途中なぜか「唯美」「耽美」の類が落ちてしまっている。
なぜどうしてどこに行ったの。
「セレブ」とかいう安っぽいものとその層のブランド品に変わってしまったような。
それともミスコン優勝者を眺めるのが「美」?
ライザップに通うのが「美の追求」?
待って…それ何か変じゃねえ?

って言えないんでしょうかね。

いやもはや
「美」だと言ってたものが変容してしまってて
素直に耽美、とかできないのですよ。



アーツアンドクラフツ運動のモリスらは、頽廃するわけにはいかなかった。
デザインは「大衆向け」だったから。
かつては、貴族が紳士でモラルを持って、庶民という猿どもに公衆道徳を教えていた…
わけだけど、メディアの発達と大衆、つまり20世紀「マス」の時代を迎えると
大衆の方がモラリストになってしまった。
「私」は頽廃にそそのかされ、自由を望みながら
「公」は道徳を重んじ、拘束される代わりに社会的地位を得るわけで
このへんはもう当時からスティーブンソンが「ジキルとハイド」で書いたりしてますわな。


そして21世紀になった今。
スキャンダルで失墜、または公開処刑は日常茶飯事になったわけだけど

現実逃避の中に「美」が無いのよねえ…。
て、「美」の正体もよくわからないんだけど(認知と感覚が結びついたものなのか?とか)

ヒットラーがナチス政権下で「頽廃」とみなし
トルストイが「頽廃」と強烈に批難した類のものは
つまり「全体主義に」背く、背徳ってことだろうか。
愛はもっと私的な部分から発するだろうし
詩はもっと内的な部分から来る


私はこう思う。
唯美主義の喪失の一因は
主導者らの失墜というより
「貧乏暇無し一般大衆が、花よりダンゴに気づいた」

「ダンゴも美しいですよね?ダンゴも美しいのを頑張って制作しておられますよね?」
きっとそう詰め寄られるような事になった時
あそこにあったデカダンが「単なる精神病」や「単なるならず者」に失墜した
そんなとこなんだろうな。





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