ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

河原林雄太少尉のキャラデザできた

2019年03月11日 | 雑記
西南戦争、植木向坂戦で
乃木が連隊旗を預けた河原林雄太少尉

キャラデザできた〜





次回役者だいたい決まりてとこです。



河原林少尉が旗奪われたとこはちゃんと行きました。
ここです。






乃木少佐は河原林をずっと「年下のかわいい部下」と思っていたらしいです;
(実は32歳)

連隊旗は、
高田露の話だと
「本営らしい民家の床の間に立ててあったので、皆で取って騒いだ」

薩摩藩士、岩切正九郎の話だと、討ち取ったら腰に挟んでいたので取り上げたら旗だった

で、司馬遼太郎氏はこれ
官軍の尋問で言わされた感がある…って言ってます。

鎮台幹部が旗を奪われたのは、戦だから仕方ないと言ってるにもかかわらず
「死んで詫びる」まで思いつめる理由…
ちょっと意地悪〜く心理的な方からも考察したりして。


まず、高田露がこの件について「記憶違いではないか?」という問いに
自分は嘘はついたことがない!と言ってるあたり
ひ、肥後人を…軽く信じてはいけません。

いや、嘘つき呼ばわりするわけではないですが
戦場に絹の着流しで来るよーな、女子か!って薩摩藩士から言われるような酔狂な人と
生真面目でプレッシャーに弱く、常に自虐に走る乃木
どっちを信じるかて言われたら;
乃木?ってなるわな…とは思いますが




岩切が死体を転がしたら、腰に挟まってた
というのと乃木の「黒い羅紗に包んで担がせ」はだいたい合ってるので
「薩軍にやられた」
になったんだと思います。

仮に、高田さんが本当に嘘をついていなかったとすると;
乃木さん戦場に旗は持って行ってなかったってことになりますが。
それにしては持たせる件がリアルだしなあ。

高田さんの虚言だとしたら、逆になぜそんなことを…誰かを庇ったとかですかね?
謎の多い部分。



次回分にどこまで河原林くんと乃木入れられるかなあ…と思いますが
入れなくても別の本とかイラストで出せばいいかなと。
次回、名古屋コミティアに間に合わせたいです。

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