アカデミー賞に日本人、辻一弘さんが選ばれました。
感銘した特殊メイクのディック・スミスにどうやってやるのか尋ねる手紙を送ったら
「独学が一番」と返事が来たというエピソードを紹介されていました。
これ、開拓者精神を持つアメリカらしいなと思います。
日本人は「求道者」が多いです。
すでに整えられた「手本」を参照に、日々精進してスキルを会得
免許皆伝しなければ、「自ら」など表現するのはおこがましい、と捉えるのは
「観阿弥、世阿弥」あたりのものと同じ。
とにかく「型」を重視するので、もし日本でそういう手紙を送った場合
「独学が一番」なんて返事は返らないでしょう。
何せ「我流、自己流」をあざ笑う。見下す対象にする部分はあります。
何か新しい物をやるというのは、手探りです。
最初から正解は無く、(ゆえにオリジナリティがあるわけですけど)
「失敗しても次に活かす」が無いなら新しいことはやれない。
「こうしなくてはダメ」の世界、学術分析してできるスキルの世界に染まると
一生スキル習得に追われます。
誰かが開発して成功した物が新たな「道」になって、それに追従して学ぶのが良いとされるわけですが
現代の我々の速度は、世阿弥の時代の比ではありません。
お手本技術を会得したら、もうすっかり不要になるのはザラかも…
真面目な人ほど、「型」を踏襲していないと許せないものです。
整った何かをやろうとするなら、当然「基本を学ぶ」必要はあります。
でも物事全てにパターンを要求するのはおかしい。
デジタル技術の登場で、それまでできなかったこと、修行が必要だったことは
最も簡単にやれるようになりました。
その作用で、真面目な求道者にとっては許せない部分も出てくるでしょう。
アメリカのあの行動力というか、「Do」までの軽さって
「考えられた完成品から学んで作る」ではなく
「まだ無いけど考えながら作る」ゆえのこと。
目的地にたどり着く方法は何通りもあるはずなのに
ノウハウが先に来すぎてしまうと
現代社会ではちょっと気後れしたりするかも。
なぜなら、そのパターン会得は「失敗しない為」の裏返しですから。
ある程度のノウハウは必要だろうけど、その先は白紙の方が新しく生み出せるという物もあります。
体当たりでDo
高村光太郎の「道」、
そんな風な開拓の道を行く人に憧れます。
感銘した特殊メイクのディック・スミスにどうやってやるのか尋ねる手紙を送ったら
「独学が一番」と返事が来たというエピソードを紹介されていました。
これ、開拓者精神を持つアメリカらしいなと思います。
日本人は「求道者」が多いです。
すでに整えられた「手本」を参照に、日々精進してスキルを会得
免許皆伝しなければ、「自ら」など表現するのはおこがましい、と捉えるのは
「観阿弥、世阿弥」あたりのものと同じ。
とにかく「型」を重視するので、もし日本でそういう手紙を送った場合
「独学が一番」なんて返事は返らないでしょう。
何せ「我流、自己流」をあざ笑う。見下す対象にする部分はあります。
何か新しい物をやるというのは、手探りです。
最初から正解は無く、(ゆえにオリジナリティがあるわけですけど)
「失敗しても次に活かす」が無いなら新しいことはやれない。
「こうしなくてはダメ」の世界、学術分析してできるスキルの世界に染まると
一生スキル習得に追われます。
誰かが開発して成功した物が新たな「道」になって、それに追従して学ぶのが良いとされるわけですが
現代の我々の速度は、世阿弥の時代の比ではありません。
お手本技術を会得したら、もうすっかり不要になるのはザラかも…
真面目な人ほど、「型」を踏襲していないと許せないものです。
整った何かをやろうとするなら、当然「基本を学ぶ」必要はあります。
でも物事全てにパターンを要求するのはおかしい。
デジタル技術の登場で、それまでできなかったこと、修行が必要だったことは
最も簡単にやれるようになりました。
その作用で、真面目な求道者にとっては許せない部分も出てくるでしょう。
アメリカのあの行動力というか、「Do」までの軽さって
「考えられた完成品から学んで作る」ではなく
「まだ無いけど考えながら作る」ゆえのこと。
目的地にたどり着く方法は何通りもあるはずなのに
ノウハウが先に来すぎてしまうと
現代社会ではちょっと気後れしたりするかも。
なぜなら、そのパターン会得は「失敗しない為」の裏返しですから。
ある程度のノウハウは必要だろうけど、その先は白紙の方が新しく生み出せるという物もあります。
体当たりでDo
高村光太郎の「道」、
そんな風な開拓の道を行く人に憧れます。