*唐十郎作 小林勝也演出 公式サイトはこちら 文学座新モリヤビル 13日まで(12日は休演)
新劇への強烈なアンチテーゼであるアングラ演劇。しかし唐十郎作品の根底には「新劇」が確実に蠢いているのは、戯曲を丹念に読み込むことで実感できる。これは現在座長代行を務める久保井研による唐作品の朗読ワークショップでも体験したことだ。
『少女仮面』は1969年、鈴木忠志の早稲田小劇場に書き下ろした作品で、翌年第15回岸田國士戯曲賞を受賞した唐十郎の出世作である。当時の演劇界に衝撃を与えた作品であり、それから半世紀近くを経てもなお、演劇の作り手、受け手を魅了してやまない。戯曲を詳細に分析、解説したサイトもあり、現在わかるだけでも2主体での上演が告知されている(1,2)。自身は1982年、渋谷のパルコパート3での上演が本作との出会いであった。渡辺えり子(現・渡辺えり)が春日野八千代、少女貝を森下愛子が演じた。腹話術師役で出演した演劇集団円の佐古正人(当時・佐古雅誉)に惹かれ、予備知識ゼロで観劇した。演出は奇しくも今回と同じ、文学座の小林勝也である。
今回の上演は、文学座附属研究所2019年度研修科演技部1年生、2年生の方々がA、Bふたつの座組によるものだ。初日のBプロを観劇した。劇団の研究生の発表会を観劇するのはこれが初めてであるが、チラシや当日リーフレットも大変立派なもので、何より劇場入口で観客を出迎える『少女仮面』の大看板が凄い。
宝塚歌劇団の伝説的スターである春日野八千代と、彼女に憧れる少女貝が主軸だが、老婆、腹話術師、その人形、八千代が経営する「喫茶肉体」のボーイ主任、2人のボーイ、満州からの引き揚げ者、防空頭巾の女たちなど、いずれもしどころのある役柄ばかりで、観客としても「あの役を誰が、どのように」と期待が高まる。
そして始まった舞台は、研究生の発表会とは思えない…といった措辞はもはや不要どころか、失礼千万というほど堂々たるものであった。登場した瞬間から役の雰囲気を纏って他を寄せつけない貫禄を持つ人、出はじめこそ、ほんのわずか素が見えていても、台詞が毒のようにその身を回ったかのように、じわじわと光りはじめる人、ダンサー顔負け、いやあれはバレリーナか、見事な舞を見せる人、アクションシーンでも高度な身体能力を発揮する人等々、何より唐十郎の戯曲に正面からぶつかっていく心意気が気持ちのよい舞台であった。
もうこれは新劇だ、アングラだといった仕分けは意味がない。難攻不落の城のごとき戯曲があり、あるときは全力で正面から懐に飛び込み、あるときは隙をついて脇から攻め入る作り手が後を絶たないこと、それを年月を経て味わえる幸福に感謝する以外ないのである。言葉と肉体、現実と虚構、戦争の傷跡、生者と死者が交わり、溶け合い、消えてゆくこの世界で、舞台に立つ「私」は何者なのか、客席にいる「私」はそこにどう関わるのか。出会いから数十年を経て再び、答の出ない問いを受ける一夜であった。
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