*内藤裕子作・演出 公式サイトはこちら 上井草・東京芸術座アトリエ (内藤裕子関連のblog記事→『かっぽれ!』シリーズ4作含むgreen flowers公演の記録、劇団内外作・演出および演出 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11)
昨年の演劇集団円公演『ソハ、福ノヨルトコロ』が紀伊国屋演劇賞個人賞、名取事務所公演『カタブイ、1972』が鶴屋南北戯曲賞を受賞するなど、内藤裕子は評伝劇、社会問題劇の方向へ舵を切りつつあるが、2017年4月初演の東京芸術座アトリエ公演『おんやりょう』は、社会で懸命に働く人々の奮闘を綿密な現場の取材に裏打ちされた細やかで温かな眼差しで描いた佳品である。6年後の2023年2月、一部の配役や登場人物の設定を変更して、物語の時は初演の2017年4月、桜の季節そのままに再演された。西武新宿線の上井草駅から徒歩8分、下石神井商店街を抜けて新青梅街道沿いにある東京芸術座アトリエは満席の盛況である。
物語は、とある地方の消防署の朝礼に始まる。早くも専門用語が飛び交い、緊張感に満ちているが、朝礼が終わると中隊長の上野(梁瀬龍洋)と救命士の隊長山西(神谷信弘)は全く違和感なく田植えの予定、農業機器の話などを始め、兼業農家の背景や日常が描かれてゆく。やがて事務仕事に強い消防士長七尾(森路敏)と競馬の話題に展開し、観客は「置いて行かれ感」を覚えずに舞台に引き込まれていく。正直なところ、開演前にパンフレット記載の用語説明を読んでも、消防や救命関連については即座に理解できないが、米の品種については、自分より妻の希望を尊重した方が良いことはすぐにわかる。競馬を知らない身に上野中隊長と七尾の熱いやりとりは全くわからないのだが、重い責任を負う職場でこれほど熱くなれるものがあることに安堵する。消防署が消防士と救命士という異なる職種のメンバーで構成されることや、互いの職責の違い、各々にさまざまな資格や試験があり、厳密な規定があることなど、情報量が非常に多い舞台であるが、説明台詞にならないのが内藤作品の大きな特質で、その具体的な仕組みを考えるのが今後の自分の課題である。
救急隊員佐伯(さとうゆい/green flowers)は、梨農家を兼業する消防副士長井口(小川拓郎)と結婚を考え、仕事を続けるか否か悩んでいる。そして先輩救命士の吉川(脇秀平)は佐伯を憎からず思っている。黙々とトレーニングを重ねる消防士長の多田(松並俊祐)は消防救助の全国大会でも知られた消防署のエースだが、急病の父親を山西が救わなかったことに恨みを抱いている。若手は二人。機関員細井(中新井美穂)は意欲満々、祖父や伯父のコネで入職した三浦(中屋力樹)は態度から言葉遣いから全てが緩く、腹筋運動もできないヘタレで先輩たちを悩ませるが、「憎めない」とはこういう人物なのだろう、観客としては今度は何をどう言ってくれるのか楽しみでならない。
パンフレットには劇団の地元である石神井消防署を見学したときの写真、さらに石神井消防署予防課の寄稿もあり、住宅火災の予防、救急車の適正利用に続いて、消防団の入団促進が記されている。物語前半、消防団員の柏木恵(吹田真実)が登場して、消防団の業務や現状を観客に伝える役割を果たしている。
元消防団員だった小林(笹岡洋介)が認知症を患い、山西に保護される。中隊長や若い消防士たちとのやりとりから、木やり唄を披露する。艶のある「おんやりょう」の歌い出しに中隊長、山西が唱和して暗転したとき、期せずして客席から拍手が起こった。江戸の火消しの時代から続く仕事の誇りや喜びが「おんやりょう」のタイトルに込められている。
後半、救命士と消防士の職責の違いから起こる大激論は、一発触発の乱闘になる勢いであり、職場が崩壊する危険まで感じさせたが、互いに堪えつつも言うべきことは言い、潔く謝り、新しい提案をして、よりよい方向を探ろうとする。果たして佐伯と井口は結婚にこぎ着けられるのか。吉川の存在も気になる。互いを理解し、傷病者を確実に救出するための提案を多田が素直に受け入れるかは、中隊長、山西ともに微妙な感覚を隠さない。問題は山積のままである。しかしこの消防署ならきっと大丈夫だ、そうあってほしいと観客に強く思わせる説得力があり、まことに気持ちの良い終幕となった。
コロナ禍が未だ収束しない2023年2月の今、ぜひ『おんやりょう』の続編を観たいという気持ちが沸き起こる。舞台には「救急車はタクシーではありません」という注意喚起のポスターが張られ、緊急性のない「119番常連」に頭を悩ませる場面もあるが、救急搬送が追いつかないコロナ禍において、『おんやりょう』はどんな世界になっているのか。内藤さん、東京芸術座さん、何とかなりませんかと前のめりになりながら、やがて帰りの西武新宿線の中で思い直した。それは観客がそれぞれ作り出す物語ではないか。『おんやりょう』の人々は確かな存在としてわたしの記憶の中に生きており、新しい物語を形成していく。この「ずっとあの場所に、きっと居てくれる感」が『おんやりょう』がもたらす幸せなのだ。
そこで心配というか楽しみなのは、三浦がいつ本気を出すのかということだ。優秀な後輩が入職しても焦る風もないマイペースで客席を大いに沸かせてほしくもあり、「あの三浦が立派になって」と感涙にむせびたくもある。確かなのは、三浦にはぜったいに消防士を辞めてほしくないということだ。『おんやりょう』の劇世界が続く鍵は三浦が握っている。頼むぞ、三浦。
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