摩周丸・青函連絡船
北海道函館市 青函連絡船記念館「摩周丸」
1965年6月就航から連絡船排しの1988年まで活躍した
当時は高速自動化船として注目を集めた
終航の原因は 青函トンネル開通
青函連絡船の役目は物資輸送
船の中に線路が敷かれ 貨車ごと物資を運んだ
青函連絡船の強烈な印象は 闇米運搬
重い米を背負って下船する男女の姿は 忘れられない光景
当時 闇米運搬は違法な行動だったのかも知れないが
厳しく糾弾する話は 耳にすることは少なかった
子供の時代のことで私はよくわからないが
この闇米のお陰で命をつないだ方も少ないのでしょう
いろんな場面で
カラフルな別れのテープを見たことが脳裏に焼き付いています
音も耳に焼き付いています
終航が近い頃 マージャン部屋などもできた
営業努力に懸命だったことを思い出します
私が利用した頃の一般席は 船底のような暗いイメージでした
最新式の船は揺れが小さいが
当時は海が荒れると 船酔いする乗客が多かったよう
船長室や航海士室は喫茶「サロン海峡」になっています
函館港・函館山・西部地区観光スポットが一望できます
記念品の陳列や洞爺丸台風の資料が展示されています
操舵室
通信室
連絡船デッキから棒二デパートの看板が見えている
以前は彩華デパート・和光デパートもあり
街は函館一華やかでした
時代は さまざまなものの栄華盛衰を変える