田舎都会からの便り

北海道新幹線・新函館北斗駅のある北斗市から発信してます

餅づくり

2020年12月27日 02時42分15秒 | その他

 黒豆餅づくり

更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです

絵をポチしてご覧下さい北海道・北斗市から発信

 興味のある方は写真記録をご覧下さい

冬枯れ紅葉&雪吊り 2020年12月27日

江差餅つき囃子  2020年10月15日

 

 行雲流水   餅づくり

田舎に住んでいると 年末の餅づくりはわが家の一大行事のひとつです

昭和時代は薪ストーブとつば釜で餅米を蒸かし 木臼と杵で餅をつくりました

最近は便利な電気餅づくり器となりました

あっけなく終わるのも 文明進化のお陰です

わが家の餅の主役 今年は黒豆餅です

コロナウイルスを鬼に見立て コロナは外・・・の願いを込めました


  

昭和時代の餅つき・餅づくりは田舎でも失せてしまいました

函館市内にある天祐寺では杵で餅をつくってます

今年も実行するそうです

興味のある方は写真記録をご覧下さい

過去記事 天祐寺の餅つき等2018

函館市南茅部地区 祭りの餅まき

太っ腹な餅まき

過去記事 2015天祐寺餅つき 

 

天祐寺餅つき2017

 

天祐寺餅つき2018

餅米の蒸かしで お焦げが・・・初めて目にしました

不思議な光景に映りましたが・・・答えはありました

不思議に思えたが・・・つば釜の熱が蒸かし鍋に伝導したよう

わが家の地域の餅つきは 田植え餅と正月餅の2回行われてきました

人力作業の手植えから機械植えに進化し 田植え餅は消え去りました

わが家でも昭和時代は田んぼを作っていたので その習慣を器械を使って今も続けています

興味のある方は 下記過去記事をご覧下さい

 

餅つきは準備が大変です

臼・杵・蒸かしセイロ・米とぎ・薪・・・たくさんの道具が必要です

使用後の保管も難儀なことです

時代の変化で わが家のある田舎から餅つきは消え去り 器械利用の餅づくりになりました

来年は年号も代わり ぺったんぺったんの餅つき昭和はますます遠くなりけりです

29日 平成時代最後の餅つきを函館市・天祐寺で見学させていただきました

わが家の地域では 先人の伝えである 9(苦)にち餅は敬遠ですが この寺院は毎年29日です

迷信苦にならず なのでしょう

餅つき名人の相の手・合い取りは絶妙

毎年 感心すると同時に後継者のことが頭を過ぎります

わが家の地域のお供え作りは 女性の仕事でしたが・・・

平成最後の餅つき見納めの日は のちのちと降る雪の日でした

朝6時 暗い中わが家を出発しての見学でしたが 時代の区切りの好い思い出になりました

歳がいもなく・・・と家内に言われそうなので・・・・・

 

過去記事2017年   田植え餅

わが家の恒例行事をしました

恒例行事も高齢行事となり いつまで続くやら

農家ではないが 稲作の豊年満作を祈り 毎年ヨモギの田植え餅を作る

 

もち米も小豆も友達から頂くので 負担は作業だけ

ヨモギの新芽は 山で摘んできました

除草剤散布時代を考えると 里のヨモギは・・・敬遠

このヨモギのアクを除去するのが 見てると大変そう

「ごつい田植え餅」に豊作祈願 

過去記事

田植えは稲作農家の正月元旦

手植え時代は お祭り行事でした

今は機械化が進み 手植えは失せた  

田植えの小昼は 田植え餅だった

薄皮に5~7個包んでプレゼントされた

その中によもぎ餅が なぜか一個でした

家族でよもぎ餅の取り争いという話は よく耳にした

餡は出来合いを買うと 結構高い

しかし農家は自家用小豆を植えていたので 

餡をたくさん入れた「あんこ餅」だった 

田植え餅づくりは難しく 

大先輩の手さばきにかなわない 

わが家は農家ではないが 

稲作の豊年満作を祈り 毎年田植え餅を作る

しかし よごみ餅作りは難しい 

毎年失敗作のオンパレードです 

友人の田植えも始まった

一年に一回しか経験できないのが 辛いよう

慣れたと思うと ハイ終わり 

自由人の記録・総集編 自遊人の記録・総集編  自遊人の記録・総集編①

 ふるさと 

思い出2012年渡島大野駅(現・新函館北斗駅)

油庫

鵜川五郎 作品紹介305 

 丘の道 1990年作品 

  

虹の仲間の森


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