
新函館北斗駅を利用して「楽しもう・道南観光」
更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです
行雲流水
旧北海道庁函館支庁庁舎⑬夜の函ぶら探訪・中尾仁彦案内人
函館市・箱館歴史散歩の会・主宰 中尾仁彦さん案内の「西部地区ライトアップ建造物巡り」
中尾案内人は80歳を超えてますが健脚です
市民が何気なく住んでいる町や見慣れた街角にも 先人が残した数々の歴史・文化が存在すると教示
その足跡を伝え教える伝道力は・・・すごいの一語です
元気なうちは継続するという高校の先輩・・・参加するたびに元気をもらっています
中尾案内人の探訪主旨
函館山からの夜景は 香港 ナポリとともに「世界三大夜景」のひとつとされています 函館山からの夜景の素晴らしさは必見ですが 麓の西部地区の元町教会群や函館ベイエリアのライトアップされた歴史的建造物のナイトウォッチングも昼間とは違った幻想的な魅力にあふれ もう一つの函館の顔をのぞかせます やさしく照らし出される「灯」に誘われてロマンチックな風景を間近に見る散策に出かけて見ませんか
コロナ前は130人を超えた参加者でしたが 今は30~40人ほどに制限しての気遣い案内です
連載 第206回西部地区ライトアップ建造物巡り
連載⑬ 旧北海道庁函館支庁庁舎
元町公園の中でも旧函館区公会堂からいちばん近い場所にあるのが、旧北海道庁函館支庁庁舎です。明治 19 (1886)年に函館県庁が元町公園のこの場所に、箱館奉行所が置かれていた北海道庁函館支庁へと改められ、明治 26 年にはその庁舎が新築されま すが、明治 40 年の大火で焼失したため建て直されたのがこの建物です。 北海道庁の建築技術者たちが設計を担当し、明治 42 年に完成しました。 入口の長い柱は古代ギリシア建築にならったもので、日本の設計技師たちもこのころになると、西洋の様式を自分たちの手で自在に応用する技術を身につけていました。

大正 11 (1922)年に渡島支庁に改められた北海道庁函館支庁は、 昭和 25 (1950)年に郊外に移転し、建物は昭和 30 年から函館市の 所有となります。しばらく准看護婦養成所や市立函館病院の付属施設として使用されますが、それも移転した後は空き屋となり老朽化が進んでいました。
そこで昭和 49 年ごろよ り、この建物を札幌市郊外の「北海道開拓の村」に移転保存しようという話が進められますが、昭和 52 年9月、函館市内在 住の一主婦が、「歴史的建造物は、それとともに歩んだ土地にあってこそ価値がある」との趣旨で新聞に投書を行いました。

この1通の投書が紙面に掲載されると、多くの市民の共感を呼び、 元からあったこの場所での保存運動が巻き起こります。その結果、行政サイドも移転を撤回し、歴史的風土を保全しようという機運はさらに盛り上がりました。そうした流れは、昭和 63 年の「函館市西部地区歴 史的景観条例」の制定にも結びついていきました。
現在はレストランとして活用されていますが、この建物は函館西部地区における町並み保存活動のモニュメント的な存在でもあります。
建造物は元町公園の一角にひっそりと佇んでいます
この公園からは華やかな市街が一望できます
現在の発展に寄与した役所の建物を残存させる歴史は 少し「いばらの道」であったように感じました
後世に伝えるために現存させる努力を惜しまなかった先人の気持ちを察したい