田舎都会からの便り

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函館ハリストス正教会④夜の函ぶら探訪・中尾仁彦案内人 

2023年09月01日 08時14分25秒 | その他

お色直し

 更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです

鐘の音・函館ハリストス正教会2023年5月28日 

 

行雲流水函館ハリストス正教会夜の函ぶら探訪中尾仁彦案内人          

函館市・箱館歴史散歩の会・主宰 中尾仁彦さん案内の「西部地区ライトアップ建造物巡り」

中尾案内人は80歳を超えてますが健脚です

加えて「喉」も強い・・・長時間話しても音声変わらず

この夜も 最初から最後まで 音声の調子は絶好調でした

普段の「元気管理」も見習いたいです

中尾案内人の探訪主旨

函館山からの夜景は 香港 ナポリとともに「世界三大夜景」のひとつとされています 函館山からの夜景の素晴らしさは必見ですが 麓の西部地区の元町教会群や函館ベイエリアのライトアップされた歴史的建造物のナイトウォッチングも昼間とは違った幻想的な魅力にあふれ もう一つの函館の顔をのぞかせます やさしく照らし出される「灯」に誘われてロマンチックな風景を間近に見る散策に出かけて見ませんか

コロナ前は130人を超えた参加者でしたが 今は30~40人ほどに制限しての気遣い案内です

連載 第206回西部地区ライトアップ建造物巡り

連載 函館ハリストス正教会

安政5(1858)年、実行寺 にロシアの仮領事館が開設されると同時に領事館付司祭が来函し、翌年に小さな祭祠堂が付設されます。
万延元(1860)年には元町の現在地に日本唯一のロシア領事館とその付属聖堂が建立され、日本初のギリシャ正教の教会であるハリストス正教会が誕生することとなりました。ハリストスはギリシャ語でキリストを意味します。
文久元(1861)年に来函した2代目司祭ニコライは、古事記や日本書紀を読みこなし、倒産した古本屋を丸ごと購入するほどの勉強家でした。後に同志社大学の創立者となる新島襄がアメリカに脱出するまでこの教会で住まわせたことでも知られています。ニコライは明治元(1868)年に、日本人3人に密かに洗礼を授け、初の日本人信徒が誕生します。明治5年に東京へ転任し、やがては神田ニコライ堂の大主教として全国に布教活動をすることとなります。
同じく明治5年、東京にロシア公使館が開設されると、函館の領事館は事実上廃止となり、付属聖堂は正式に独立した教会となります。
明治6年にキリスト教が解禁になると、函館の守備をしていた旧南部藩士100名が入信するなど、市民よりも東北出身者から信仰が始まりました。
教会が行った社会的な活動としては、文久3年、領事館の隣の現聖ヨハネ教会地に、 66 のベッドを持つ大規模病院を開設したことは特筆す べきで、新島襄もここで眼の治療を受けています。明治6年には伝教のための学校を、明治 17 年には女学校を開校します。
当初の聖堂は明治 40 年の大火で焼失し、大正5(1916)年に再建されたのが、函館のシンボルとして知られる現在の聖堂です。昭和 46 (1971)年に国の重要文化財に指定されました。
 

中尾案内人の説明は細かな「知っていそうで 知らない」ことの教示がたくさんあります

写真の門は「裏門」だそう・・・ロシア領事館の時の「正門」

北側にあるのが教会の「正門」だそう

鐘の音は週3回響くそう

聴いてみましょうよ鐘の音

真ん中に見える光は 函館山ロープウェイ山頂駅です

函館山から眺めても すぐに探せます

建築設計の高度な技術などの由来を伺うと・・・

過去記事2017 函館ハリストス正教会&バラ

 


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