タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

太陽と月・・・

2023-07-13 08:05:05 | 日記

太陽を象徴とする神はニギハヤヒノミコト、月を象徴とする神は妻神のミカシキヤヒメノミコトと言われます。

が、このブログで紹介した絵、神仏画のプロ・持田氏に私が説明して製作していただいたのですが、

私が見た神々の容姿と雰囲気を伝える中で、

「女神は、月や水、または花を象徴とする女神と言われますが、俺が見た御姿と雰囲気は、女神の方が明るくて太陽のようで、

太陽を象徴すると言われる男神の方が、どちらかと言うと月のようだった」と説明したことが何度かあったと思います。

神代の歴史はかなり詳しい持田氏も色々と説明してくれましたが、その説明の内容は、「すっぱり」忘れてしまった私です。

確か、否定も肯定もせずに、「そういう説もありますね」と言っていたような。

だからか、最初に製作してもらった方の御神画は、女神が赤系の服、男神が青系の服になっています。私が校正で絵に色付けしたのを見た時、「なんで女神が赤っぽい服で男神が青っぽいのか?」と聞いた記憶があります。(何度も書いてますが、女神男神は、「肩から上」しか見えなかったので、肩から下の服装や装身具は想像で描いてもらいました。勾玉入れてとか。ただ、女神の額に冠があったのは事実です。だから、古代の大王=おおきみの妃神か、女王だった女神)

神話は、実在の神々の伝記が、色々と織り交ざっている可能性もあるので、そのあたりは、先入観にとらわれることなく調べるのがよろしいかと思われます。

私が見た神々、女神は明るくて清々しい、そして花が咲き誇ったような感じ。「ほんわり」としている。

「凛とした」「一重切れ長の美しい瞳」は、清流のような透明感ある瞳。

私たち人間は、過去世の記憶は忘れていますが、女神の透明感ある瞳は、私の前世、前々世も全部知っておられるような感じでした。

そして、「艶のある黒髪」。鼻筋が通り、「目鼻立ちがはっきりとした」美貌。

女神は、拝謁した2018年5月より、さらに遡ること20数年、ここでも書いたと思いますが、初めて伊勢神宮・外宮に参拝したとき感じた「神気」と全く同じ神気でした。

「外宮」さまから感じた神気も、「20歳くらいの、花が咲き誇ったかのような、明るい、ほんわりとした」神気でした。

外宮に初めてお参りした時の私は30前くらいで、成田山大阪別院で女神の生の御神霊を拝んだ時が50代半ば。

天上界と下界は、時空の流れが全然違うからか、女神は全く同じ神気で、20歳が30年近く経っても、同じ20歳くらいのまま。私だけは年を取った。

ウカノミタマ女神は、ミカシキヤヒメ・豊受大神・コノハナサクヤヒメ・三穂津姫・櫛玉姫・ニウツヒメ・タマヨリヒメ・ミツハノメノカミ・イチキシマヒメ・ワカヒルメノミコト・瀬織津姫・弁天さん・吉祥天さんと同一の女神と思われます。香川県の田村神社も、御神名は違えど、同じ神気を感じました。

「ほんわり」とした「明るく」「清々しい」優しい神気です。女神をお祀りする神社、そして、所縁の寺院は、たいてい、「太陽さんさん」と輝いていたと記憶しています。

寺院では、特に真言宗の古刹を強く守護されている気がします。曹洞宗の永平寺も守られているような気がしました。

男神は、お顔立ちは似ているが、内に強い強いエネルギーを秘めている感じ。

男神の神気は、神社で一番近いと感じるのは、私も崇敬会員をしている東大阪市の石切剣箭神社、奈良県田原本町の鏡作坐天照御魂神社 (かがみつくりにいますあまてらすみたまじんじゃ) 、奈良県吉野郡吉野山の金峯神社ほか。

「龍がわだかまっているような」「内に強い強い神気を持つ」ような感じです。

香川県の金刀比羅宮は、「男神・女神」共に神気を感じます。

2点当ブログで紹介した御神画は、私が持田氏に指示して校正してさらに指示して校正してを繰り返し制作してもらいました。

私はここで紹介した、神社・仏閣は数百社寺になりますが、一回だけの一見参拝じゃなく、御縁が深かった社寺は、何度も、また、何十回も参拝した経験があり、護摩修法などでは、成田山大阪別院や瀧谷さん、南院、七宝瀧寺ほか、何十回も護摩祈祷受けた経験があります。そういうことの積み重ねが、2018年5月の神秘体験に繋がったのかも知れません。

当ブログ最後の記述を書いている今、真後ろでスズメとヒヨドリのヒヨが鳴いてくれました。

つたない文章と、時々脱線して、神仏にはご迷惑をおかけしたことをお詫びしつつ、筆を置きたいと思います。

永い間、ご愛読ありがとうございました。

これから時間は取れるようになりますので、「いいね」押してくれた方々のブログは、時折読ませていただきます。私は遠慮する方なので、あまり積極的に「いいね」押せないかも知れませんが、地道に読ませていただきます。

それでは皆様、お元気で。

重ねて記すと、当ブログで記述した体験談は、すべてが事実であり、真実です。

日本の「国母・・・ミカシキヤヒメ (ウカノミタマ女神 弁天さん)」、「長い黒髪、黒くて美しい瞳」。鼻筋通った、「キツネ目美人」「つり目美人」。

日本の「国魂・・・ニギハヤヒノミコト」。同じく「黒髪、黒い瞳」。お顔立ちは、ミカシキヤヒメさまと似ているけど、ミカシキヤヒメさまの方が、より美貌。

日本の「大国魂・・・スサノオノミコト」。

(あとがき)・・・

私が拝謁した女神男神の御神画を、プロの持田氏に有料で製作してもらった時のエピソード。

女神「一重切れ長の美しい瞳に、髪型はこれこれだった」、男神の御顔は「これこれで髪型はこれこれだった」と御顔の特徴と放たれている清浄なオーラ等、文面で伝えて製作に入ってもらい、ラフ画の一番最初は「全く似ていない絵」がメールで送られてきて、それから色々と修正箇所を事細かく指示し、二作合わせて校正すること数十回。ようやく雰囲気が似ている御神画になって完成しました。

神々が現れられたお寺 (古代日本の神々ですが、神社じゃなく、お寺の本堂の御本尊に顕れられたのは何度も記述した通り) に寄付金と共に寄贈したら、担当者は喜んでいました。

「まー、なんてお綺麗な」「いや、実際は御神画以上に綺麗だった」「あーそうですかー」

他人に何か伝えるのは、本当に骨が折れる作業です。

なお、当ブログは、無料gooブログであり、gooブログのルールで、自動的に広告が入りますが、これは無料gooブログでは誰でも広告が入ると思います。筆者である私には広告収入は一切ありません。もとより、「私を売り込む意思は全く無し!」

当ブログは、だいたい、一日、100名前後の方が見に来ていて、その1.5倍くらいの閲覧があるみたいです。それが多いのか少ないのかは私にはわかりませんが、当ブログで伝えたことが一人でも多くの人々に伝わることを祈ってます。

2024年9月18日現在・・・神々のルーツ──「祈りの場」から見た古代日本

片岡伸行 著 を読んでいます。

日本の神々と中国・朝鮮半島の関係を調べていた時にネットで知った、「全日本民医連のサイトに連載されていた」記事が本になったものです。わかりやすい本です。

(私個人は、神々が顕れられた成田山大阪別院には、2018年5月を最後に参拝できておりません。御供えと御供養、信心は継続しております・・・・・)

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「凛 (りん) 」とした瞳・・・

2023-07-13 08:01:41 | 日記

「美の女神」「水の女神」とは、言い得て妙です。

はじめは、私にできるとは思っていなかったため、かなり躊躇していたブログ。

比叡山・延暦寺・横川の「元三大師堂」で、執事 (住職) 御祈祷の元、元三大師様の御御籤 (おみくじ) 御指導により、重い腰をあげてのブログ開設。

当ブログで記述した体験談は、すべてが事実であり、真実です。

真言宗智山派大本山・成田山新勝寺・大阪別院・本堂、御本尊・不動明王像から顕れられた古代の女神「ウカノミタマ女神」 (ミカシキヤヒメ・丹生都姫明神・ミツハノメノカミ・豊受大神・イチキシマヒメ・櫛玉姫・三穂津姫・コノハナサクヤヒメ・タマヨリヒメ・瀬織津姫・弁財天・吉祥天、おそらく全て同一の女神) は、何度も当ブログで記述した通り、

「凛 (りん) とした、一重切れ長の綺麗な瞳」の美しい女神である。20歳くらいに見えた。「神々」の生の御神霊を拝んだのは、後にも先にもその一度きりです。

「時が止まったかのような」。

不動明王像を、向かって右側の外陣から眺めている時、

「すっ」と「見目麗しい20歳くらいの女神」が顕れられて、

少し微笑みながら、私の目を美しい瞳で「真っすぐ」見つめておられました。

その慈愛の眼差しを私も見ていて、

(初めて見る御顔だ。ああ・・・お不動様は、やはり女神と習合されていたのか・・・)

と思った瞬間、「すっ」と、お不動さまの中に消えられ、

今度は、「18歳くらいの男神が」顕れられ、同じように私の目を「真っすぐ」微笑みながら見つめておられました。昔から古代の神々のイメージにある、「角髪 (みずら)」には見えなかったし、「顔に入れ墨は無い」、普通の髪型の端正なお顔立ちでした。

が、放たれている「神気」は、女神・男神共に、現代人のオーラとは全く異なり、

「清浄な」「神々しい」「高貴な」神気でした。

お顔立ちは女神とよく似ておられ、直感で「夫婦神」、のち色々考えて、「異母姉弟の夫婦神」ではないかなと思いました。

男神も端正なお顔立ちでしたが、女神の方が、より鼻筋が通っており、目鼻立ちが「はっきり」とした、「小顔で細いお顔立ち」の美貌でした。

「花が咲き誇ったかのような」、「ほんわり」としたオーラでした。

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六観音・・・

2023-07-12 18:51:17 | 日記

観音さん・・・観音経によると、この観世音菩薩 (かんぜおんぼさつ 略して観音さん) の名を唱えて除かれる災難として、(南無観世音菩薩)

火難・水難・風難・刀杖難・鬼難・枷鎖難 (かさなん) ・怨賊難と言う七難に加え、

貪欲・瞋恚 (しんに=怒り) ・愚痴と言う、仏教で言う三毒が取り除かれると言う。

三十三身を現して説法度生すると言う観音。

観音信仰の成立を証するものは、一世紀前半マトゥラ釈迦三尊像の蓮華手像がある。蓮華手の源流は、西暦紀元前七世紀にさかのぼる古代インドの神である。また三十三身の半数は古代インドの神々である。

仏陀・釈尊は、涅槃によって生死 (しょうじ) なき永久に常住する法身 (ほっしん) となって、この世界に説法を続けられるのである。そしてこの世界とは、三千世界を小・中・大の三種合わせた三千大千世界であるから、一世界一仏と言う教説も成立する。そして極悪煩悩を断ちがたい地獄・餓鬼・畜生のたぐいを救うためには、一仏と同心合体して補助をはたす剛柔適切な方便を、倦く (あく) ことなく、極限なく行ずる菩薩の出現が待望されて、観世音菩薩となったのであろう。観音像は頭上に化仏 (けぶつ) と称される小仏像を戴くが、この像は言うまでもなく釈迦像である。・・・後略・・・

六観音・七観音・・・

日本独自の観音信仰の表れである。

「聖 (正) 観音」「千手観音」「馬頭観音」「十一面観音」「准胝観音 (じゅんていかんのん) 」「如意輪観音」「不空羂索観音 (ふくうけんじゃくかんのん) 」を組み合わせて六観音とか七観音とか呼ぶ。

六観音の信仰は、平安時代の十世紀になって、まず天台宗を中心におこったようである。

参考資料・・・大法輪閣「観音さま入門」。

wikiより・・・

「真言系では聖観音十一面観音千手観音馬頭観音如意輪観音准胝観音を六観音と称し、天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。六観音は六道輪廻(ろくどうりんね、あらゆる生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもので、地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音という組み合わせになっている」

私論では、何度も当ブログで記述したように、天台系・真言系の古刹に祀られる観音像は、「日本の古代の神々が習合された (観音像と一体となった) 」御尊像が多いように感じる。

日本の古代の神々と一体となっておられる観音像は、とても神秘的なオーラが出ている。(と私は感じる)

どれだけ僧侶が念を込めて開眼作法 (入魂作法) をしても、日本古代の神々が入っておられない新しい仏像などは、あまりオーラを感じない。

東大寺の「お水取り」・・・NHKが数年前生中継で長い時間放送していたのを生中継で観た時、「厨子 (ずし) 」しか拝めないが、観音像 (確か大小あった気がする) は、ものすごく神秘的なオーラが映像越しに感じられ、「日本の古代の神々が宿っておられる」と感じた。あくまで私見である。

オーラが出ている観音像は美術品でなく、拝礼する対象である。

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生身(しょうじん)の釋迦(しゃか)・・・

2023-07-12 08:15:33 | 日記
生身(しょうじん)の釋迦(しゃか)・・・
 
専門家でも、「ブッダは実在しない」と言う人もいますが・・・歴史上、実在した人物としてのゴータマ・ブッダです。
 
この絵は、何度も紹介した通り、なぜか曹洞宗寺院が持っていることが多いのですが、
 
昔、新聞紙上で、「でかでか」と紹介された、2500年前にお釈迦様の故郷「釈迦国」で描かれた絵だそうです。
 
説明文に古い字体の漢字がいくつかあるので、大正時代なのか、昭和初期か、いつの時代なのかはわかりません。
 
新聞の説明文を全部記述すると、
 
「釈尊は成道後六年、初めて迦毘羅城を訪問す。父淨(浄)飯王を始め、義母波闍波提・耶輪陀羅妃及城中の王族が感激してひそかに出家を志望した。
 
(王、亡きあと波闍波提は出家して大愛道比丘尼となる。)
 
父王は画師に命じ釈尊の生身を墨で冩生(写生)さした。
 
それが此の冩真(写真)である。
 
印度の佛教徒は此を大塔に密封していたが、度重なる乱(戦乱)に此が紛失する事を恐れ、
 
十八世紀に英国が印度を植民統治するに当りロンドン国立博物館に深く秘蔵した。
 
!!杉本記!!・・・」
 
杉本氏とは、記者のことか?・・・
 
太字・下線部部分は古い漢字。(カッコ内は、現代漢字。私が追記したものです)
 
原始仏典は読みかじったことしかないが・・・同じような記述が多数あります。
 
それは、仏典が文字として編纂されるまでの間は、釈尊の時代からしばらくは、「口伝につぐ口伝」で伝えられたため、弟子から弟子、時代から時代へと伝わるうちに、1つのお経が10、20と支流が増え続けたためであると思います。
 
また、釈尊自ら「ご自身以外の仏についても語られている」のであるが、それは、「過去の宇宙期の仏であり」、今の宇宙期の仏ではないと思われます。
 
説明するのは、南伝のどの経典にあるかを資料と共に記せるが、メンドウなので割愛します。
 
無色界の浄悟天だったか?に、釈尊自らテレポートした時に、無数の浄悟天の神々と会話した時に出てくる描写がある。
 
また、原始仏典には、釈尊の「ことば」じゃなく、後の時代のお弟子さんの「ことば」もある程度混じっています。
 
「~と伝えられている」など。その、後のお弟子さんが「もろもろの仏」とか語っているのが、「ブッダは実在しなかった」と誤解を生んだのではないだろうか?
 
仏陀は、実在しました。
 
この絵を見て、仏伝に伝わる釈尊像と「ぴったり合致」することが、目がある人にはわかると思います。
 
曰く「男前」・・・この絵の釈尊も、10人に見せて10人が「男前ですね」と言う。
 
「一日一食しか食べなかった」・・・確かに絵の釈尊は、ヒンドゥーの神々とお顔立ちは似るが、絵の釈尊は「細身」。一日一食しか食べなかったのに、大仏さまのように太っているワケが無い。
 
「王族の顔立ち」、「王の顔」。
 
「目」が・・・完全に「悟りを開いた方の目」。不動で清浄で混じりっ気が全く無く、威厳はあるが威圧は無い。慈悲深い目であるが、まったく「偏りが無い」。梵天も神々も人間も鳥獣も昆虫も、同じ「慈悲の目」で見れる「目」。
 
晩年だったか、入滅前だったか、弟子たちが「お釈迦様亡きあと、われわれはどうすれば良いのでしょうか?」と悲観にくれていた時、
 
「お前たちは全くおかしいことを言う。私はお前たちに私の法を全て教えたではないか。私はお前たちの師であるが教団の頭領(管長)では無い。私が亡くなった後でも私の伝えた法は残る。
 
私の法を見る者は私を見る。私に会いたくなったら、私の伝えた法を思い起こせば私はそこに生きている。怠ることなく精進して修行を完成せよ」と言う意味のことを仰られている。
 
無刀流の創始者であり、江戸・明治と活躍した、「剣・禅・書」の達人、山岡鉄舟が、「ブッダは実在しなかった」と言う意見を聞いたらなんと言うであろうか?
 
「白隠が死んで数百年、そろそろ、そんな化け物が出てきたか」と喝破するのではないだろうか?
 
補足で、現代のインド人やネパール人で、お釈迦様に顔立ちが似ている人間がいないか調べたら、インド人俳優には結構似ている俳優が出てきました。
 
その中で、一番似ていると思った俳優の画像を貼り付けときます。
 
 
なんて俳優かは判りませんが、「眉」「大きな二重の目」「鼻筋」と特徴がよく似ています。坊主頭にして、ヒゲ生やしたら、かなり似ている。ただ、お釈迦様の方が「王の威厳」があります。他にも似ている俳優がいっぱい出てきましたが、この俳優が一番似ている気がしたので紹介しときます。
 
日本は「実在の神」と「実在の仏」が共存している神仏習合の稀有な国。「神」も「仏」も尊ぶ対象であって、決して祈願成就の対象に非ず。
 
「他力本願」では何事もなし得ません。
 
 
 
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ニギハヤヒノミコトの実像・・・

2023-07-12 01:21:54 | 日記

アマテル・・・ニギハヤヒノミコト。

何度か前述した通り、アマテル・クニテル (クニクル?) ・タケテル、親子三神で、

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと) と言う説もあり、

私が見た女神・男神を御神画製作してくれた持田氏は、その説も知ってました。

直感型の私は、知識の方はそれほどでもなく、あくまで、直感が先、後に調べるタイプです。

もともと、古代史ブームの先がけとなったのは、

原田 常治 著「古代日本正史」。

今、手元に本は無いのですが、確か、

※ 古代出雲王朝の王・スサノオノミコトが息子オオトシ (ニギハヤヒノミコト・大物主) を伴ない、九州の邪馬台国を制圧し、女王・ヒミコ (現在の天照大神) を現地妻とし、九州で農業指導をし、オオトシを大和に派遣して日本統一をなし、オオトシはミカシキヤヒメを娶りニギハヤヒと名を改め、後、大物主大神となる。ニギハヤヒノミコトは、その存在をわからなくするため、様々な御神名で各地の神社に祀られていると、各地の神社の伝承から導き出すと言う本だったと記憶しています。

のちに、小椋 一葉 氏が、「消された覇王―伝承が語るスサノオとニギハヤヒ (伝承が語る古代史 1)」でさらに深め、

木村 博昭 氏が、「古代ヤマト王権の縁起と伝承」でさらに深めた感があります。

(全部に賛同するワケではありませんが、よく調べています)

※ 古代日本正史を読んだ数十年前は、私も「出雲」~「九州邪馬台国」~「大和統一」の説が真説なのかと思ってましたが、あれから色々経験して、

スサノオノミコトは元々が九州の人で、「九州」~「出雲」~「ニギハヤヒノミコト大和統一」が正解なのかなと思っています。あくまで「私論」です。

安岡 美典さんの著書も数冊持っていて、中々よく調べておられますが、上の三人が「スパっ」と説明しているのと比べると、資料をもとに説明する箇所が多い特長があります。

また、武光 誠 氏の「古代日本 誕生の謎」「誰が天照大神を女神に変えたのか」も、古代史と神々の誕生 (古代の神道のはじまり) も、わかりやすく説明しています。

もちろん、すべてに賛同するワケではありません。

直感型の私は、「そこは違うのでは?」と思う所もあったりはしますが、それぞれの本を読んでいけば、だいたい、大まかにわかってきます。

ただ、一番読みやすく、わかりやすい原田説と、木村博昭説を参考にすれば・・・

親神「ニギハヤヒノミコト」と御子神「ウマシマチノミコト」は同一神と言うことになりませんかね?

ネットでウマシマチノミコトを調べている時、ウマシマチノミコトの「絵」があり、別の時に調べていたら、その同じ絵が「ニギハヤヒノミコト」の「絵」として出ているのを見ました。どこの資料かはとっくに忘れましたが・・・。

「アマテル」「天照 (あまてる)」「海照 (あまてる)」・・・

個人的には、寺院の方が詳しい私としては、

日本の神々は、「スサノオノミコト」「ニギハヤヒノミコト」「ミカシキヤヒメノミコト」が、常に様々な名の仏・菩薩・明王・天として、主要な寺院 (主に天台宗・真言宗・華厳宗・法相宗) でお祀りされていると思います。

三神が一体となった神仏では、比叡山の、「細身の三面大黒天」・・・中央の白いおヒゲを生やした好々爺がスサノオノミコト (大黒天) 、弁財天がミカシキヤヒメノミコト、毘沙門天がニギハヤヒノミコト。

あと、「蔵王大権現三体」。

バラバラの権現さんでは、蔵王権現 (一体だけの場合) ・・・スサノオノミコト。金毘羅大権現・・・ニギハヤヒノミコト。

清瀧大権現・・・ミカシキヤヒメノミコトと思っています。

追記・・・現代人が全く「霊感」「直感」が無くなり鈍くなった原因は、「明かり」です。江戸時代までは、夜は街灯も無ければ懐中電灯もない。家の明かりは薄暗い灯のみ。夜は闇の世界なので、誰しも鳥獣や昆虫のように「五感が研ぎすまされ」、「第六感」はひとりでに磨かれていました。

しかし現代は、夜は町ならどこでも明るいし、家の中も明るい。「静寂」そのものだった昔の時代と違い、現代は深夜でもテレビ・ラジオがある。

こういう生活空間が変化したところに、人々の中から「第六感 (霊感や直感) 」が埋もれてしまった原因があるのです。第六感が鈍くなったから、人々の神仏への信仰心が無くなっていったのです。

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