現代語佛教聖典 (釈尊篇) 日本仏教文化協会より。
戒律。
ブッダが、弟子バッダリ尊者に対して、「師の戒律を守らぬ者が、さとりを得ようとして森に入っても、師を罵り、同学を罵り、天を罵り、自らを罵るであろうから、勿論さとりを得ようはずがない。それは、戒律を守らぬ者のうける当然の結果である。師の戒律を守る者にして、はじめてさとりを得るのである」。
中略
バッダリ「世尊よ、戒律が多くなって、さとりを開く者が、却って少なくなったのは、どういう訳でありましょう」
ブッダ「バッダリよ、それは善行が衰え、正法が隠れているからである。僧団内部においても、統制を乱す者が現われない間は、罰則を設けなかったが、大きくなるに従って、統制を乱し教えに背く者もでてくるので、自然戒律も増すことになる。バッダリよ、修道者も十法を具えれば、世間の尊敬を受けるに値し、また世間に対しては、無上の価値ある者となる。その十法とは、正しい見解と、思惟と、言語と、行為と、生活と、努力と、観念と、心の統一と智慧及び解脱である」
同じ大乗仏教でも、中国の嵩山少林寺のような武僧も、「自分を救うのは自分自身です。それが仏教です」とテレビで言っていた。彼らも、出家主義は貫いていて、僧である間は全寮制で修行している。味の無い饅頭に、味のない野菜スープ。肉食妻帯はもちろんしない。酒も飲まない。もちろん、還俗する者もいる。
以前、世界の仏教僧のフォーラムのようなものがあり、南伝・北伝の僧侶が一同に会して近況報告していた。
その時、中国の僧侶たちが、日本の寺院制度に対して「日本では、例えば禅宗など、中国の僧でも、しないような厳しい過酷な修行をするが、いざ僧侶の資格を取って自坊に帰って住職になると、在家の人と全く同じ生活をするのは良くない」と言っていた。それを聞いた日本の僧は、「中国の僧だって云々かんぬん」と文句を言い返していた。
ただ、第三者の目から見ると、現在の日本の仏教制度は、完全におかしい。大きな宗派になると、貫主は、「猊下」と言う呼ばれ方をし、権力にしがみつく者も多い。聞くと、「いい人が管長に選ばれると一期で辞め、欲の深い人が無理やりなると、二期も三期も務める」とか。まるで政治の世界である。
明治以降、坊さんは在家の俗人になったのだから今更仕方ないが、
せめて「不殺生戒 (生き物を殺さない) 」や「不妄語戒 (ウソをつかない) 」の二戒くらいは守ってほしいものである。
一般人の私でもできるくらいであるから、これくらいは簡単であろう。
私は、虫一匹殺さない。だから、どんな虫にも好かれるが・・・運転中の車にダイブしてくるのだけはやめて欲しい。急ブレーキの嵐になるから。
・・・・・