皆様こんばんは。
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奈良市の法相宗大本山・薬師寺の「修二会 (しゅにえ)」の御案内です。
うちは真言宗ですが、日本仏教界では、華厳宗大本山・東大寺と並んでツートップと思っている薬師寺。
2つとも、平安仏教である天台宗と真言宗よりも古い宗派です。
薬師寺・東大寺共に、神社も密教もあります。薬師寺には修験もあります。
修二会と言えば、東大寺の「お水取り」が有名ですが、薬師寺にもあります。
こちらは、修二会 花会式 (薬師寺悔過法要) と言い、僧侶が万民の日頃の悪行を仏に懺悔し、天下泰平・国家繁栄・万民豊楽・鎮除疫病を祈る行です。
3月25日から31日の一・七日間。
修二会 花会式、ご結縁のお願い (薬師寺より)
1口千円~。3口以上、5口以上、10口以上、30口以上と、法要後にもらえる「御守」が違います。3口以上で肌守りに牛玉宝印護符 (ごおうほういんごふ) がつきます。1口だと肌守りだけ。
牛王 (牛玉) 宝印とは、牛頭天王=スサノオノミコトの護符です。
牛王宝印は、神社だけでなく、寺院でもあります。この牛王宝印がある寺院は、スサノオノミコト (牛王さん) の守護下にある寺院と言っても良いのではないでしょうか。
薬師寺・・・0742-33-6001
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高野山の檀信徒は、観光客をのぞけば、意外に壇上伽藍にも参拝スポットがあるのを知っている。
観光客は総本山・金剛峯寺、奥之院は観光客と檀信徒+お大師の信徒、
壇上伽藍は観光客と高野山 & お大師の信徒。
中でも一番不人気なのは、壇上伽藍。
しかし、知る人ぞ知る穴場である。
一山の総鎮守である御社と山王院、お大師が祀られている御影堂 (みえどう) 。
高野山には「修行道場の真別所以外には、お釈迦様は祀られていない」と思われがちだが、 「六角経蔵」には、宝冠釈迦如来坐像が祀られていると言う。(見れない・・・たぶん)
それと・・・これまた、知る人ぞ知る「蓮池」。(さっきから、これ書いている間、ハシブトガラスのリキたちが、やたら後ろで機嫌よさげに鳴いている)
「蓮池」には、善女龍王尊が祀られている。
善女龍王は、法華経に登場する仏教守護神の龍王で、
善女龍王像 長谷川等伯・画 安土桃山時代 七尾美術館蔵 (画像はウィキより)
日本では神仏習合して、スサノオノミコトの妃、クシナダヒメと見なされることもあったそうである。(異説あり)
「ほんわり」とした、優しい柔らかいオーラが出ている、お社である。
私論では、クシナダヒメ説もあるだろうと思うが、私個人は「ミカシキヤヒメ」(高野山で言えば、ニウツヒメ明神) と善女龍王の習合した「女神」であると思っている。
東大阪市・石切剣箭神社 (いしきりつるぎやじんじゃ) の、「水神社」とよく似たオーラを感じる。愛媛・石鎚神社の「厳島社」、昔行った広島県・宮島の弥山参道沿いにあった「滝神社 (確かスサノオノミコトとタギツヒメノミコト) 」ともよく似たオーラを感じる。「ほんわり」「優しい」感じ。(今、後ろで、今度はハシボソガラスのテツたちが鳴いた)
「蓮池」の善女龍王が日本の女神と習合しているのは間違いない。
ちよっと前、檀上に毎月寄付していて、その中から5千円ほど「蓮池さまの修復に充てていいですか?」と金剛峯寺の職員から聞かれ、「いいですよ」と答えて後、「善女龍王尊の御神札」を御礼に送って下さり、今でも神棚にお祀りしている。
はっきりと、「善女龍王 清瀧大権現 (せいりゅうだいごんげん) 」と書かれている。(権現と言う御神名がつけば、寺が否定しようと、神社が否定しようと、「日本の神」である。「日本の神が、仏教寺院で祀られ、仏と習合した場合、権現と言う尊称になる。今、真後ろでスズメたちが「大はしゃぎ」している)
「蓮池」も行ったことがある人はわかると思うが、なんの先入観もなく、立て看板の由緒も読まず、初めてお参りしたら・・・たいていの人は、「イチキシマヒメノミコト (弁天さん) 」と思うのでは。
御真言は、「オン メイギャシャニエイ ソワカ」。(八大龍王の御真言。高野山教報に載っていたので、善女龍王で唱えても良い?)
女神が神仏習合している仏尊は、弁天さま、吉祥天さまとか、御真言に「エイ」が入る仏尊が多いと前述しているが、善女龍王尊も、やはり「エイ」が入っている。
ちなみに、檀上には、元からある「蓮池」さま以外にも、清瀧大権現を祀る祠があるみたいで、そちらはここで書いている「ほんわりオーラ」の清瀧大権現 (善女龍王) とは違うので注意!
あとがき・・・「お釈迦様」は、高野山では一山の本堂である金堂 (檀上) の後ろ側に仏画でおられる。安彦良和先生の漫画「神武」で、大物主 (オオドシ・ニギハヤヒノミコト) が、兄イタケルと、ツノミ (タケツノミ) と会話するシーンがあり、その時の大物主の厳しい表情とよく似た「釈迦如来仏画」である。
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物事には、全て原因がある。
原因 (因) が、縁を呼び、結果を生む。
これが、仏教 (真理) の基本である、「因縁果」の法則。
基本中の基本であるのであるが、仏教とは全く相容れない真逆の思想が入り始め、明治で神仏分離 (神仏破壊) 、そして現在は、アメリカナイズされて久しく、
もはや「なんでもアリ」の日本。
腐敗した政治の現実を、日々更新されながら見せられている現況である。
さて、仏教の「因縁」(因果律=因果の法則) であるが、
全ての事象には必ず原因がある。
美人・不美人、美男・不美男、金持・貧乏、天才・凡才、道徳・非道徳、恵まれた環境・恵まれない環境・・・など、すべて「自分自身に原因がある」。
画像は、ウィキより。チベット仏教の六道輪廻の仏画。
真理そのものである仏教は、輪廻転生を説く。その他のインドの宗教でも説くが、それらはお釈迦様の教えを参考にマネしたものに過ぎない。(お釈迦様以前から、そういう思想はあったのだろうが、完全に解析して説明して顕にしたのは、お釈迦様が初めて)
お釈迦様の場合、菩提樹下での悟りで、あらゆる体験をしておられる。
2500年前に釈迦国で描かれた41、2歳頃のブッダ。
お釈迦様の開いた悟り (真理) は、想像を絶するもので、過去記事に詳しく書いてあるので読んでみてください。
そのうち、「宿命通 (しゅくみょうつう) 」は、お釈迦様御自身の過去世・・・10生・100生・千生・万生・・・無始の昔から無限の過去世を思い起こした。
当然、今の宇宙期より前の宇宙期、その前の宇宙期、そのまた前の宇宙期と・・・想像を絶する途方もなく長い時の流れの中の無限の過去世を思い出した。幾多の宇宙の生成・壊滅も想起した。
そして、天眼通では、あらゆる人々、あらゆる生物の過去世、輪廻転生を見た。
これらは、お釈迦様の悟りの一部であるが、これらの悟りの内容を整理した結果、お釈迦様の弟子や信徒に対する説法の形は、
「対機説法・応病与薬」と言う、「相手の機根 (レベル) に応じて柔軟に変化する形として完成したのである。
アマゾンで買った原始仏典を読みかじると、まるで「宇宙の核が人間の姿になって言葉を発しているかのように完璧」である。
世界中の神々でも、誰も比較できないほど完璧である。大乗経典に登場する教えは、あくまで「方便」であり、ホントのお釈迦様の教えではない。
話が長くなったが、生まれながらに、善き親先祖家に生まれたのは、過去世の「徳」が原因。
生まれながらに、悪しき親先祖家に生まれたのは、過去世の「悪業」が原因。
「仏教はすべてに対して平等である」とは、「誰でも仏さまは救うと言う意味ではなく」、「仏教 (真理) はすべてに対して平等であるがゆえ、あるがままに一切衆生を見る」と言う意味である。罪人でも懺悔すれば受け入れるが、反省しない者は、お釈迦様は「愚かなる者は」と卑下しておられる。
現在の日本は・・・人間の体で例えるなら、
「全身転移の末期がん状態」である。
様々な原因が複雑に絡み合い、今日がある。
国が良くなるためには、国民一人一人の「正しい自覚が必要」。
アコギな政治家を見破れず投票するようでは、まだまだこの国の災難は続く。
野党もショボすぎるが、今の自公などには、力を持たせてはいけない。
最後に、お釈迦さんは、あらゆる「神」の中でも、「全く高ぶらない、偉ぶらない」方ですが、それは、お釈迦さんが唯一実在の「覚者」(ブッダのこと) だからです。
「神」「神々」「神霊」「天」は、ブッダが誕生してもしなくても、人々のいる世界には必ずいます。いつでも、どの世界でも複数多数の神はいます。
ただ、「ブッダ」・・・「覚者」は、滅多に現れない。(誕生しない)
長い「宇宙の輪廻」の、途方もなく長い時間の中でも、お釈迦様含めて、ブッダは「たった7人しか」誕生していない。(25仏説もある)
大乗仏教に登場する如来・菩薩・明王は、ゾロアスターの神々やデェーヴァの神々を仏教に取り込んでつけられた名前であり、実在の仏と言うより、「方便」「信仰としての」「観念の仏」であります。
お釈迦さんでさえ、「天 (神) 」と「人」とを繰り返しながら、転生を重ね徳を積み続け、最後の生でブッダとなった。
ブッダとは、もうその生が最後の生で、神にも人にも生まれ変わることが無い存在。
だから、高ぶらない、威張らない、偉ぶらない。ゆえに、お釈迦様は、梵天にも神々にも人々にも「友よ」と語りかけていたのです。
今日は常楽会です。高山寺の明恵上人 (華厳宗僧侶) が作った声明 (しょうみょう) に、四座講式があり、「涅槃 (ねはん) 講式」「羅漢 (らかん) 講式」「遺跡 (ゆいせき) 講式」「舎利 (しゃり) 講式」から成る四部の講式です。
常楽会 (涅槃会) でよく唱えられるお経に「舎利礼文 (しゃりらいもん)」があります。
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地球 (テラ) へ・・・
竹宮恵子によるSF漫画。遠く離れた未来の物語。
ずいぶん昔、1980年に封切られたアニメ映画を映画館で観た。
友人に誘われて観た映画なのだが、「ミュウ」と呼ばれる新人種 (エスパー。超能力者) の長、ソルジャー・ブルー (300歳くらい。見た目は少年) に強い印象を持った。
あれから相当な年月が経つのに、
ネットでたまたま「地球 (テラ) へ」を見て、
アニメ映画は観たが、漫画の方は読んだことなかったので、
アマゾンで探したら、新品のコミックがあったので買ってみた。
画像が、ソルジャー・ブルー。
ヘッドホン型の補聴器を外したら、「超人ロック」を少女漫画のような感じにした見た目。
ソルジャー・ブルーは優れたエスパーだが、劇中では虚弱体質で早くに亡くなる。
「超人ロック」のような不死・最強ではなく、どこか哀愁漂う雰囲気で、たった一度見た映画の印象が、40年以上経っても強く残っている。
今、一巻を読んでいる最中。
2月16日追記です。
漫画全3巻読破して、映画版アニメのDVDも買って観た。
漫画版 (原作) の方の、ソルジャー・ブルーは1巻の表紙にある通、赤い目の金髪だが、私が17歳の時に観たアニメ映画では、青い髪に青い目。
どおりで漫画のブルーは、違和感があった。
漫画の方は、地球 (テラ) でグランド・マザー (コンピュータ) との闘いに挑んだジョミー・マーキス・シン (ソルジャー・シン) 。そして・・・後に、
エピローグがあり、テラでの戦いの後、テラへ向けて宇宙空間を進む2つの宇宙船。
そこで、2家族がテラを目指していて会話する。
中に、ジョミー・マーキス・シン (ソルジャー・シン) と、フィシスそっくりの子供が出会う。
男の子は、「顔は」、ジョミーに似ているが、最初見た時、
「ソルジャー・ブルー」と「フィシス」の生まれ変わりなのかと思った。
だが、なんとなく引っかかったので、色々調べると、
「ジョミー」と「フィシス」の生まれ変わり説もあり、結局、わからなくなった。
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