ブログ完結に向けて、ストックしていた記事を掲載させていきます。
仏教は「真理」そのもので、宗教ではありません。
そもそも、宗派や流派などは存在しないハズのものです。
が、人類の業なのか、年月が経てば経つほど、源流からは遠ざかる。
上座部仏教 (南伝仏教) は、ネットで調べたりテレビ番組で見たりしたら、今でも250?もの戒律を守って出家主義を貫いているとか。たまに、タイとかで日本人出家僧もいたりするみたいです。
こちらの方が、お釈迦様の仏教に近いとか。タイなどでも、破戒僧は、政府にバレたら、還俗させられるのだとか。
ただ、タイでは今、出家僧が肥満と虫歯に悩まさせていると、テレビか何かで見ました。在家信者は、出家僧の托鉢で、食事を提供して功徳を積むのですが、最近のタイ人信者は、「自分の好物」・・・「甘い2Lジュース」や、「こってり系の食事」を施して、そのためにタイ人出家僧は、虫歯と肥満になっているとか。
「出された施しの飲食は残してはならない」と言うのは日本の禅僧と同じで、甘かろうが、こってりだろうが、甘い御菓子だろうが、飲んで食べなければならないため、タイ人僧侶が虫歯と肥満に悩まされているそうです。
テレビでほかに見たのは、カンボジア僧も、ちょっと前までは、「お金」の代わりに「お米」で受け取っていたのが、最近は、時代の流れからか、「お金」を「お米」代わりに受け取るようになったらしいです。タイやミャンマーも似たような感じかも知れませんが、カンボジアの寺院に信者が、亡き人の供養に訪れた時、「お米」を渡してお願いすると、結跏趺坐したままの若い僧侶 (南伝は、お釈迦様と同じ、半分肩を出したオレンジ色の袈裟) たちが、パーリ語かカンボジア語か判りませんが、法界定印のまま、お経を唱えていました。
私たちの大乗仏教は、デーヴァやアスラの神々を取り入れて諸仏諸尊を形成していった歴史があり、仏教と言うより、在家仏教・・・信仰としての、仏教信仰と言う方が当たっている気がします。
南伝のような、素朴な仏教と違い、特に密教系や禅宗系、それより古い華厳・法相・北法相などの寺院は、「見て拝む」イメージが強いものです。
それは、お釈迦さまご在世の時代でも、様々な階級の神々が、お釈迦さまのもとを訪ねてきて会話し、お釈迦さまに帰依していると言う伝承からも、
大乗仏教の形式も、ある意味正しいと言えると思います。
お坊さんについては、南伝は出家僧。大乗仏教も、中国、韓国の僧侶は出家僧だそうです。中国僧も韓国僧も、テレビとかネットで見たら、男僧か尼僧か、一見しただけでは判らない、細くて色白の小柄の男僧が多い印象です。
禅宗の和尚に教わったのですが、中国の寺院も、共産党に逆らわなければ、寺も僧侶も一応、庇護されているとか。
ただ、観光化していっている実情もあると思います。
・・・今日は、窓から外を見ていると、東側から、トンビの「若」か、もしかすると、ハイタカが切れ込むような飛び方で現れ、西側に着地しました。
すぐ傍の電柱に、トンビの「ニュー」か「殿」のどちらかが留まっていて、その猛禽類を、「じーーーーーーーーーーーーーっ」と、ずっと見ていました。
ここまで気にすると言うことは、ハイタカだったのかも知れません。
体は私の家の方に向いたまま、顔は右に向いたまま、その猛禽類が着地した側を見ていました。傍の電線には、小鳥が一緒に留まっていました。
私が、そのニューか殿かのトンビを見ていると、小蜂や蜂たち、スズメたち、ツバメたちもたくさんやってきました。
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