生身(しょうじん)の釋迦(しゃか)・・・
専門家でも、「ブッダは実在しない」と言う人もいますが・・・ 歴史上、実在した人物としてのゴータマ・ブッダです。
この絵は、何度も紹介した通り、 なぜか曹洞宗寺院が持っていることが多いのですが、
昔、新聞紙上で、「でかでか」と紹介された、 2500年前にお釈迦様の故郷「釈迦国」で描かれた絵だそうです。
説明文に古い字体の漢字がいくつかあるので、大正時代なのか、昭和初期か、いつの時代なのかはわかりません。
新聞の説明文を全部記述すると、
「釈尊は成道後六年、初めて迦毘羅城を訪問す。父淨(浄)飯王を 始め、義母波闍波提・ 耶輪陀羅妃及城中の王族が感激してひそかに出家を志望した。
(王、亡きあと波闍波提は出家して大愛道比丘尼となる。)
父王は画師に命じ釈尊の生身を墨で冩生(写生)さした。
それが此の冩真(写真)である。
印度の佛教徒は此を大塔に密封していたが、度重なる戰 乱(戦乱)に此が紛失する事を恐れ、
十八世紀に英国が印度を植民統治するに当りロンドン国立博物館に 深く秘蔵した。
!!杉本記!!・・・」
杉本氏とは、記者のことか?・・・
太字・下線部部分は古い漢字。(カッコ内は、現代漢字。私が追記したものです)
原始仏典は読みかじったことしかないが・・・ 同じような記述が多数あります。
それは、仏典が文字として編纂されるまでの間は、 釈尊の時代からしばらくは、「口伝につぐ口伝」 で伝えられたため、弟子から弟子、 時代から時代へと伝わるうちに、1つのお経が10、 20と支流が増え続けたためであると思います。
また、釈尊自ら「ご自身以外の仏についても語られている」 のであるが、それは、「過去の宇宙期の仏であり」、 今の宇宙期の仏ではないと思われます。
説明するのは、南伝のどの経典にあるかを資料と共に記せるが、 メンドウなので割愛します。
無色界の浄悟天だったか?に、釈尊自らテレポートした時に、 無数の浄悟天の神々と会話した時に出てくる描写がある。
また、原始仏典には、釈尊の「ことば」じゃなく、 後の時代のお弟子さんの「ことば」もある程度混じっています。
「~と伝えられている」など。その、後のお弟子さんが「 もろもろの仏」とか語っているのが、「ブッダは実在しなかった」 と誤解を生んだのではないだろうか?
仏陀は、実在しました。
この絵を見て、仏伝に伝わる釈尊像と「ぴったり合致」 することが、目がある人にはわかると思います。
曰く「男前」・・・この絵の釈尊も、10人に見せて10人が「 男前ですね」と言う。
「一日一食しか食べなかった」・・・確かに絵の釈尊は、 ヒンドゥーの神々とお顔立ちは似るが、絵の釈尊は「細身」。 一日一食しか食べなかったのに、 大仏さまのように太っているワケが無い。
「王族の顔立ち」、「王の顔」。
「目」が・・・完全に「悟りを開いた方の目」。 不動で清浄で混じりっ気が全く無く、威厳はあるが威圧は無い。 慈悲深い目であるが、まったく「偏りが無い」。 梵天も神々も人間も鳥獣も昆虫も、同じ「慈悲の目」で見れる「 目」。
晩年だったか、入滅前だったか、弟子たちが「お釈迦様亡きあと、 われわれはどうすれば良いのでしょうか?」 と悲観にくれていた時、
「お前たちは全くおかしいことを言う。 私はお前たちに私の法を全て教えたではないか。 私はお前たちの師であるが教団の頭領(管長)では無い。 私が亡くなった後でも私の伝えた法は残る。
私の法を見る者は私を見る。私に会いたくなったら、 私の伝えた法を思い起こせば私はそこに生きている。 怠ることなく精進して修行を完成せよ」 と言う意味のことを仰られている。
無刀流の創始者であり、江戸・明治と活躍した、「剣・禅・書」 の達人、山岡鉄舟が、「ブッダは実在しなかった」 と言う意見を聞いたらなんと言うであろうか?
「白隠が死んで数百年、そろそろ、そんな化け物が出てきたか」 と喝破するのではないだろうか?
補足で、現代のインド人やネパール人で、お釈迦様に顔立ちが似ている人間がいないか調べたら、インド人俳優には結構似ている俳優が出てきました。
その中で、一番似ていると思った俳優の画像を貼り付けときます。
なんて俳優かは判りませんが、「眉」「大きな二重の目」「鼻筋」と特徴がよく似ています。坊主頭にして、ヒゲ生やしたら、かなり似ている。ただ、お釈迦様の方が「王の威厳」があります。他にも似ている俳優がいっぱい出てきましたが、この俳優が一番似ている気がしたので紹介しときます。
日本は「実在の神」と「実在の仏」が共存している神仏習合の稀有な国。「神」も「仏」も尊ぶ対象であって、決して祈願成就の対象に非ず。
「他力本願」では何事もなし得ません。
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