タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

羽虫のコッチ逃がす・・・

2023-05-31 18:30:36 | 日記

当ブログでよく紹介している「羽虫のコッチ」。あまり数は多くいない。夏場?朝、網戸に留まっている。私が歩いていると、「つい~っ」と飛んできて近寄ってくる。「8の字飛び」「くるくる飛び」「ホバリング」が得意で賢い。素早く消えることもある。

先日、車の中に、コッチとは別種の羽虫さんが入っていた。逃がそうと窓開けたりドア開けたりした。

翌日も気になったのでドア開けると、まだいた。その後逃がしたつもりだったが、昼過ぎまた気になったので、ドア開けると、飛んで出ていった。

で、本家「羽虫のコッチ」・・・当ブログで「いいね」を時折入れてくれる従兄の話。(うちのフォロワーaozora39さん) 

従兄には私がよく「羽虫のコッチ」の話をしている。

すると、昨年くらいからか、勤め先の会社に「羽虫のコッチ」が住み着くようになり、私から聞いた「半切り柑橘類」を置いていたら、やはり食べているそうである。

ある時は、「コッチ」が従兄の眼前に、ゆっくり近づいて来て、従兄がボールペンを差し出すと、なんとペン先に留まったのだそうである。

従兄はそのままコッチを半切りミカンに降ろし、コッチはミカンを食べていたのだとか。

ここのところ姿を見せなくなったので、柑橘類を取り換えずに「かちかち」になったまま置いていたら、まるでリクエストするかのように、久しぶりに目の前を「つい~っ」と飛んだそうである。

従兄は新しい柑橘類を置き換えたそうである。

私の方でも似たような感じであるが、また先日、別種のコッチが網戸に留まっていた。

以前書いたように、「手を振ってくれた」、白い羽虫さんで、コッチより少し大きく5ミリ弱くらい。

横向きで網戸に留まっていたが、やはり、「両前足を振っている」。

もしかして触角を動かしているのかと近寄って見てみるも、やはり、両前足を振っている。

さらに近寄ると、飛んで逃げた。

そして、車のドアを開けると車に乗り込んできて、逃がそうとする私と「すったもんだ」した。

「ちゃんと逃げれたかな」と思いドアを開けて確かめると、「すう~っ」と目の前を飛び去った。

「ボクはちゃんと脱出したよー」とでも言うかのように。

昆虫たちも、いろいろ見ていると、それぞれ賢い。

では何故、弱肉強食なのかと言えば、自然界の生物は、全員知恵者だから。

生物界は「知恵比べ」。

最強のイヌワシがいつも満足できるくらい食べれるかと言えばそうでもない。トンビの方が食べている。

ノコギリクワガタが樹液を独占できるかと言えば、そうでもない。オオスズメバチたちに木からよく落とされている。

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サンユッタ・ニカーヤ ブッダ 神々との対話・・・

2023-05-30 07:55:22 | 日記

昔、アマゾンで買った本です。

「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ」。原始仏典のうち、ブッダが神々と対話した記録集。無作為に選んで記していきます。読みやすいよう、多少アレンジしています。

「孤独な人々に食を給する長者」・・・

「傍らに立った〈孤独な人々に食を給する長者〉という名の〈神の子〉は、お釈迦さまのもとで、

「ここは、健やかなジェータ林である。仙人の集いが住み着いている。(仙人・・・ブッダと弟子たち)

真理の王 (ブッダ) が来り住みたまう。

私にますます喜びを起こさせる。

行為と知識と理法と戒律と最上の生活と   

これによって人々は清められる。種姓によるものでもなく、また財産によるのでもない。

それ故に、賢者なる人は、自己のためになることを見て、真理を正しく思考せよ。

このようにしたならば、人はそこで浄められる。

サーリプッタのように、智慧と戒律と心の静かな安らぎによって彼岸に達した修行僧は、

これだけでも最上のものとなるであろう」

※ 彼岸・・・修行が完成して涅槃に入ったこと。

〈孤独な人々に食を給する長者〉という名の〈神の子〉は、このように言い、お釈迦さまに敬礼して、右回りの礼をして、その場で消え失せた。

そこでお釈迦さまは、その夜が過ぎてから、修行僧たちにそのことを話された。

「修行僧たちよ。この夜、或る〈神の子〉が、夜が更けてから、容色麗しく、ジェータ林を遍く照らして、私のもとに近づき、私に敬礼して、傍らに立ち、私のもとで、これらの詩をとなえた。

『ここは、健やかなジェータ林である。仙人の集いが住み着いている。(仙人・・・ブッダと弟子たち)

真理の王 (ブッダ) が来り住みたまう。

私にますます喜びを起こさせる。

行為と知識と理法と戒律と最上の生活と   

これによって人々は清められる。種姓によるものでもなく、また財産によるのでもない。

それ故に、賢者なる人は、自己のためになることを見て、真理を正しく思考せよ。

このようにしたならば、人はそこで浄められる。

サーリプッタのように、智慧と戒律と心の静かな安らぎによって彼岸に達した修行僧は、

これだけでも最上のものとなるであろう』

その〈神の子〉は、このように言った後で、私に敬礼して、右回りの礼をして、その場で消え失せた」と。

それを聞いた、尊者アーナンダは、お釈迦さまに、

「お釈迦さま、彼はおそらく、〈孤独な人々に食を給する長者〉という名の〈神の子〉だったのでしょう。実在していた人物としての〈孤独な人々に食を給する長者〉と言う資産家は、尊者サーリプッタを生前信仰していました」と。

「みごとだ。みごとだ。アーナンダよ。推測によって達し得る限りのことを、そなたは達成した。彼はおそらく〈孤独な人々に食を給する長者〉と言う〈神の子〉なのだ」

※ みごとだ。みごとだ。・・・善きかな。善きかな。・・・真言宗の回向で必ず唱える「般若理趣経」には、「善哉・・・ぜんざい」・・・真言宗の発音では「せんざい」と聞こえる・・・がクライマックスで何度も出てきます。

「せんざ~い せんざ~・・・い せんざい せんざい せんざあ~い」と言う風に・・・この「せんざい」「ぜんざい」の語源が、お釈迦さまがお弟子を褒める時に「よきかな よきかな」と言われたところにあるの「だと」思います。

ちなみに、般若理趣経は、得度受戒した坊さんしか唱えられないので、われわれ檀信徒は唱えません・・・と言うより、長すぎてハナから唱えようとは思いません ※

この「神の子」は、スダッタ長者のことですかね? 有名な方で、在家仏教者が目指す最上の存在と言えば、スダッタ長者と、チッタ長者 (維摩居士のモデル?) です。

以下、ウィキより。

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ、Jetavana-vihāra)、正式名:祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)

スダッタ(Sudatta シュダッタ、音写:須達多須達など、訳:善施など)は、コーサラ国のシュラバスティー(舎衛城)の富豪・長者。祇園精舎を建立し寄進した。彼はよく孤独な貧者に食物などを施したので、給孤独(アナータピンディカ, Anathapindadasya[1])と呼ばれていた。

彼はある日、マガダ国に赴き、その地にあった竹林精舎で釈迦仏の説法を聞くと深く敬信の心を生じ、釈迦仏に舎衛城への遊化に来てほしいと請い願った。彼はそのために精舎を建立する願を立てると、すぐに探しついに祇陀ジェータ)太子が所有していた林苑を見つけ、ジェータ太子に譲ってほしいと頼んだ。するとジェータ太子は冗談で「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と言ったら、シュダッタは本当に金貨を敷き詰め始めたためジェータ太子は驚いて、土地を素直に譲りさらに自らも樹木を寄付して寺院建設を援助した、という逸話がある」

また彼は死んで兜卒天に生じたといわれている。

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念仏はライオンに効くか・・・

2023-05-28 17:56:35 | 日記

以前テレビ番組で、「念仏はライオンに効くか」試していました。

呼ばれたのは、禅宗の坊さん。(曹洞宗)

最初に草食系で試してましたが逃げられてました。

本番のライオン。

飼育員が肉を与えると、オス・メスで取り合いに。

そのとき、曹洞宗の坊さんが、

「南無~釈迦~牟尼~仏」(なむ~しゃか~むに~ぶつ)と唱え始めます。

すると、肉をくわえていたライオンたちは、神妙な面持ちで聞き入っている感じでした。

面白かったのは、でっかい肉をくわえていたメスライオンが、肉くわえたまま、「伏せのポーズ」になっていたことです。

ネコ科猛獣のライオンが、「犬みてえだな」と思いました。

追記で、29日・・・久しぶりにトンビの「殿」がやってきました。

電柱に「ニュー」が留まっているので行ってみると、ニューではなく、「殿」でした。大殿か殿かは判別つきませんでしたが、オスのトンビの中では大きめです。珍しく、隣にメジロちゃんか何かの小鳥が留まっていました。

後でまた見ると、殿と小トンビが並んでいました。その後見ると、エビ尾と小エビに入れ替わっていました。トンビマジックです。

追々記です。

29日の七時過ぎ、私は寝っ転がってニュースを「聞いた」いたのですが、(観ずに聞く) 、近くで「ぴろろ♪」とトンビの声がする。辺りは暗くなってきていたので、空耳だろうと無視していると、何度か「ぴろろ♪」。

窓から外見ると、トンビが二羽、低空で舞っていて、私に気づくとしばらく舞った後、帰っていきました。

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真理のことば 感興のことば26・・・

2023-05-27 00:00:30 | 日記

ブッダの、

「真理のことば (ダンマパタ) 感興のことば (ウダーナヴァルガ) 」より。

原始仏典のうち、ブッダの教えを集めたもの。

無作為に選んで書き記します。 最終回です。今回の「ことば」も、当時の出家弟子向けに説かれたものを選出しています。われわれ一般人には難しい「ことば」です。

「生存に対する妄執を断ち切り、実体についての固執を断ち切った修行僧にとっては、生れをくり返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を繰り返すことはない」

「戒めを保っているいる人は修行僧であり、空を体現している人は瞑想者であり、専念している人はヨーガ行者であり、ときほごされて「やすらぎ」に帰しているところには安楽がある」

裸の行も、髷 (まげ) に結うのも、身が泥にまみれるのも、断食も、露地に臥すのも、塵や泥を身に塗るのも、蹲 (うずくま) って動かないのも、   疑いを離れていない人を浄めることはできない」

※ 下線部 当時、仏教僧以外の行者たちが行っていた苦行のことと思います。

「身は飾っていたとしても、徳を行じ、耐え忍び、身をととのえて、慎み深く、行いが清らかで、生けとし生けるものに対して暴力を用いない人こそ、〈バラモン〉とも、〈道の人〉とも、また〈托鉢遍歴僧〉とも言うべきである」

或る修行者・バラモンたちは、迷いの生存のうちに執著していて、煩悩の汚れを滅ぼすに至らないうちに、途中で没落してしまう」

或る修行者・バラモンたちは、迷いの生存のうちに執著していて、互いに異論をいだいて論争する。これらの人々は愚者であり、一方だけしか見ていないからである」

※ 下線部、ここで言うバラモンとは、「道の人としてのバラモンではなく、カーストとしてのバラモン」のことと思われる。

「愚か者よ、螺髪 (らほつ) を結んで何になるのだ。かもしかの皮をまとって何になるのだ。汝は内に密林 (=汚れ) をいだいて、外側だけを飾っている」

「螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのではない。生まれによってバラモンなのではない、と伝えられている。真実と理法とを守る人は、清らかである。彼こそ (真の) バラモンなのである」

※ 螺髪とは、わかりやすくいえば、大仏さまや如来像の、パンチパーマみたいな髪型・・・です。当時のバラモン階級の人たちは、螺髪を結っていたのでしょうか。

「人は水によって清らかになるのではない。人々はここで大いに沐浴している。真実と理法とを守る人は、清らかである。彼こそ (真の) バラモンなのである」

※ 今でもインドでは、ヒンドゥー教徒がガンジス川で沐浴しています。罪が浄化されると言うわけですが、ブッダは、「沐浴しても罪は消えない」と喝破されています。

実際、コロナ下の中、ガンジス川でものすごい数のヒンドゥー教徒たちが沐浴して・・・インドでコロナの感染爆発が起きました。

また、昔、真言行者と修験者が滝行や川で行をしているのに立ち会ったことがあります。定期的にやっていたそうですが・・・いい人たちではありますが・・・す凡夫でしたよ。

「もしもバラモンが自分のつとめに関して彼岸に達した (=完全になった) 時には、真理を観ずる彼にとって、一切の縁は消滅するであろう」

「もしもバラモンが自分のつとめに関して彼岸に達した (=完全になった) 時には、真理を観ずる彼にとって、一切の煩悩の汚れは消滅するであろう」

「もしもバラモンが自分のつとめに関して彼岸に達した (=完全になった) 時には、真理を観ずる彼にとって、彼の束縛の絆は全て消滅するであろう」

「もしもバラモンが自分のつとめに関して彼岸に達した (=完全になった) 時には、真理を観ずる彼にとって、彼は生まれと老いと死とを超えるであろう」

「太陽は昼に輝き、月は夜に照し、武士は鎧を着て輝き、バラモンは瞑想に専念して輝く。しかしブッダは常に威力をもて昼夜に輝く」

以上、「真理のことば (ダンマパタ) 感興のことば (ウダーナヴァルガ) 」の紹介終わります。

全体的に、ブッダ自ら語られたことばに加え、後々のお弟子さんの語られたことばが集積されたお経のような気がします。

これ以降は、「サンユッタ・ニカーヤ ブッダ 神々との対話 悪魔との対話」を紹介します。

・・・帰宅時、カーポートに車を入れた瞬間、かわいらしい「カゲロウさん」が飛んできて窓につきました。なにカゲロウかは判りませんが、白いカゲロウさんです。

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130頭の犬と猫が銃殺されました

2023-05-26 18:04:07 | 日記

署名サイト

Change.org

からの転用です。どうぶつ基金の佐上 邦久さん の話です。

私も、どうぶつ基金の会員です。

 「 昔の話でも、遠い外国の出来事でもありません。
 ほんの数年前、2016年の日本の現実です。(内訳 ノイヌ17頭 ノネコ113頭 環境省の狩猟統計より)

 ほとんどの方がご存じない衝撃の事実だと思います。

 動物愛護の気運が高まり、2022年度の1年間の動物愛護管理法違反事件は166件。
殺傷に至らない、
遺棄や劣悪な環境での飼育といった行為も検挙され、不十分とはいえ
愛護動物は法律上守られています。

ところが、同じ犬・猫をノイヌ・ノネコという狩猟鳥獣として
ライフルや散弾銃で銃殺することは合法なのです。
警察が検挙することも
ニュースで報じられることも、裁判にかけられて罰せられることも一切ありません。

愛護動物である犬・猫と狩猟鳥獣であるノネコ・ノイヌは生物分類上・遺伝的に何の違いもありません。
元は人間が飼育していた犬猫が逃げたり
無責任に遺棄された結果発生したと考えられています。

ノネコ・ノイヌと分類されるだけで
何故これほど彼らの生命は軽んじられなければならないのでしょう。
極めて不合理で残酷です。

 私達は動物の犠牲をゼロにして生きることは非常に困難です。

 当たり前のように利益を享受している医学や生命科学の発展の裏で、動物実験の名の下に沢山の罪なき命が奪われています。

どこにでも好きな所に行き
どこででも必要な物が手に入る便利さ。
物流・人流の発達の恩恵に浴している人間は、線路や道路を通す為の環境破壊で住処を無くし
ロードキルで命を落とす動物達にとっては加害者です。

伴侶動物である犬・猫のフードも誰かの命でした。

全ての命の犠牲を無くすことはすぐには難しいてすが、先ずは明らかに犠牲になる必要のない動物たち。
1番身近な、家族として慈しんでいる方の多い犬・猫の命を大切にするよう
声を上げていきませんか?

ノイヌ・ノネコを狩猟鳥獣から除外することを求める署名にご賛同下さい。」

・・・今日の世界災害ニュースは、「フランス、大雨とヒョウが降る」。

毎年、日本及び世界各地の自然災害は、臨界点に達しつつあります。

・・・・・


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