ゆっくりあっちゃんの毎日 

今は、時間的ブルジョワを楽しむ日々。いろいろなことに興味を持ち実践する毎日。

紅葉の鶏足寺

2017-11-17 14:52:54 | 近江のかくれ里めぐり
11月5日。紅葉で有名な鶏足寺に米原駅からSLに乗って行ってきました(^_-)-☆
SLは、幼き頃のかすかな思い出が残っているが、初めてに等しい乗車。沿線には撮影のための人々が待ち構えていた。実際に乗るより外から眺める方がSLの雄姿を楽しむことが出来る。







こんなかわいいゆるキャラが出迎えてくれた。(長浜駅)ここからバスで鶏足寺に向かった。本格的な紅葉シーズンに少し早かったが大勢の参拝客で列がなされていた。












鶏足寺の仏像(本尊の十一面観音像、七仏薬師像)は、己高閣に安置されていて、本堂まで登っても写真があるだけ。少しがっかりだが、住職がいないなので仕方ないのだそうだ。少し早いとはいえ、いいお天気に恵まれ、紅葉を楽しむことが出来た。この後余呉で松茸一杯のすき焼きをいただいた。幸せな秋の一日(^^♪

石塔寺・惟喬親王伝説のかくれ里 君ヶ畑 

2017-03-25 22:39:30 | 近江のかくれ里めぐり
春分の日も過ぎ、春らしい3月25日。白洲正子の世界を旅する文学の旅に参加した。東近江市観光協会の主催の旅で地元ではなく遠くは大阪・京都から、県内では大津・草津・守山等白洲正子の「近江のかくれさと」に魅せられた24名。残念ながら、道が細くて大型車が入らず小型バス。そのせいでキャンセル待ちもあるほどの人気の旅となった。

今回の旅案内人は、いかいゆりこ先生。古典口座「奥の細道」で私は生徒。

近江八幡駅を10:00にスタート。一路東近江市に向かう。40分。

まずは、阿育王山(あしょかおうざん)石塔寺(いしどうじ)。私は3度ほど訪れている。参加の大半の方がここがよかったというほど印象的な寺である。というのは、受付を過ぎるとまず目に入るのが150数段のまっすぐな階段(いかいゆりこ先生は実際に数えられたそうな)





急な坂でもうダメって思いながら到達すると突然広がる空と共に、我々を圧倒する高さの石の三重塔が。国指定の重要文化財。朝鮮半島の雰囲気?境内にある数万基の石塔群にも驚く。この何とも言えない雰囲気が私は大好きである。奈良時代前期建立。石造層塔としては日本最古であり、石造三重塔としては日本最大。高さ7.6m。石材は花崗岩。三重塔の周りに石仏・石塔群の八十八カ所めぐり(?)気持ちのいい散歩道であった。





階段を下ると左手に本堂がある。ご本尊は開扉されていないので見れなかったが十一面観世音菩薩はその前に立たれていた。本堂の右手にシャクナゲ?と思われた大きな木があった。受付で尋ねるとそれは泰山木だという。6月に大きな白い花を咲かせるとのこと。

ここから永源寺方面に向かう。永源寺ダムを左手に見てバスは進むが道はだんだん細くなってきた。今回の大きな楽しみの一つ、昼食どころの「日登美山荘」に40分ほどで到着。築二百年の古民家。毎日一組しか泊めないというこだわりのところ。イワナ料理、地元食材豊かなランチをいただくことになった。





イワナの甘露煮・焼き物は川魚特有の臭みもなく頭からしっぽまで美味しくいただいた。


生簀には、イワナが泳いでいた(^^♪

永源寺こんにゃく・卯の花・お浸し・レンコンきんぴら・ひじき・丁子麩等々おなか一杯。囲炉裏や、タンス、など古民家らしい家具の中で癒されるひと時。



美味しい郷土料理を完食。



ここを癒す囲炉裏の火は、少し肌寒い我々を心地よく出迎えてくれた。

食後に訪れたのは、木地師資料館・筒井神社。資料館は、3月末まで閉館?看板にそうあった。




しかし、今日は特別拝観。なぜなら地元東近江市の観光協会の主催だからである。ろくろを使った全国の伝統ある木地製品をはじめ、木地師の伝統や文化を今に伝えている氏子狩帳や往来手形などの古文書類の数々が展示されていた。すごい!資料の数々。なぜかこけしがたくさん?これは、木地師の歴史を聞くとわかってくる。かつては、庶民の食器は白木の器だった。これを作っていたのが木地師だった。この地の木材を取りつくし、木材を求めて日本全国に木地師が散らばっていったとのこと。また、惟喬親王のおかげで木地師たちにはいくつかの特権が朝廷から与えられていたようである。東北のこけしも木地師の仕事。資料館のこけしは、東北地方の木地職人から納められたもの。轆轤は二人挽きで、たいてい夫婦で作業する。用器の古さは家系の古さ、源流の神聖さを示すとして誇りにしたため、新しい用器を進んで取り入れることはなかったらしい。






今でいう印鑑証明の原本のようなものだろうか?

道はますます細くなってきて対向車が来たら時間を要する。次は惟喬親王御陵へ向かっている。





道路の両側に残雪がかなり残っていて、ここの春はまだまだ先のようだ。広い駐車場にも残雪が山のごとくあり入って行けない。諦めていたところ一人が雪の端で入って行けるスペースを見つけ行かれるのを見て、私も続いた。雪の上に乗ると場所によっては、2~30cm沈むが、足跡を目印にして進むことができた。




惟喬親王の像は鳥居を入って右手にあった。温和な表情に見受けられた。印象に残る参拝であった。

最後は、木地師のふるさと君ヶ畑である。宝塚出身という若い男性がガイドしてくれた。最初に、遠くに藤原岳が見えるところから始まった。藤原岳といえば、ずいぶん昔だが登山している。おそらくここを通って行ったのだろう。懐かしい感じがした。




木地師とは、「山の木を伐採し、轆轤(ろくろと呼ばれる特殊な工具を使って、盆や椀、こけしなどを作る人」のこと。この轆轤の技術は、惟喬親王が法華経のまき軸が回転することから轆轤を思いつかれ、その技術を人々に伝えたのが始まりとされているそうな。




最初に案内されたのは金龍寺、別名 高松御所であった。惟喬親王が幽閉された後出家し創建された。



変わったところは、寺の中に神社があったこと。菊のご紋が目に入った。





ここでは、今まで見ることができなかったという貴重な能面5点を見ることができた。かの白洲正子さんも見ることができなかったとか。写真も自由にとることが出来たがショーケースに入っているためガラスの反射があり思うようにならなかった。
( ;∀;) 立派な木魚が目についた。さすが木地師の村。


金龍寺横にある御陵は、広くはないが村が見渡せるいい位置にあった。



そしてその横の大皇器地祖神社に参拝。全国の木地師の祖神として崇められている。898年の創祀された歴史ある神社。鳥居をくぐると目に入る大きな大木。杉の木の股に生えているのはヒノキ?。




社のうしろにご神体のごとく伸びる大木。

今回のガイドのMさん、とても分かりやすい説明。国家である君が代がこの君ヶ畑から誕生した話なんてびっくり。最近日本の製造業分野は、追い越されているのもあるが、再び日本のモノ作りが注目を浴びている。モノづくりの原点がこの君ヶ畑にあるように感じられた。近江のかくれ里を故郷に持っていることに誇りすら覚える。

木地師さんの工房見学が最後。入った途端、木の香が充満している。半端でない様々な形大きさの木が足の踏み場もないぐらい積まれている。


乾燥が大事で最低でも3年?5年10年はざらだそうで50年なんてものもある。






自作のカンナ(?)のようなものだけで作るようである。細かい手先の感覚が求められる。今は彼一人が木地師として頑張っておられるが次世代を託せる若者はいないのだろうか?。





超薄い仕上げ!なんとウチワ!やはり¥70000と高額である。一振りその風を扇いでみた。(^^♪ 違う?)

本来ならば天皇になれていたのに、時の権力者により天皇になれず命まで狙われるという生涯の惟喬親王の伝説。轆轤の発明もあり、判官びいきの地元に支えられそれはそれで納得のいく人生であったのではと思いたい。ただ、このモノづくりの里が永遠に続いて行ってもらいたいものである。

最後は、廃校になった中学校をリニューアルした道の駅。それぞれがお土産を買って一路近江八幡駅へ。17:30分。近江八幡着。ここで解散。
参加者全員が、満足して戻っていったことは確かである充実したツアー。感謝。





湖岸のアート 新旭

2016-12-20 17:32:52 | 近江のかくれ里めぐり
冬の厳しい寒さが通り過ぎた12月の下旬のある日、小春日和ということで散歩に出かけた。
空は寒さをアピールしたいのか、冷たそうなクリアブルー。
稲刈りを終えた田んぼは、冬の色である枯れ葉色。そんな中、最近、各地で目にするソーラー発電のパネルが設置されている。自然大好き人間には、何とも味気ない風景なのだが・・・・。


それでも、アオサギをつがいで見つけた(#^.^#) 近づくと仲良く飛んで行ってしまったが。

葦の群生しているところに雁の仲間が日向ぼっこしているかのように浮かんでいる。のどかだ。
ここから湖岸の方へ歩いて行った。 



びわこ部北部の菅浦で見つけた湖の辺の道は、ここでは一部、木道になっており枯れ葉枯れ木の中を歩く。びわこは空の青さに映えて美しく青く輝いている。琵琶湖に飛来する野鳥の説明看板等もある。





今年も来ていた! 白鳥が! コハクチョウが3羽。遠く北から飛んできてホッとしてくつろいでいるのだろうか。嬉しい気分なる。


湖上を見渡すと、雁の群れがいた。琵琶湖の風物詩。新旭から今津の方に向かっていくと、野鳥の観察館もある。

木道から外れて琵琶湖の水際を歩く。水は透明で美しい。葉を落とした木々の姿に目を奪われた。色のない水墨画のような世界。誰も入ってこない静けさ。時間が一時止まる感じだ。


マキノのメタセコイアが人気があるがここもきれいだ。

近江富士 三上山登山

2016-12-20 16:49:31 | 近江のかくれ里めぐり
近江富士 三上山
この山は、野洲市三上にある山で「近江富士」として知られている。表高432m。ふもとに、御上(みかみ)神社があり、ご神体が三上山である。



子供のころ、この山に伝えられている昔話「ムカデ退治」を聞いたこともあり親近感のある山である。
しかし、大人(?)になってから一度しか登っていない。幸いにも、ジム友達の提案で登ることになったのだが、前夜からはミゾレまじりの寒い雨が降っていた。しかし朝には青空が寒々と広がって山登りすることになった。

9時に御上神社の駐車場で待ち合わせ。国道8号線を横切り裏登山口に向かう。数分で登山口に到着。自動車数台を駐車するスペースもあった。スタートはここでもOK。

ゲート(松茸?イノシシ?のため)があり、開いて山道に入る。表登山道は健脚向きだそうだがこちらから登り、裏登山道を下りることにした。

しばらくは、緩やかな登りである。しばらく行くと「割岩」があり先客のグループ10数名が登ろうとしていた。私たちは道を譲ってもらって人一人通るのがやっとという大岩を潜り抜ける。ここからは、結構な岩場が続いた。しばらく行くと展望台があり、目の前に湖国の風景が広がった。一緒になった女性3人のグループと写真を撮りあう。





神社にお参りして進むとそこが頂上。周りの樹々で夏場であればしばしの凉を得ることが出来る場所でベンチもあった。


雪が・・・・


今回はこれで終わりではなく、反対方向の緑地公園に下って、また引き返すという、いわゆる2往復登山。元気なリーダーのおかげ(?)下りもなかなかの急坂であった。またこれを引き返してくるのかと想像すると下りたくなかったのだが・・・。



緑地公園に降りてくるとバンガロー等が点在してきれいなトイレもある。11時10分、再び山頂目指して登り始める。やはり急な坂であった。道は健脚者向きと一般者向けの道が所々にあって選ぶことが出来る。
この山に、散歩のように毎日登っている人がいるらしい。希望が丘公園の方からも登ることが出来る。毎日といかないが、時々登ってみるのもいい運動になるだろう。

三上山を調べていて見つけたこと。それは紫式部の歌「打ち出でて 三上の山を 詠めれば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」平安の世から「近江富士」として親しまれていたらしい。

また、松尾芭蕉も「三上山のみ 夏知れる 姿かな」これは、中世のころから青々とした山様を維持してきたことを歌ったものらしく納得。

車で通る時、三上山を見える位置に来ると思わず、シャッターを切ってしまうことがあるが、私にとっても三上山は、大好きな山である。雪化粧した三上山もとてもきれいである。

12時30分、我々は、駐車場の近くの小川珈琲点にいた。三上山を眺めながらのランチは最高!だった。





(この後二日間筋肉痛(:_;))

番外編 芭蕉の生誕地 伊賀上野

2016-12-04 20:45:52 | 近江のかくれ里めぐり
11月10日、晩秋の肌寒い日。冬支度をした人々が増えてきた。雨も心配されたがなんとか降らずに済んだ一日だった。草津駅からバスに乗り、国道一号線を15分ほど走ると三雲。ここから信楽方面の道に入り、およそ1時間で目的の伊賀市に入る。




最初に訪れたのは、「蓑虫庵」であった。「みの虫の 音をききに来よ 草の庵」 芭蕉の〉この句を聞いて、ある質問をした人がいた。「蓑虫ってどう鳴くのですか」と。わたくしも一瞬「???」。ガイドさん答える「チチヨ チチヨ」。はは(母)じゃないらしい(^_-)-☆




 唯一現存する芭蕉五庵の一つで服部土芳なる人物が1688年に入庵。芭蕉が祝いとして送った先程の句から「蓑虫庵」と名付けられたそうである。「古池や蛙飛びこむ水の音」は、よく知られた句である。この蓑虫庵にも古い池もあったのでここかなと思ったがそうではないとのガイドさんの話で残念。手入れが良くなされていてはるか昔の芭蕉はここで何を思いながらすごしていたのだろうか。




次は「上野天神宮」に移動。ここにも句碑があったが、面白かったのは「絵馬」の言われを聞いたことだった。生きた馬を奉納する代用として白い木馬があった。絵馬の前身だったとは意外。






芭蕉生家に行く。奥行きが深い。奥に芭蕉の書斎があった。ここでの興味深い話は、「バショウ」。庭にその木はあったが、それはバナナの木で不思議な感じがした。バショウは、バナナのことだと初めて知った。つまり芭蕉さんは、バナナさん?






生家から五分のところに故郷塚があった。真言宗豊山派 愛染院のなかにそれはあった。ここは芭蕉一家の菩提寺である。芭蕉は、遺言により大津の義仲寺に葬られて墓がある。菩提寺である愛染院に、遺髪を埋めて故郷塚と称された。この時の伊賀の人々の気持ちを思うと少し気の毒な気がしたが私だけだったろうか。

さあ、昼食!こちらでは有名な伊賀牛をいただいた。






昼食後は、芭蕉翁記念館・俳聖殿・上野城見学。散策にちょうどぴったりなコース。上野城は、新しい建築で美しかったが400年前にタイムスリップしている私にとっては、異次元のものだった。芭蕉にゆかりのある地では、それぞれが思い思いに芭蕉像なるものを建てているが、多種多様。今のように写真というものが無いからだが、一堂に集めてみるのも面白いかも。伊賀の芭蕉さんが一番本物に近い(?)そんな気がした伊賀上野行きだった。(^_-)-☆

伊賀のお土産
お漬物と醤油。どちらもなかなかの味。もう一度訪れることがあったら、リピーターになれる(^_-)-☆


街の真ん中に忍者がいた!



どんぐりが・・・。