春分の日も過ぎ、春らしい3月25日。白洲正子の世界を旅する文学の旅に参加した。東近江市観光協会の主催の旅で地元ではなく遠くは大阪・京都から、県内では大津・草津・守山等白洲正子の「近江のかくれさと」に魅せられた24名。残念ながら、道が細くて大型車が入らず小型バス。そのせいでキャンセル待ちもあるほどの人気の旅となった。
今回の旅案内人は、いかいゆりこ先生。古典口座「奥の細道」で私は生徒。
近江八幡駅を10:00にスタート。一路東近江市に向かう。40分。
まずは、阿育王山(あしょかおうざん)石塔寺(いしどうじ)。私は3度ほど訪れている。参加の大半の方がここがよかったというほど印象的な寺である。というのは、受付を過ぎるとまず目に入るのが150数段のまっすぐな階段(いかいゆりこ先生は実際に数えられたそうな)
急な坂でもうダメって思いながら到達すると突然広がる空と共に、我々を圧倒する高さの石の三重塔が。国指定の重要文化財。朝鮮半島の雰囲気?境内にある数万基の石塔群にも驚く。この何とも言えない雰囲気が私は大好きである。奈良時代前期建立。石造層塔としては日本最古であり、石造三重塔としては日本最大。高さ7.6m。石材は花崗岩。三重塔の周りに石仏・石塔群の八十八カ所めぐり(?)気持ちのいい散歩道であった。
階段を下ると左手に本堂がある。ご本尊は開扉されていないので見れなかったが十一面観世音菩薩はその前に立たれていた。本堂の右手にシャクナゲ?と思われた大きな木があった。受付で尋ねるとそれは泰山木だという。6月に大きな白い花を咲かせるとのこと。
ここから永源寺方面に向かう。永源寺ダムを左手に見てバスは進むが道はだんだん細くなってきた。今回の大きな楽しみの一つ、昼食どころの「日登美山荘」に40分ほどで到着。築二百年の古民家。毎日一組しか泊めないというこだわりのところ。イワナ料理、地元食材豊かなランチをいただくことになった。
イワナの甘露煮・焼き物は川魚特有の臭みもなく頭からしっぽまで美味しくいただいた。
生簀には、イワナが泳いでいた(^^♪
永源寺こんにゃく・卯の花・お浸し・レンコンきんぴら・ひじき・丁子麩等々おなか一杯。囲炉裏や、タンス、など古民家らしい家具の中で癒されるひと時。
美味しい郷土料理を完食。
ここを癒す囲炉裏の火は、少し肌寒い我々を心地よく出迎えてくれた。
食後に訪れたのは、木地師資料館・筒井神社。資料館は、3月末まで閉館?看板にそうあった。
しかし、今日は特別拝観。なぜなら地元東近江市の観光協会の主催だからである。ろくろを使った全国の伝統ある木地製品をはじめ、木地師の伝統や文化を今に伝えている氏子狩帳や往来手形などの古文書類の数々が展示されていた。すごい!資料の数々。なぜかこけしがたくさん?これは、木地師の歴史を聞くとわかってくる。かつては、庶民の食器は白木の器だった。これを作っていたのが木地師だった。この地の木材を取りつくし、木材を求めて日本全国に木地師が散らばっていったとのこと。また、惟喬親王のおかげで木地師たちにはいくつかの特権が朝廷から与えられていたようである。東北のこけしも木地師の仕事。資料館のこけしは、東北地方の木地職人から納められたもの。轆轤は二人挽きで、たいてい夫婦で作業する。用器の古さは家系の古さ、源流の神聖さを示すとして誇りにしたため、新しい用器を進んで取り入れることはなかったらしい。
今でいう印鑑証明の原本のようなものだろうか?
道はますます細くなってきて対向車が来たら時間を要する。次は惟喬親王御陵へ向かっている。
道路の両側に残雪がかなり残っていて、ここの春はまだまだ先のようだ。広い駐車場にも残雪が山のごとくあり入って行けない。諦めていたところ一人が雪の端で入って行けるスペースを見つけ行かれるのを見て、私も続いた。雪の上に乗ると場所によっては、2~30cm沈むが、足跡を目印にして進むことができた。
惟喬親王の像は鳥居を入って右手にあった。温和な表情に見受けられた。印象に残る参拝であった。
最後は、木地師のふるさと君ヶ畑である。宝塚出身という若い男性がガイドしてくれた。最初に、遠くに藤原岳が見えるところから始まった。藤原岳といえば、ずいぶん昔だが登山している。おそらくここを通って行ったのだろう。懐かしい感じがした。
木地師とは、「山の木を伐採し、轆轤(ろくろと呼ばれる特殊な工具を使って、盆や椀、こけしなどを作る人」のこと。この轆轤の技術は、惟喬親王が法華経のまき軸が回転することから轆轤を思いつかれ、その技術を人々に伝えたのが始まりとされているそうな。
最初に案内されたのは金龍寺、別名 高松御所であった。惟喬親王が幽閉された後出家し創建された。
変わったところは、寺の中に神社があったこと。菊のご紋が目に入った。
ここでは、今まで見ることができなかったという貴重な能面5点を見ることができた。かの白洲正子さんも見ることができなかったとか。写真も自由にとることが出来たがショーケースに入っているためガラスの反射があり思うようにならなかった。
( ;∀;) 立派な木魚が目についた。さすが木地師の村。
金龍寺横にある御陵は、広くはないが村が見渡せるいい位置にあった。
そしてその横の大皇器地祖神社に参拝。全国の木地師の祖神として崇められている。898年の創祀された歴史ある神社。鳥居をくぐると目に入る大きな大木。杉の木の股に生えているのはヒノキ?。
社のうしろにご神体のごとく伸びる大木。
今回のガイドのMさん、とても分かりやすい説明。国家である君が代がこの君ヶ畑から誕生した話なんてびっくり。最近日本の製造業分野は、追い越されているのもあるが、再び日本のモノ作りが注目を浴びている。モノづくりの原点がこの君ヶ畑にあるように感じられた。近江のかくれ里を故郷に持っていることに誇りすら覚える。
木地師さんの工房見学が最後。入った途端、木の香が充満している。半端でない様々な形大きさの木が足の踏み場もないぐらい積まれている。
乾燥が大事で最低でも3年?5年10年はざらだそうで50年なんてものもある。
自作のカンナ(?)のようなものだけで作るようである。細かい手先の感覚が求められる。今は彼一人が木地師として頑張っておられるが次世代を託せる若者はいないのだろうか?。
超薄い仕上げ!なんとウチワ!やはり¥70000と高額である。一振りその風を扇いでみた。(^^♪ 違う?)
本来ならば天皇になれていたのに、時の権力者により天皇になれず命まで狙われるという生涯の惟喬親王の伝説。轆轤の発明もあり、判官びいきの地元に支えられそれはそれで納得のいく人生であったのではと思いたい。ただ、このモノづくりの里が永遠に続いて行ってもらいたいものである。
最後は、廃校になった中学校をリニューアルした道の駅。それぞれがお土産を買って一路近江八幡駅へ。17:30分。近江八幡着。ここで解散。
参加者全員が、満足して戻っていったことは確かである充実したツアー。感謝。