ゆっくりあっちゃんの毎日 

今は、時間的ブルジョワを楽しむ日々。いろいろなことに興味を持ち実践する毎日。

2016 Sweden トレッキング Part2 ポルテ~アクトセ

2016-10-26 10:36:12 | 2016 Swede...
7月5日 ポルテ~アクトセ


 
6:30 起床。曇り。18℃
R:昨夜、ひざの痛みで眠れなかったそうで今も相当痛がっている。これから先、まだ始まったばかりなのでとても心配になる。

7:30 朝食。何時ものとおり。SWブレッド&サーモンパテ(今回初めて持参したドライフーズだが味は結構いける)ポタージュスープ・コーヒー。この後、いつものとおり片づけて準備をするが、Rのひざが気になって心配。もし、このまま歩けなくなったら救急のヘリコプターを頼まなくてはならない。 
携帯も通じないので誰かが通るのを待ってHelpすることになるのだろうか。日によっては、2・3人しか会わないこともあるのでいつまで待てばいいのだろうかなど、いろいろと心配になってくる。




9:15 とにかく出発することにした。




R:何とかいつものように歩いている。ほっとする。今日は、Rの荷物をひとつ私の方へ入れたので重い。いつもなら100歩数えるところが今日は50歩で息切れする。しかし、足の痛みのない私はありがたいと思う。




11:00 赤い鉄製の橋。空は今にも振り出しそうな感じ。


11:35  木の橋に来た。取っ手が壊れて無くなっているらしく渡るのが怖い。川はきれいな水なので飲んで休憩。しかし、ここでメモ帳を置き忘れる。今までのメモがしてあるので残念、がっかりである。12:10 休憩。大きな岩場である。向かいから元気な若者たちとすれ違う。


ここから2時間ほど急な坂を休み休み登る。岩場なので腰かけて休むことができるので嬉しかった。

13:00 後方に山々が見えてきた。高く登ってきたということ。目の前は、ここ独特の形の山が迫ってきていた。この山を越えれば・・・と思いながら頑張るが難関であった。13:35 あと少しで峠のようだ。遠くの山々がパノラマのように美しく見えてきた。



15:20 峠より一山下ったところで一休み。前方はどうやら雨のようだが後方には青空が見えた。




16:30 目的としていた川にたどり着いた。しかしすごい強風。
ここでテントを張ることにした。風当たりの弱い場所を探してテントを張った。18:30 生姜湯で冷えてきた身体を暖める。気温がだんだん下がってきたし雨も降ってきた。子供たちの元気な声が聞こえるがこのあたりにテントでも張るのだろうか。

20:10 就寝。Rの膝のこともあり昼食を取らずに頑張った疲れもあり早く休むことにした。が、疲れのせいだろうか深くは眠れなかった。でも、時間的にはゆっくり寝ることが出来た。夜間はずーっと雨風が強かった。あとから近くにテント1張りあった。

12520歩(万歩計)

2016 Sweden トレッキング Part2 クビックヨック~ポルテ

2016-10-24 17:11:34 | 2016 Swede...
7月4日、クビックヨック~ポルテ 湖のそば。
日本を出発して早、8日目。晴れ。テント内22℃。目の前に穏やかな湖面。



5:30 起床・片付け。気持ちよく目覚める。本音でいうとここでもう一日過ごしたいところ。だが、トレッキングのはじめの方なので気持ちに余裕がないのであきらめて出発することにした。

9:00 出発。湖のふちに沿って道があり岩がごつごつ・ごろごろして歩きにくい。しかし、景色はよくしばしば足を止めてシャッターを切る。





9:55 湖もそろそろ終わりのような感じの時、フェンスが見えてきた。トナカイのためだが道はどこへ?   探しているとフェンスにゲートがあった。このゲートの先に道が続いているらしい。今回、同じようなことが後にもあった。小屋で聞くと間違えるような道ではないと言い切られるのだが。



ゲートをくぐり進む。11:10 木の橋、湿地帯のせいか木道が増えてくる。木道は楽なのだが雨の時は滑って困る。11:45 林の中。暖かい太陽の日を背に受けランチにする。この時、とても身軽な格好の年配のご夫婦に出会う。どうしてあんなに軽装なの?



15:00 ポルテ小屋着。大きな川の近くに小屋が3棟建っていた。このようなところだったら管理人をしてもいいと思えるほどとても美しい位置に建っている。窓に目を向けると中で若い女性が本を読んでいるのが見える。私たちは、時間というものに追われているが彼らはゆっくり楽しんでいる。近くにテントあり。ここはサウナがあるらしい。小屋の管理人は年配の気のよさそうな女性。どうやら先ほど出会った二人のようだったので聞いてみた。一時間ぐらいクビックヨック方面に行くと電波が通じるところがあって携帯電話で話すことができるという。ランチをしたところの近くらしい。そうなのだ、ここは電波が通じない北極圏。時間を忘れてしまうほどゆっくりなのだと。スェーデン人の元気な若者たちがいて話をする。しばらく休憩してワッペンを買い求め出発することにした。













17:00 テント地着。一応地図に載っている川の近く。かろうじて山の突端が見える。川から少し林の中に入ったところにテントを張る。バケツで水を運ぶ。近くには、テント跡がある。今回、熊のことを心配して風鈴を持参していたのでテントの近くに吊るす。買い物の店のスタッフも心配ないと言ってくれたが、周りに人はいないこの環境だから不安になる。


19:00 夕食。R:田舎ごはん A:白ごはん めんたいこポテサラ(今回のヒット)卵すまし汁。
20:00 今日はとても疲れた。日記をつける元気もない。夕食前、急に横になりたいほどの疲れ。食べなくてはいけないのだが食欲が湧かない。

12,948歩 7.47km (万歩計)

芭蕉が二度訪れた堅田に行きました。

2016-10-24 12:50:50 | 近江のかくれ里めぐり
10月21日金曜日
帽子も日傘も持たず無防備ないでたちだったが暑くもなく寒くもなく程よい秋の一日、琵琶湖対岸の堅田の地に行った。若かりし頃(子ども時代?)一度観光で訪れたことがあったがかの有名な「浮御堂」ぐらいしか記憶になかった。芭蕉の句碑が5基あるなんて初めて知った次第。芭蕉は、二度に亘って堅田を訪れていた。

金モクセイの香りが一日中私たちを包んでいた感じです。

最初に訪れたのは、「本福寺」浄土真宗の寺で蓮如の活動の中心になった寺だそうである。入ったらすぐに目についたのが立派な松の木。

蓮如僧の時代を知っているかのようである。

右端が芭蕉翁像碑。いろいろなところで芭蕉像を見るがここの像も穏やかで優しそうな翁。


「祥瑞寺」ここがあのトンチで有名な一休和尚さんが修行し悟られたところだと初めて知った。あの有名なトンチ、橋を渡らず中に入った(笑)橋のハシを通って・・・。

「居初(いそめ)家」今回特別に魅せていただいたところ。「天然図画邸(てんねんずえてい)」鎌倉・室町時代にびわ湖の湖上特権を掌握していた居初家。当時、その差配とその後の自由都市形成(住民自治)を司ったそうで泉州堺と同じだった。聞いたことが無かった史実、なんとなくうれしくなる話であった。
ここの庭園は、1681年頃というから335年前になる。庭からびわこを挟み三上山をはじめとする湖東の連山を借景した枯山水。しかし、今では、琵琶湖大橋をはじめとして高層のビル、ネオン華やかなるところが見えて枯山水の趣は残念ながら無いように思える。



一畳くらいの茶の場、障子に描かれた絵などを見ると風流。この手水石は、その時代からあるのだろう。

「都久夫須麻神社」今月のはじめに竹生島を訪れたが同じ名前。同じ神が祭られているのだろう。

十六夜公園から浮御堂を見る。芭蕉が堅田の門人と楽しんだ月見の句会にちなんでつけられたそうである。
「湖族の郷」資料館でお弁当いただいて昼食。鯛とそうめんの煮つけが美味しかった(^_-)-☆

続いて「光徳寺」。天台宗から浄土真宗に転宗。ここで有名(?)なのは、「堅田源兵衛の首」という殉教物語だそうで住職から聞かせていただいた。本堂に「芭蕉の持ち物」が数点展示されていたが、芭蕉がここを訪れていたということではなく後で求めたということ。

近江八景のひとつの浮御堂。今は、お堂の下の柱は腐らないコンクリート製。多くの人々が訪れる観光地。


この日は、お天気も良く遠くまで美しい景色を堪能できた。

私の住んでいる「近江」、ほんの少ししか知らない現実。歴史に至っては、もっと知らない。今だからこそ出来る楽しみとして、知らなかった近江を歩いてみたいと思う。



観音正寺に行きました。(^_-)-☆

2016-10-13 21:01:17 | 近江のかくれ里めぐり
10月11日西国三十二番札所 観音正寺
遠くニュージーランドからの家族同然のLynさんを案内した。国道8号線、「西老蘇の森」信号を左に曲がる。あとは繖山(きぬがさざん)に向かって進むだけ。このお寺は山の上にあるのだから。まもなくゲートがあって、通行料兼駐車場代を払う(親切な年配の男性二人)。景色がよく見えるようになったころ駐車場に着く。

さあ、ここから400段!
 
木々や竹林の間のヒンヤリとした空気。1400年前の人はこの石の坂をどのような気持ちで登っただろうなんて考えながら登る。階段の一歩一歩は結構高く、きつい登り坂だったが日頃のジム通いのおかげ(?)を感じた。(^^♪ もちろん翌日以後の筋肉痛もなかった。(#^.^#)

私たちを最初に迎えてくれたのは、仁王像のお二人。この日は幸いにして遍導ご住職がおられて案内していただく。
 
観音正寺は、1400年前聖徳太子によって開創されたとか。平成5年、本堂を焼失。現在あるのは、平成16年に再建されたもの。新たなご本尊は、インドより特別に輸入した白檀で作られている。この時の苦労努力を住職からお聞きしていた、ご本尊の千手千眼観世音菩薩坐像。2年程前より荘厳さが増しているように感じられた。聞いてみると、3日ごとに磨かれているということだった。また近くで菩薩像を見ていると美しい寄せ木作りであることがわかった。慈悲深い優しいお顔にうっとりした。
 
境内からは、四季折々の蒲生野の自然が広がり満喫することが出来る。蒲生野とは、額田王の相聞歌で知られる。
 
近江のかくれ里巡り、廻ればめぐるほど、またすぐ訪れたくなる気持ちをどう説明すればいいのだろう・・・。


竹生島に行きました。(^_-)-☆

2016-10-09 15:08:53 | 近江のかくれ里めぐり
びわ湖の最奥部に浮かぶ竹生島。能の演目にも出てくる美しい小さな島。


西国三十三所観音霊場の第三十番札所として古来より信仰を集めている「宝厳寺」



湖水を支配する浅井姫命(あざいひめのみこと)を祭神とする古社「都久夫須麻(つくぶすま)神社」現在の竹生島(ちくぶしま)の古名であるそうな。


今日は、長浜から「ビアンカ」で行った。周囲2kmの小さな島に、お寺と神社がある。年間10万人を超える観光客があると聞いて驚く。

びわこ八景の一つにも数えられていて独特のふんいきがあった。左に売店が何店舗かあり見ながら進むとゲートがある。突然に目の前に急な階段が立ちはだかる。(165段だそうな)

日頃の運動が試される?ユックリだが、変わらない速さで登る。息は、大丈夫だったが、周りの人々にとっては結構な運動である。

本堂(弁財天堂)が堂々たる構えで待ち受けていた。ここで、御朱印帳を持ってきている人は差し出していた。友達の分も持ってきていたが、それでもご利益がある?私自身は、まだご朱印帳を持っていない。ここの弁財天は、日本三弁財天のひとつで、他は、江の島、厳島であるが、ここの弁財天が一番古く大弁財天として称されているそうな。

ここから、三重塔を見上げながら唐門の方へ下る。ここももちろん急な坂。唐門・観音堂(国宝)に着く。残念ながら修復工事の真っ最中で全体の姿が見ることが出来なかった。( ;∀;)この唐門のことをテレビで見てとても興味があった。豊臣秀吉が建てた現存する大阪城唯一の遺構。豪華絢爛といわれた桃山様式を400年後の今、目の前にしているのであった。


牡丹唐草の彫刻は、極彩色塗で今でも想像できる扉。高さが低くなっているということも扉を見ればなるほどと思えた。

「船廊下」(重文)豊臣秀吉のご座船「日本丸」の船やぐらを利用して建てられたそうである。天井を見ればわかるらしい。


船廊下を渡ると都久夫須麻神社の横から入ることになる。ここは、国宝で伏見城の建物が神殿として寄進されたそうである。

神社の前には、眺望が開けて龍神拝所 かわらけ投げが出来るところがある。素焼きの小さな小皿に名前と願いごとを書いて投げ鳥居をくぐると願いが叶うと言われている。友がチャレンジしたが「願い事は叶わない」と少しがっかりいていた。(^_-)-☆
 
ここから入場地点に戻る。急ぎ足の一時間足らずだったが、時間をタイムトリップ出来たようだ。
我、ふるさとにはまだまだ多くの素晴らしいところがある。
ゆっくり、訪れてみたいと思う。