Miraのblog

小説はじめました

ギターかついで 2 熊との戦い編

2024-04-28 17:43:09 | ギター担いで

 卓球については、高校3年のとき、たまたま大きな大会に出る機会があった。
 
 一回戦は弱い選手だったので、完勝したが、2回戦は第一シードの選手と試合した。(要するにシード下だった)
 
 田舎では敵なしの小生は、うぬぼれだけは強かった。
根拠もなく、本気でやれば自分が一番強いと信じていた。遠征して、もし負けても、敗因を強引に見つけ、あの時こうすれば勝っていたはずと自分の実力不足を認めなかった。
 
 第一シードの選手との試合が始まった。第一シードということは、高校生では一番強い選手だ。相手に不足はない。
柳川高校の高野、後に日本大学に進学し1年生からエースで全日本の上位の常連となる選手だった。
およそ卓球をやる体格ではない。ラグビーのフォワードとか柔道の大きな選手が、シェイクハンドのラケットを握って仁王立ちして、卓球台の向こうで、肩をいからせているかのようだった。
 
「まるで熊だな」と思ったが、相手との距離がある場合、小生はビビらない。
これが、柔道の試合なら既にチビッていたかも知れないが、なにせ卓球は台を挟んで対峙する。
 
 小生の経験では、卓球はデカイやつほど見掛け倒しが多かった。
体の大きな人は、型が決まれば、強いドライブやスマッシュをきめるが、卓球はその状況を作りあげるまでが勝負なのだ。
 
県の個人戦では、デカイ選手でフォアハンドドライブが強い各学校のエース級との対戦が多かった。
しかし、彼らのバックに回り込んだ渾身のドライブは、ことごとく小生が繰り出すペンホルダーのショートの餌食となった。    
フォアサイドにナチュラルに曲がっていくショートが決まると、決まって相手のドライブの調子はくるった。
 
 第一シードとはいえ、相手はドライブ主戦だ。
小生が今まで、ほとんど負けたことのない戦型なのである。
 
 じゃんけんに勝ったので、サーブを選択した。
相手は「このままでいい」と自分のコートをラケットで軽く叩いた。
 
 小生のサーブで試合が始まった。バックハンドの下切りサーブ、最大の回転を加えた。
小さくコート中央に弾んだボールを相手はフォアハンドではらった。ボールはネットに掛かった。
「よし!」と叫んで、こぶしを握った小生。
 
 「案外、下手かもしれない」と思った。
 通常、下回転のボールは、突っつきで返すのが常識だ。試合序盤なのだ。
 
 2本目は小生が得意としている膝つきサーブを出した。相手から見ると、回転の方向が分かりにくい特徴がある。これもコートの中央に小さく弾んだ。わざと無回転にした。
 相手は先ほどと同じようにフォアハンドのラケットを振り上げた。回転を意識しすぎたのか、ドライブがかかり過ぎて、ボールはコートをはるかにオーバーしてコートフェンスも越えて隣のコートまで飛んでいった。
「よーし!」
 
3本目は投げ上げのフォアハンドで、サイドカットを相手のバックに食い込ませた。相手は素早く回りこんで、フォアハンドでドライブを繰り出すも、これも小生のサーブは上回転を加えており、コートをオーバーした。
「よっしゃー!」
 3ポイント連取だ。「勝てそうだ」
 
 4本目は同じ投げ上げサーブに下回転を加えて、もっと深い角度に食い込ませた。
相手はこれも回り込んで、ドライブ。小生のフォアサイドに決まった。
小生は手を伸ばしたが、とどかなかった。
相手は軽く、ラケットを振りながら「よし」と言った。
想定内だ。相手は第一シードなのだ。
 
 しかし、5本目に得意の膝つきで、渾身の下回転を加えたサーブを、相手が台上ドライブを見事に決めてから、小生の記憶はあまりない。
「よーっ!」という相手の声だけが、耳に残った。
 
 試合の結果は1セット目が21対6、2セット目が21対3だった。
もちろん、小生が負けた。完敗だった。
 
 こんな負け方は、初めてだった。
 
しかし不思議と屈辱とは、感じなかった。
あまりにも実力が違いすぎていた。
サバサバした気持ちだった。
 
 高野選手は小生のサーブの回転をほとんど読んでドライブかスマッシュを決めだした。
 高野選手のサーブの時は、ほとんどが単純な下回転だったが、小生がツッツキで返すと、豪快なドライブが小生のコートに突き刺さった。ラケットになんとか当てて返しても、次のスマッシュはさらに強烈だった。
 
 試合が終了しコートを挟んで、礼を相手と審判にしながら「熊が卓球すんなよ!」とつぶやいていた。
 大会会場から出て、蝉の声がうるさい7月のかげろうに揺れる青い空を見上げて「これで卓球がやめられる・・・」と決心した。
 
 月海で、もずく酢をさかなに、月山の枡酒を飲みながら、小生の高校時代の話を聞いた富岡さんは「お前、高野とやったのか!」と大げさに、驚いてくれた。
 
高野選手はこの年、前評判どおりインターハイと国体で優勝し、高校生ながら出場した全日本選手権でも、ベスト16まで進出した超高校級の選手となっていたので有名だった。
普段だったら、「もう少しで勝ってたんですけどね」などと見栄を張る小生だが、このときは謙虚に言った。
「全然、勝てる気しませんでした」「高野は日大に行ったようです」
 
「明治じゃなかったんだ」と富岡さん。
日本大学は関東学連の1部だが、明治、早稲田、専修のほうが強かった。
 
 小生は高野選手との対戦で、卓球は燃え尽きたので、大学では音楽に生きると言った。
 
「じゃあ、今度、ヘッドパワーに行こう、ギターも歌も結構うまい奴が出てるぜ。フォークだけだけど」「お前も音楽は音楽で、やればいいんだよ」と、富岡さんも、音楽は大好きだと言った。
 
「でも、卓球もやればいいんだよ」と、いかにも体育会には、あり得ないことも言った。
(ヘッドパワーというのは、新宿にある深夜営業のライブハウスのことだが、この話はいつかの日か・・・)
 
「えっー!そんなにいい加減でいいんですか?」
 
つづく


ギターかついで  1 上京編

2024-04-28 17:34:20 | ギター担いで

昭和50年の4月上旬、府中キャンパスの体育館の前の階段で満開の桜を見ていた。

 木漏れ日が暖かく、時おり吹く風に花びらが舞った。

 確かに2時と言われた。と、昨日の夜を思い出していた。

 「新入生の○○君、面会人です」と館内放送があった。

入寮したものの、部屋が決まっておらず、寮委員の稲森さんの部屋で2泊した。
 やっと部屋を割り当てられて、3棟の304号室で前寮長の北村さん(4年生)のとなりのベッドに西友で買ってきたカーテンを取り付けていた。
 「今の君じゃないの?」と北村さんが言って、自分の名前がアナウンスされていることに気がついた。
 私が戸惑っていると、「玄関にだれか来てるんだよ」と教えてくれた。

 小生がこの学校に行くと決断したのは、つい5日ほど前のことで、親戚や友達に住む場所を知らせていない。 
 親が東京の親戚に知らせたのかな?などと考えながら、玄関に急ぐ。

 夕方の6時くらいだったろうか。 
まだ玄関の電気はついておらず、暗く閑散としていた。

 だれもいない?・・・いや、ひとりいた。玄関の赤電話の前の椅子に黒い服を着た人が後ろ向きに座っていた。
 知らない人だった。戸惑って立ちすくむ小生にその男が振り向きながら立ち上がった。
 「お前が○○か・・・?」「4年の小村だ」「大木から聞いたよ。明日、農学部体育館で2時から練習な!」

 大男だった。一方的にしゃべり、玄関から出て行った。
 威圧感があり、小生は「はぁ・・・」としか答えられなかった。

 大木という名前は聞き覚えがあった。
昨日、稲森さんの部屋であった人だ。稲森さんと同級生らしい大木さんは、赤い半そでシャツと短パンの卓球のユニフォーム姿でシェイクハンドのラケットを握って部屋に現れたのだった。

 モーリスのギターを抱えて、田舎から上京した新入生に、寮委員の稲森さんは親切だった。
「田舎はどこで、なんという名前の高校なのか」とか、「高校時代は何をしていたのか」とか色々と聞いてくれた。
「卓球やってたんですが、大学ではギターをやるつもりです」「ビートルズやりたいです」と小生はフォークギターのDコードを指で押さえ、Here Comes The Sun のイントロを引いた。

(ちなみに写真は、ジョージハリソン)

「音楽なら軽音楽かな。卓球部なら、同級生がいるよ」と稲森さん。

「卓球は、もういいです。散々やりましたから」と小生が答えたにも関わらず、稲森さんが、わざわざ呼んで、来てくれたのが、大木さんだった。

「いま、そこの工学部の体育館で合宿やってんだ。来る?」部屋に来るなり、大木さんは言った。
 小生はびっくりしたが、「いや、卓球部には入るつもりはないんです。それにウエアーも持ってませんし・・・」
 「そう・・・」と大木さんは帰っていった。

 その次の日の出来事が、小村さんという大男の出現だった。

 なんか恐そうな人だった。

 普段は虚勢を張っているが、実際のところ小心者の小生は、次の日の1時過ぎに電車とバスを乗り継いで、農学部の体育館にたどり着いたのだった。

 体育館は閉まっていた。
「少し、早すぎた・・・」「2時まで待とう・・・」
 桜の花びらが、ヒラヒラと落ちている。

 2時を過ぎた・・・が、誰も来ない。
「ひょっとして、場所がちがうのかな?」と思い、体育館と並びの生協に行って、「農学部の体育館ってここだけですか?」と確認するも、間違いなくここにしかないという。

「3時の間違いだったのかもしれない・・・」
体育館の前の階段に座って桜を眺めるしかなかった。

 2時40分を回った頃だった。
誰かが小走りで走ってきた。サンダル履きだ。

「おうー、悪い悪い、今日練習ないんだ!」

あとで知ったことだったが、このサンダル履きの人は3年生の岡部さんで、卓球部の現キャプテン、そして、昨日現れた小村さんは4年生で、前キャプテンだった。

 岡部さんは、生協方向に小生を導き、自動販売機の前で、「オレンジで、いいか?」と100円のジュースを差し出して言った。
「お前、マージャンやる?今から葵でマージャンなんだ」

10分後、小生は府中刑務所の横の小さな商店街にある雀荘「葵」で岡部さんと岡部さんの同級生で、卓を囲っていた。
 「富岡さんが遅れてくるから、助かったよ」と、小生が面子に加わって、ちょうど4名になったことを岡部さんは言った。
 富岡さんが、到着しないまま半チャン5回くらいやった。

 いきなり知らない大学生と卓を囲んだことと、東京では食いタンであがれるという小生が経験したことのない「アリアリ」というルールだったので、緊張した。

 富岡さんが到着したときには、すっかり暗くなっていた。

 小生は少し負けていたと思うが、「いいよ、いいよ」と雀荘代も払ってもらい、皆で国分寺に、ご飯を食べに行くことになった。

北口の「月海」に入った。
富岡さんの行き着けの店だった。
山形の月山という原酒がおいしいらしい。

 小生は、酔っ払って、今回の経緯を説明した。

 富岡さんは笑いながら「それは、ひどい目にあったなぁ」「小村さんは、いっつもそうなんだよ」と小生と小村さんの出会いのことを言った。

 今日、農学部で練習があると思っていたのは、小村さんだけで、小村さんは前キャプテンにも関わらず、この手の勘違いが多い人だと言う。

少し打ち解けた小生は「なんか、恐そうな人だったので・・・」とつい本音を言って、ついでに「卓球は高校で限界を感じましたので、大学ではギターをやろうかと思ってます」と打ち明けた。

つづく