Miraのblog

小説はじめました

映画

2024-04-28 20:09:25 | 過去Blog

 

映画トラブル

   趣味という程ではないが、映画鑑賞はしている方だと思う。
小生の場合いわゆる青春時代、つまり昭和時代は映画館がよくやってくれていた2本立てや、3本立てを観に行ったものだ。
500円くらいで3本観れる。お得だった。

ロードショーという言葉を最近聞かなくなったが、貧乏人は最新封切りでなくとも、いわゆる中古品でも、映画は映画だ。

しかし映画はテレビという怪物に圧されていったのも昭和であろう。少しづつ3本立ての映画館も減少していく。

   だからと言って経済的に少し裕福になったであろう昭和末期であっても、積極的に映画を観に行く事はなかった。忙しかったという事もあったが「正規料金を払ってまで観る価値を感じなかった」のが本音だ。

   平成という時代の前半に世間はバブルという現象が起きたらしい。小生の回りには、その恩恵に預かった人を見なかったので「らしい」が本音だ。
   その頃も映画館に通った覚えはない。

   そんな小生が出来るだけ積極的に映画鑑賞をするキッカケを作ってくれた人がいた。
年下で特に優れた能力を感じた事もない男だが、シャレが利く。
   その映画のタイトルは何だったのだろうか?宇宙物でハリウッド映画だったのだろう。小生は彼に対し「くだなねぇ」とか言った覚えがある。
「先輩、あれってスッゲエ金、掛かってますよね!」
新宿東南口の交番前から見える看板を指して言った彼の言葉だ。

この時、小生の貧乏人根性に火がついた。
「そうだ、映画って大金を掛けて作っているんだ」「安い作品でも数千万円、高くなれば何十億円?」
急に1000円、2000円の映画の切符が安く感じられた。

「お得だから観る」これこそ小生の映画鑑賞哲学だ。

   先日、一時間半をかけて、ある映画を観に行った。MovieWalkerというサイトが一位だとランク付けしていたからだ。
12時からの上映で午後2時くらいには終わるスケジュール。午後3時にアポイントがあるので、ちょうど良い。

   ところが、切符売場のお兄さんが、小さな声で「実は・・・」
「えっ、どうしたの?」と小生。

「申し訳無いのですが、映写機の故障で、12時の上映は無くなりました」とさ・・

いまどき・・・頭が真っ白に・・・
交通費もバカにならない。「どうしてくれるんだ!」とお兄さんに言いたい。

   時間を2ヶ月ほど巻き戻す。
小生は、とある映画館の切符売り場にいた。
この時、隣の売り場に原発事故を題材にした映画を見にきていたお年寄りがいた。どうもプログラムの情報が古く、老人が思っていた時間に上映されておらず、切符売場で食い下がっている。
なぜなら老人が映画館に着いたら、その映画は既に一時間前に始まっていた様だ。

老人は、この映画を観るために新幹線に乗ってワザワザやってきた。
今日、絶対に観て帰りたいのだ。
   売場の兄ちゃんはオタオタしていた。
ところが状況を察知した近くにいた若者がスマホを駆使して、銀座の方でその映画の上映がある事を発見したようだ。
今から行けば上映に十分間に合いそうだと、何人かの若者が路線案内を調べ始める。
さらに違う若者が老人を連れて地下鉄の駅に向かって歩き出した。
   いまどきの若者達が田舎から出てきた老人の苦境を知って、連携して動いた美しい物語を見てしまった。

この事件に比べれば、小生が1時間半かけてやってきた電車代など、取るに足らない金額だろうし、大した苦労ではない。
映写機の故障は、この売場のお兄さんのせいではない。
我慢する事にした。
午後3時のアポイントまで、スタバでこの文章を書いている(笑)

おしまい


イカが食べたい

2024-04-28 20:04:07 | 移転ー思い出音楽

 冬休み、小寺君と西口君が来るという。
 
 まさか、イカが食べたいという理由だけで、西の果てまで・・・
 
 国分寺の居酒屋「笹一」で、つまみで出てきた「イカ刺し」や「イカ納豆」を私が食べないのに気付いた小寺君が「イカ、嫌いなの」、「田舎で食い飽きてるから・・・」と答えた小生に、「飽きるほどイカ食ってみたい」と食いついた。
 
 ほとんどの友達が夏休みに小生の実家に来て遊んだ。
 都会にはない綺麗な海がそこにはあった。みんな西海国立公園の海を満喫した。
 
 「夏場も食えるけど、冬の方がうまいよ、寒ブリもあるしね・・・」とうっかり本当のことを言ったので、こよなくイカが好きな2人が、冬休みに来ることになったのである。
 
西口君が佐世保港からフェリーに乗る前に電話をくれた。
 
 小生の実家はフェリーの港にほど近い高台にある。
 
北風吹きすさぶ冬の有川湾に「ボーー」っと警笛が鳴り、フェリーが入って来るのを実家の窓越しに確認してから、ゆっくり家を出ればフェリーの到着に十分間に合う。
吉祥寺の近鉄デパートで買った赤いジャンバーを着て、ポケットに手を突っ込んでも寒く、ふるえながら港に向かった。
寒いはずだ。みぞれまじりの雪がちらついていた。
 
東シナ海に浮かぶ五島列島は、対馬海峡をはさんで玄界灘に接しており、北九州と同様に冬は寒い。
 
 フェリーが着岸するまでの、5分くらいの間、マフラーしてこなかったことを後悔していた。
定刻の午後4時20分、九州商船のモミジ丸は到着した。
 
「寒いなー。早く出てきてくれ」と思いながら、タラップが渡された船の出口を覗く。
フェリーの2階デッキから何か声が聞えるので、ふと見上げた。
デッキには、まさに本日のゲストである、小寺君と西口君が手を振っていた。
 
目を疑った。
「半そで」だった。
夏の装いだった。
特に、小寺君はTシャツと短パンだった。
なにか怒鳴っている・・・北風吹きすさぶ桟橋に聞えてきた。
 
「なんだよ!寒いじゃないか(怒)」
 
雪が、冷たい北風に舞っていた。
 
とりあえず赤いジャンパーを小寺君に着せて、実家への上り坂を3人は走った。
 
西口君は東京では上着を着ていたが、小寺君は東京から夏の格好で長崎、佐世保行きの「寝台特急さくら」に乗ったという。
 
「五島列島って言えば、沖縄だろう」と小寺君は断定。
 
「勘違いだったとしても、佐世保も寒かったろうから、そこで気付くだろう」と小生。
「佐世保で、待ち時間が2時間あっただろう」
佐世保では商店街にある大阪屋ラーメンを食べるように指定していたので、ジャンバーくらい買えただろう。と、小生は言った。
 
たしかに西口君の方は、どうもおかしいと思ったようだが、「フェリーが着けば、そこは南の国」という小寺君の主張(思い込み)を信じたらしい。
 
 実家のコタツで暖まったころ、小生は中学生の時の地図帳を出してきて、日本地図で説明した。
五島列島は沖縄の700Kmはるか北に位置していること。
冬場は日本海側の寒流が届くので、九州北部は下手すると東京より寒いこと。
九州の南北の距離は、およそ400Kmあるので、北九州と鹿児島ではかなり気候が違うこと。
等々
 
西口君は納得したが、小寺君は「そんなこと言っても、五島列島は沖縄のイメージだろう」と最後までこぼした。
 なにしろ、彼らは海パンと水中めがねを持参していた。
 
イカは美味かった。
 
おいしいイカを食べたい友達が、わざわざ東京から来るというので、親父が知り合いから「ミズイカ」を譲ってもらっていた。ミズイカは単独で泳ぐので、原則的に一本釣りだ。田舎でも高級魚で高い。
 漁師のイカ釣り舟は、2番イカ(するめいか)もしくは、真イカを大量に釣る。
 
小寺君と西口君には嫌って言うほど、イカそうめんを食わせるのが今回の目的だったが、今日は田舎でもめったに食えないミズイカだ。
 「こんな美味いもの毎日食ってるのか?」と小寺君と西口君は大いに満足した。
 
 夕食後、高台の家の窓から海の方向を見る。 
 ここは西海国立公園の真っ只中だ。
 
 イカも確かに美味しかったが、彼らには、この景色こそ最大のご馳走だったのかもしれない。
空には、いつの間にか「満天の星」そして海にはイカ釣り魚船団の「いさり火」が広がっていた。
きらきらと輝く光が冬の空と海を埋め尽くしていた。
 
おしまい


世の中って、そんなもんだ!

2024-04-28 19:57:25 | 移転ー思い出音楽

 「朝野君、黒田君、高山君、坂本君の4人で、体育教官室にクレームをつけにいったらしいぞ」
と、大久保君が笑いながら小生に言った。
 
「えっ!どうしたの?」と、小生。
 
(写真は錦織選手の、フォアハンドエアー)
 
前回、大学2年の時はほとんど学校に行かなかったことを書いた。
「今日も、100円損した」と一日が終わる夜の飲み屋でよく言ったものだ。
  昭和50年入学の国立大学の授業料は、年間36000円で、日割りで、ほぼ100円。
その気になれば一年分の授業料を5日ほどのアルバイトで稼げた。
 国民の税金を無駄にする罰当たり者だった。
 
いや、正確にいうと、少しは学校に行った。
2学年次の教養科目に必修科目があったのだ。
外国語や専門の概論、体育などだ。
 
 出欠が単位に響く先生の場合は代返(代理返事)で友達に頑張ってもらった。
見返りは、パチンコ屋の景品のセブンスターやチョコレートだった。
 しかし代返は、しばしばトラブルになった。
卒業後30年以上経った今でも親友の江藤君は、当時かなり代返を引き受けてくれたが、途中で「もう、お前の代返はしたくない・・」と弱音をはいた。 
 
 2年次の必修の概論で、江藤君が代返してくれたとき、先生が出席簿を見て私に質問をした。もちろん私はいないので、江藤君が答える。
 しばらくして、今後は江藤君が当てられた。江藤君は困ったが、しょうがないので自分で答えた。
しかし、先生が私の代わりに答えたことを覚えていて、江藤君の代返がばれた。もちろん先生は江藤君も小生も顔と名前をちゃんと認識していない。
そのあげく、あろうことか江藤君が欠席していて、私が出席し代返したと判断したようだ。
「江藤君は代返で欠席、10点マイナス」と言われたらしい。
 
「名前のイメージだけで、俺が欠席扱いされちゃったよ・・・」と江藤君はぼやいた。
小生の苗字はある有名な学者と同じだ。おかげで勝手によいイメージを持ってもらえることが、この後の人生でも多かった。感謝したい。
 
 体育も必修だ。2年次はテニスを選択した。
 しかし、4月から6月くらいまでは、クラブの運営で忙しかった。
 
 4月当初は学内の合宿所に缶詰だったので、体育があるテニスコートまでは200メートルの距離にもかかわらず、行くのが面倒だった。
 
 合宿所に、のちにダブルスを組むことになる農学部の水沼君がいた。小生が体育のテニスをサボることを知ると、水沼君が替わりに行ってくれると言う。
小生は感謝して「水沼、わるいな。大久保君に付いてって」と代返をたのむ。
大久保君は小生と同じクラスだ。
 
 4月早々の体育は2回連続で、水沼君が代理出席してくれた。
しかし、その後も立て続けに春のリーグ戦、東京都国公立戦、三大学戦が幹事校と、学校なんか行ってられない。
 体育は出席だけが単位につながる、と分かっていながら、5月末まで欠席し、6月に入り初めて出席した。
 テニスコートで体育の先生が出欠を取り始めた。出席番号の関係で小生は最後に呼ばれる。「○○君」
・・・「はい!」と小生。
体育講師は、すかさず意外なことを言った。
「君、代返!」
 
「私は本人です」と主張したが、聞き入れてもらえなかった。
 
 テニスは一応やった。
高校時代、軟式テニスでインターハイにいった親友と時々ラリーして遊んでいて、少し腕に覚えがある小生は軟式ラケットを器用に操った。
「代返君は割りとやるね・・」と先生。しゃれは分かっているようだ。
 
 体育が終わり、大久保君に「なんで、代返って言われたんだろう?」と聞くと、「あったり前じゃん」
 
 大久保君の説明によると、4月に水沼君が2回出席したが、その際、水沼君はマイラケットを持参し、大いに目だっていたとのこと。あろうことか、水沼君のマイラケットというのは硬式ラケットで、それを振り回して、軟式ボールを豪打していたらしい。さらに、先生とも親しく会話していたという。
「あんなに目立ったんだから、さすがに先生も覚えてるよ」
 
「ガーン!・・・・水沼のヤロウ」と思ったが、あとの祭りだった。
 
 もし体育の単位が取れなかったら、最悪の事態だ。
翌年、後輩と一緒に授業に1年間出なくてはいけなくなる。
「実に困ったことになった」が、いいアイディアは浮かばなかった。
 
 しょうがない。とりあえず、体育だけは出席しようと努力した。6月からは8割方出席したと記憶している。
 もっとも楽しくテニスをするだけなので、授業自体はまったく苦ではない。
 
 テニスは屋外のコートでやる。
だが、雨が降ると、皆で体育館に移動し卓球台をだして、卓球のクロス打ちだ。(人数分の卓球台がないので、一台に付き4人でクロスにラリーする)
 
 東京教育大出の体育の講師の専門はなんだったのだろう。
恐らく球技ではなかったように思う。
ところが、テニスの時はほとんど腕を組んでいるだけなのに、雨で卓球になると、自分もラケットを持ってやりたがる。
 素人なのにスマッシュが打てた。
 
 関東学連の4部と5部を行ききするチームの一員であったが、高校から卓球を本格的にやった小生は素人のスマッシュくらいは軽く返す。
素人相手のスマッシュならばスマッシュでも返せるが、そんな大人げないことはしない。
体育講師は授業時間中ずっと小生とラリーを楽しんだ。
 スマッシュを相手がまたスマッシュしやすいコースに適度なスピードで返し、先生がミスするまで、ラリーが続く。
 確かに、素人には楽しい遊びだった。
 
 「何とか単位だけはもらえそうだ」
 
 その年は雨が多かったのか、5回ほど、体育館で体育講師と卓球をしたことを覚えている。
 
 3月になり、大学本部の教務室に成績表をもらいにいった。
 
 前にも書いたが、2年から3年次の進級は無条件でできる。が、予測はついたが、散々の成績だった。
「ほとんど大学行かないとここまでひどいか!」と後悔した。
全部で12単位しか取れていない。
 しかしながら、必修の英語、問題の概論そして体育はなんとか単位がついていた。
 そして驚くべきことに、体育はA(優)だった。
 
 最低限の成績であったが、2学年次を社会勉強にまわす計画は成功したと、自分に言い聞かせた。(いつの間にか社会勉強にすり替わっているが・・笑)
 
話をもどす。
冒頭のクレームだ。
 
 体育教官室にクレームを言いに行った同級生4名は全員、体育の授業は皆勤だったとのこと。
もっとも小生を除くほとんどの人が皆勤なのだが・・・
 
 小生には、同級生4名の主張は良く理解できた。
つまり、4月の最初から代返者を立て、その代返者が、軟式テニスにもかかわらず、公式ラケットを振り回し皆に迷惑をかけ、なお且つ本人は6月くらいにのこのこ出席する始末。
 そして、体育講師はその代返(不正)をはっきりと認識していた。
 
 ところが、そのような輩(やから)の成績がAだと聞いた。
 
客観的に小生もこれはありえないと思った。文句も言いたくなるだろう。
 
気の毒なことに、4名は単位は取れたものの、2名がBであとの2名はCだったとのこと。
 
 大久保君は笑いながら教えてくれた。ちなみに大久保君はAだったそうだ。
 
「それで、教官室では、どんなことになっちゃったの?」小生は心配になり聞いた。
 
「世の中って、そんなもんだ!」って、言われたらしいよ、と大久保君。
 
 4名は体育講師に大きな声で
「世の中って、そんなもんだ!」
と一括され、さらに
「そんなことも分からないから、君たちはBとかCなんだ」
と追い討ちされ、教官室からすごすごと出てきたらしい。
 
4人には申し訳なく思ったが、この事件により、小生は19歳にして、世の中は「ごますり」が大事だと、学んだ。
 
おしまい


「かぐや姫」解散

2024-04-28 19:53:24 | 移転ー思い出音楽

 昭和50年3月31日 九州商船のフェリーボートが佐世保港に到着した。
 小さなバッグと、ギターケースを抱えた小生は希望に胸を膨らませて九州本土に降り立った。
 
高校の先輩の中井さんが勤めている近畿日本ツーリストは港から佐世保駅までの途中にあった。
 受付で中井さんをお願いすると、忙しそうに出てきた。「一緒にコーヒーでも飲もうよ。もう少し時間かかるから、玉屋の入り口で1時でいい?」
 
 受験シーズン、中井さんには大変世話になった。
五島列島から国鉄の切符を事前に手に入れることが出来るとは、思ってもいなかった。
 仕事とは言え、電話一本で間違いなく、さくら、みずほ、はやぶさの夜行寝台の切符を用意してくれた。
 
 まさか自分が東京の大学に行くなどと、つい3日前まで、考えてもいなかった。
紆余曲折あり、昨日決断したばかりだった。
両親はとまどったが、浪人するよりいいだろうとの判断か、学校に寮があり、寮費が安そうなので、費用に大きな問題を感じず、息子の決断を追認した。
 
 根拠もないのに、一期校に合格するとの自信があった小生は不合格が判明した3月中旬、浪人を覚悟し、予備校を長崎にするか福岡にするかの決断をしようとしていた。
 
 従妹の姉ちゃんがいる福岡にしたいと思い水城学園の資料も取り寄せた。この場におよんででも、少しでも都会で過ごすことを画策した。
天神の照和に行きたいことが親にばれると、長崎の予備校になってしまうので、それはおくびにも出さず「やっぱり、水城がよかよ」と九州大学の合格者実績を比較して親にアピールしていた。
 
複数の学校を受験したので、今のところ、合格は2校もらっていたが、遠いとか、費用が高くなりそうだとか、行きたくないなどの理由で検討からはもれていた。
 
ところが、3月中旬から受験していた京都の公立と東京の二期校から、土壇場の3月下旬になって、さらに合格をもらってしまった。
実はこの2校の合格は予想外だった。なぜなら、理科と社会を自分の得意の科目で選択できなかったからだ。
もちろん一通り、授業を受けて高校での単位にはなっていたが、受験科目として勉強しなかった科目での受けざるを得なかった。
卓球の試合と重なり、行けなかった修学旅行代わりに、選択科目が合わないにもかかわらず、受験をたてに京都、東京に行ってきた大学だった。
合格の確率は極めて低いので、観光してリラックスして臨んだことが、かえってよい結果になったのかも知れない。
 
 この結果を、春休みに入っていた学校に相談に行った。
担任は帰省しており留守、転勤が決まっていた副担任の先生の引越し準備に追われる教員宿舎に行った。
 
 東京の学校出身の副担任は「よかったね。よかった、よかった」
小生が「合格した大学が九州でないので、浪人しようかな・・・」と言うと。
 来年は新課程になるのに浪人するなんてとんでもない。国立に折角合格したんだから、絶対行ったほうがいい。と忙しそうに言った。
 引越しの準備で忙しいのに、何とバカな相談してるのか。と思っているようだ。
 
家庭の事情など相談するムードではないので、自宅に帰って相談することにした。
 
親は黙っていた。
判断する材料を持っていなかった。
 遠くは心配だし、費用も心配だと言いたいようだが、親として浪人を薦める根拠もない。
 先生が言った「新課程」とは、小生の1年下の学年から教育課程が新しくなっていたことを指している。浪人すると、来年は新しい課程の試験問題になるので、小生の世代が浪人するのは不利と言われていた。
 
 自分で結論を出すしかなかった。それも即刻、決断するしかなかった。
二期校の入学金納付は4月2日までと書いてある。もう時間がない。
 
以上の理由で急遽、中井さんに電話して翌日の特急寝台「さくら号」東京行きの切符を予約してもらったのだった。
 まさかの展開だったが、東京に行けることになった小生は内心、大喜びだった。
 
二期校の受験の際、学校の寮に泊めてもらったので、費用のことも含め説得力のある説明できた。
京都の公立は四条河原町の旅館に泊まって受験したので、住むイメージが湧かなかったし、京都まで行くのなら東京でも同じだ。
九州でない場所は、五島列島から見ると、どこでも遠いところだった。
 
 かくして、この日、佐世保にギターを持って降り立ったのだった。
 順調にいけば、明日の午前中に東京に着くので、その足で学校に行って入学金を納付すれば、あとは何とでもなるだろう。
 まずは、ジャンジャンに行ってみよう。コンサートは「吉田拓郎」か「かぐや姫」に行かなくては・・・
 
 などと考えながら、中井さんを待つべく、四か町商店街のアーケードに入った。中井さんが指定した玉屋は長いアーケード街を抜けたところにある。
 1時までは時間があるので、ぶらぶらと寄り道をした。
「そうだ、カポ買わなくちゃ」
提げているギターを買った楽器屋さんに寄って、金属製のカポスタートを買った。
今から、本格的にギターをやるんだから、今持っている布ゴムを巻きつけるタイプのカポでは東京では格好悪いかも、と見えを張った。
 ついでにピックも買う。高校時代はプラの下敷きで何枚も作った自家製で友人も喜んでくれたが、何しろ東京に行くのだ。
 
 楽器屋の次は電気屋に行く。買うわけではないが、いつか揃えるであろうオーディオを見る。
 東京には秋葉原という町があって、そこでコンポを揃える計画だ。
 
 田舎とはいえ、佐世保は長崎では2番目に大きな町だ。その中のアーケードに構える電気屋は恐らく都会と遜色ないアンプやスピーカーが置いてあった。
 「やっぱ JBLはいい音だすな」
憧れのJBLのスピーカーからポールサイモンとアートガーファンクルのハーモニーが聞える。
 
 隣のダイアトーンのスピーカーからは、ラジオが流れていた。昼どきで、地元のニュースが流れている。
 次の瞬間、小生はとんでもないニュースを聞いてしまった。
「ここで、ニュースがはいりました。南こうせつとかぐや姫が解散するということです」「人気フォークグループのかぐや姫が解散というニュースが入っております」
 
 がーん!
 
 ショックだった。
 
 かぐや姫は青春そのものだ。
高校時代の美しい思い出だ。クラスの女子とカセットの交換もした。
今から、見に行くつもりだったのに・・・
 
 後から知ったことだったが、4月12日の神田共立講堂が最後のコンサートだった。
 
 LPレコードでは擦り切れるほど聞いたが、東京に行ったら、何処よりも先にアビーロードの町を歩いてみたかった。
 その、かぐや姫が解散だという。
 
 中井さんが、玉屋に来て一緒におしゃれな洋食屋に入った。
さすが、社会人かっこいい。
「ランチ食べる?」
「おなか空いてないので・・・」
中井さんはおいしそうなハンバーグランチを食べたが、小生はかぐや姫ショックで、食欲がなく、紅茶を飲んだ。
中井さんに、かぐや姫のことを言ったが「へー?!」っと言っただけで、さほど関心がなかった。
 
傷心の小生であったが、切符の手配で、さんざんお世話になった中井さんと別れて「さくら号」に乗り込んだ。
 
傷心のまま東京に着いた2日目、小生は朝から張り切って渋谷まで出た。
 ハチ公口の交番で青山通りを教えてもらい、外苑方向に歩く。
「♪あの日の君は傘さして青山通り歩いてた、君は雨の中、ちょうど今日みたいな日だった♪」
イントロのギターから口ずさんだ。よく晴れて、少し汗ばむ歌詞とは違う天候だったが・・・
「♪ビートルズの歌が、聞えてきそうと、二人で渡った交差点♪」
 一人ボーカルでコーラスも自分で口ずさみながら、坂道を登った。
 本当は東京タワーまで歩く計画だったが、青学のあたりで、めげた。
表参道で左折して、原宿方向へ。ペニーレインに向かう。 吉田拓郎の「ペニーレインでバーボンを」が流行っていた。
「案外、地味な店なんだ」
外から見ただけで、とりあえず満足。
 
「さて、このあとどうしよう」少し考え「新宿いかなくちゃ」
 新宿駅で歌舞伎町の行き方を聞いて、靖国通りを横断する。
 正面奥にコマ劇場があった。左に回りこみ、コマの正面に。
 空腹に気がついた。コマの前の立ち食いそば屋でうどんをたのむ。
 なぜか、スープが黒い・・・
 
 平日の昼間の歌舞伎町は人がまばらだった。
うどんをすすりながら、コマのスピーカーから流れてくる有線を聴いていた。ピンカラ兄弟だった。
 お腹が満たされて、コマとミラノの間の広場に出ると、聞えてくる音楽が替わった。
 
「♪空にあこがれて、空を駆けていく、あの子の命は、ひこうき雲♪」
 荒井由美だ。
 TBSパックインミュージックのパーソナリティーだった林美雄が天才だと盛んに紹介していたので、注目していた。
 
「かぐや姫は解散だけど、荒井由美がいい味を出しているし、ジャンジャンとかルイードいけば、未来のスターに会えるかも・・・」
と、東京での生活のスタートに希望を持った。
 
 こうして、小生のギター生活が東京で始まるはずだったのだが・・・
 
 荒井由美については、小生の故郷と少し関係しているが、それは後日書くつもりだ。
 
 つづき
 
 ・・・ませんが、
 PS 
 かぐや姫は、この年の4月12日に神田共立講堂で解散コンサートを行い、ファンは泣いた。
 ところが、その夏、吉田拓郎が「つま恋コンサート」を企画した。その際、かぐや姫に出演を依頼し、ちゃっかり再結成した。
 次回は、その「つま恋」の事を書くつもりだ。


NHK物語 4 完結の巻

2024-04-28 19:49:27 | 小説「NHK物語」

12月上旬の昼すぎ、就職活動の反省会が居酒屋松野家で開催された。
 寮の親しいマージャン仲間が中心だった。
 
石田さん、松本さん、江藤くん、大久保くん、前田くん、そして小生だった。
さん付けは留年組、先輩である。
 
 幸いなことに、全員の就職先が決まっていて、その打ち上げが目的だった。
 留年組の先輩2人はプレッシャーから解放され、饒舌だった。
 
 特に石田さんは、10社以上に落ちて不本意ながら大手とは言えない会社に決まったようだが、嬉しそうだった。
 
 石田さんが、一人ひとりに聞いた。
「松本、本当はどこに行きたかった?」
松本さんは、食品会社に決まったが、第一希望は明治乳業だったと答えた。
 石田さんは「よーし、明日からここにいる全員、明治のチョコレートと牛乳は飲まないように!」
 
昼間から酔っ払っていた。
 
 明治の牛乳は明治乳業だが、チョコレートは明治製菓だ。が、石田さんには関係ない。
 
「江藤、お前はどこに行きたかった?」
江藤君はアパレル大手に決まったが、本来は印刷会社希望だった。
「よーし、全員、その会社の印刷物は読まないこと!」と石田さん。
 かなり大きな印刷会社なので、不可能だと思うのだが・・・
しかし、みんな笑って盛り上がった。
 皆、酔っ払っていた。
 
 大久保君や前田君の第一希望の会社も全員で使わないと約束した。
 
小生の番になった。
 
小生の本命は遊技機かケイシュウニュースだったが、これらは話が、ややこしくなりそうなので、NHKが第一志望だったと報告した。
そして、NHKでの試験のことと、その時思い出した議員事務所からの電話のことを披露した。
 これには、松本さんが食いついた。
「その電話って、要するに政治家の圧力で就職させてやる。ってことじゃなかったのか?」
 小生は、そんな角度で物事を考えたことがなかったので、びっくりした。
 皆が「そうだ。そうだよ」と松本論を支持した。
「もったいないから、今からでも、頼んでみろよ」と松本さん。
 
「えぇー!いいですよ。もう決めましたし」と小生。
 
石田さんが、言った。
「よーし、明日から全員NHKは見ないように!」
 
 いままでは、石田さんの提案に、全員が笑って同意していたが、これには皆が反対した。
「石田さんだって、NHKの好きな番組見るでしょう」
 
「そうか・・・?」石田さんは唸った。
 
そして、何を思ったか、NHKに電話すると言い出した。
石田さんは酔っ払うと、いままで沢山の事件を起こしていた。
 
皆が止めるのに、松野家の赤電話から、NHKに電話を始めた。
 この人が暴れると、ろくなことがないことを全員が知っていた。
通常は、おとなしくて、いい人なのだが・・・
 
 皆から10円玉を集めて、長期戦の構えだ。
NHKに通じたようで、最初は人事課の人と話をしているようだ。
 なんだか、小生に合格通知を出すように迫っている。
担当が違ったのか、何回かたらい回しになっても、一生懸命に訴えている。
小生だけが、「石田さん、もういいですよ」というが、みんな面白がって、止めようともしないし、かえってけしかける始末。
 電話の向こうの声はほとんど聞こえないので、酔っ払った石田さんが言っている内容で、推測するしかない。
石田さんは時々、どういう人と話をしてるのかを皆に報告する。
 しかし、石田さんが思う担当者には、中々つながらなかった。
 
しばらくして、石田さんは、今度は偉い人に替わってもらった。といったが、話せば話すほど、声が大きくなっていった。
「ふざけるな!」とか「誠実に対応しないのなら、視聴料を払わんぞ」とか言い始めた。
電話の相手は酔っ払いか嫌がらせの人からの電話ととったようだ。そうには違いないが・・・
 
どうも話の筋がずれて来て、NHKが不誠実なら、視聴料を払わない方向の話になってきている。
 
石田さんの声が益々大きくなった。
そして、叫ぶように言い始めた。
「皆、証人だぞ。NHK管理課課長の奥野さんが、払うなと言っている。よし、今から言う者は全員一生払わない。工学部化学工学4年の石田、同じく農学部農芸化学科4年の松本、同じく・・・・そして最後に小生の学科と名前を言った」
 そして、「奥野さん、ちゃんとメモしましたか?NHKが取りに来てもこの6名は絶対払わないからな!」「奥野さんと約束したから払わないって、集金にきた人にいうからね!」
 
NHKの奥野課長という人は「はい、はい、あんた達には集金にも行かないよ!」って言っていた。と石田さんが電話を切ったあと、皆に報告した。
 
ともかく石田さんが暴れることなく、決着してよかった。
この日は最後まで、石田さんは視聴料にこだわり続け、みんなに払わないように言い続けた。
 
 石田さんの武勇伝は、多くの物語が書けるほど、豊富だ。いくつかには小生も加わったり目撃したりした。すごい人だった。
 小生はこの問題をよく起こす人が好きだった。純粋な人だった。
 
翌年、全員が就職して、違う道を歩き始めた。
石田さんとは卒業後、2度ほど会ったが、その後ご無沙汰している。
 
小生は石田さんとの約束を守った。いや守ろうとした。
当初、NHKの人が視聴料の集金に来ても、奥野課長さんに聞いてくださいと、このときのことを説明した。
NHKの集金担当者が変わるたびに説明した。
皆さん、奥野課長さんと連絡したのか、督促には来なかった。
 
その後、個人的な事情だが、結婚した。
 
ある日、わが家の玄関に、NHKのシールが張ってあることに気がついた。
 嫁に聞くと、NHKが来たから、普通に払ったという。
 
嫁に事情を説明した。
石田さんや仲間との「青春の誓い」を熱く語り説明した。
 
「ふーん・・・」と嫁は関心なさげに聞いていたものの、玄関にシールが張っていないと、近所に体裁が悪いと主張した。
さらに、親戚が訪ねて来た時にNHKのシールがないと、見っともない、という。
 たったそれだけの理由で、私の話に対し、聞く耳を持たなかった。
 
 そして、小生と石田さんとの「男の約束」を、くだらないものとして、あっさりと反故にした。
 
 その後、当家の玄関には、ずっとNHKのシールが張ってある。
  時々そのシールを眺めて、つぶやく
 
「石田さん、ごめんなさい・・・」
 
 完