Miraのblog

小説はじめました

天才騎手

2024-05-01 16:04:21 | 競馬

 30年以上も前の話ですが、マリージョーイという牝馬がいました。
馬の調教師が結婚する際に懇意にしていた馬主がお祝いにマリッジとジョイ組み合わせてつけた名前でした。
父はあのトウショーボーイも排出したテスコボーイ(プリンスリーギフト系)、母の父はダイハードという良血。
残念ながら2歳時にデビューできず、年明けの1月21日、中京で初出走、勝利を飾った。2月の特別レースも勝利し、クラッシク路線に期待がかかった。
ところが、’70年からリーディングを9年連続、天才を欲しいままにしていた福永洋一(写真)を鞍上に迎えた2月24日の条件戦でまさかの惨敗。
クラシック路線をあきらめきれない次のレースは中1週の毎日杯であった。
毎日杯のレースは中段から追い込む作戦の天才福永だったが、4コーナーで前の馬が落馬しそれに巻き込まれた。
マリージョーイは前方で落馬した旗手につまずき転倒、福永は馬上から大きく放り出され、頭部を強打、脳挫傷を負い、再起不能となったことは有名な話です。
名前の由来とは程遠い結末でした。
 
現在では、レースローテーションがこんなに過密になることはありえないが、当時はままあることでした。しかし特別レースを勝った時点で、毎日杯も出走できたので、返す返すも残念な事故でした。
前年の’78年の新年、あの有名なテンポイントが(5歳の最後のレース暮れの有馬記念でライバル、トウショーボーイを負かし)この年海外遠征に行くとのビッグニュース、壮行レースとなった日経新春杯なんと66.5Kgの斤量に馬主は躊躇したものの、調教師がファンの期待を裏切れないと出走に踏み切った。そして、骨折。テンポイントについては、又の機会に詳細を書くつもりだが、関西のファン(の期待)に殺されたと今でも思っている。
 一年あまりの間に起こった、これら2つの事故はその後、良い馬ほど、斤量、ローテーションを考えて無理をさせない体質が生まれた要因となった。
 マリージョーイは生涯で5勝したが、なぜかすべて中京競馬場での勝利であった。
 引退し、母になってもさほど活躍する馬は出せなかった。
 
 そして今年’2011年、’79年の事故の2年前に生まれた天才の長男 福永祐一がリーディングを快走している。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿