数日前、asahi.comに、
『石綿肺のおじいちゃんと最後の夏休み・・・9歳の孫が日記』という記事が、
載りました。
アスベスト(石綿)による健康被害が出た、
兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場の近くに住み、
じん肺の一種の石綿肺を患っていた男性が、
国による救済を待たずにこの秋、69歳で亡くなった。
夏休み中、見舞い続けた9歳の孫娘は、
大好きだった祖父が病と闘う姿を日記につづっていた。
というものでした。
わたしのおじいちゃんは、
はいの病気で2年前からさんそ(吸入器)をつけています。
(訪問看護師の)タカノさんから
「夏休みのあいだ血あつをはかったりおじいちゃんのおせわをよろしくね」
とたのまれました。がんばるぞー!
〈8月31日〉おばあちゃんと病院にいきました。
いつもかえる時におじいちゃんとあく手をしてからかえります。
おじいちゃんのあく手の力で元気かどうかわかります。
きょうは、つよかったです。
またあしたもおみまいにいきます。 おわり
尼崎市の鶴谷和奏(つるたに・わかな)さん(9)は小学3年生です。
「看護婦さんになりたい。」両親にそう伝えているという少女の胸に、
おじいちゃんは、いっぱいいっぱいのプレゼントを置いていったように思います。
ある看護婦さんが、言いました。
「小学1年生の時、母が癌になって、すごくすごく不安だった。
その時、看護婦さんが手を握って「大丈夫だよ。」って言ってくれて、
とっても楽になったの。」
だから私も、
心配している人たちに安心を渡せるひとになりたいと思ったの・・・と。
彼女はいま、
移植手術などで度々会見が行われる大きな病院で、
その、大きな手術の場に立つ看護婦になっています。
最近、いろんなところで大人が揺れて、政治も揺れて、
殺伐としたニュースが多くなっているけれど、
何かを言うより、
その瞳は、背中は、指は、
子供に対して、大きなことを語っている。と思います。
偉そうなことを言ったり、怒ったり、
そんなことで、誰かをねじふせるのではなく、
『生きること』をごまかさないで、
対してほしいな・・・と、
自分に対しての言葉としても、
そんなことを、
この記事から、思いました