ミニ・レビューです。
Darcy側の日記です。
内容はこのブログでもレビュー済みで超オススメのAmanda Grange作・"(Mr.)Darcy's Diary"とほとんど同じ。
お話のナレーションはもちろんDarcyですが、ちょっとフェミニンな感じがあるのと、中篇くらいの長さなので物足りなさも。
もしかしたら、Grangeはこれを読んでもっといいものが書ける!と思ったのかな^^
でもこれも時間があれば、Darcyファンの方にはオススメです。
Amanda Grange. 2005, 2007. Darcy's Diary/ Mr. Darcy's Diary.
2005年に英Rober Haleから"Darcy's Diary"、2007年に米のSource Booksから"Mr.Darcy's Diary"として出版。
オースティンファンにはかなりのオススメ、です!
(英国版の表紙:私はこっちのほうが好き)
オースティンの続編カテゴリーにしましたが、このGrangeの”Darcy's Diary"は、「高慢と偏見」(P&P)の続編ではなくて、「もう一つのお話」です。
P&Pのあらすじはもうここに書かなくてもいいですよね。
BBCのドラマ版を見ると、Darcyはかなりヒロイックに描かれていますが、オリジナルでは、彼のことに関する描写ってちょっと物足りないくらいだと思ったことありませんか。
あと、BBCドラマ版でも、映画「プライドと偏見」の中でもそうですが、DarcyとElizabethが出会ってプロポーズするまでの展開に多少びっくりされた方もいるかと思います。
"Darcy's Diary"ではその、P&P読者には空白に思える部分を全て知ることができます。
もちろん、Austen自身はどう思うかは分かりませんよね。でも、文句はないんじゃないかな???
Austenblogからは:
"A gift to a new generation of Darcy fans and a treat for existing fans as well"
の太鼓判!
作者GrangeはDarcy側から見たP&Pを、オリジナルを損なうことなく、みごとに作り上げています。
日記は、Mr.Darcyの妹GeorgianaがWickhamにだまされてもう少しで駆け落ちしてしまうところだったのを、Darcyが危機一髪で救う辺りから始まり、約1年半に渡って書かれています。
お話の中で次に何が起こるのかはもちろん分かっているのですが、"Darcy's Diary"はオリジナルには書かれていない気持ちや会話などが中心のお話なので、「あの時のDarcy側のストーリーはどんなのだったんだろう」とものすごく気になり、読み進まずにはいられませんでした!
プロポーズを断られた後のDarcyの気持ち、そしてElizabethの言葉を胸にどんどん変化していく様子、よく書けていたと思います。文句ナシ!
それに、Austenのユーモアや機知を損なうことなく描かれています。
言い回し・表現もオリジナルにかなり近いのですが、現代の読者に分かりやすいようにGrangeの気の利いた工夫がしてあったと思います。
例えば、Lydiaがパーティーで下品にはしゃいでいる様子がDarcyの目に留まるシーンがありますが、そこでどっかり椅子に座り込んだときのLydiaのオリジナルのセリフは:
"I'm so fagged!"
だったと思います。でも、この'fag'という言葉は現代では「疲れる」という意味はすっかりなくなってしまい、同性愛者に対する差別用語に変化してしまってるんですよね。
BBCでは"I'm so fat!"と発音が似ている語に直されていますが、私はGrangeの"Lord, how tired I am!"のバージョンのほうがオリジナルに忠実でいいなと思いました。
他にもいくつか分かりやすいように直されていましたが、一つだけ、"gay”という言葉が、当時そのままの"楽しい"という意味で使われていたように思います。
(もしかしたら、英国では今でもその意味で使ってたりして?)
前にもAustenファンを喜ばせる続編を書くのは大変でしょうね、なんてコメントしたことがありますが、このGrange作のP&Pはまさしく『ダーシーだけが知る裏話』と言ってもいいと思います。
以前にレビューしたLinda Berdollの続編(のさらに続編も出てる…)では、Darcyがマッチョで「オレについてこい」タイプになっていることから始まり、あと全て間違ってるけど、このGrangeの作品はあまりにオリジナルの世界の雰囲気そのままなので、私は原作と平行して読んでみてどこが違うのか調べたくなったほどです。
P&Pの世界を堪能されたい方にはオススメ。
Grangeの"Mr.Knightley's Diary"もレビュー予定してます。読むのが楽しみ
Helen Halstead. 2005. A Private Performance: A Sequel to Jane Austen's Pride and Prejudice. Random House.
1/2
オーストラリア人作家Helen Halstead作。 (Ch1.Excerpt)
2007年5月にUlysses Pressから「Mr. Darcy Presents His Bride: A Sequel to Jane Austen's Pride and Prejudice」として出版される予定です。
Austenファンの怒りを買わないP&Pの続編を書くのは大変難しいと思います。Linda Berdollの続編はかなりのひんしゅくをかいましたが、このHalsteadの続編は原作のP&Pの世界を崩すことなく上手に仕上げてあります。
前半は、Elizabethが結婚後、ロンドンの上流社交界でMrs.Darcyとしてデビューし成功する様が描かれています。Lizzyのドライなユーモアのおかげで、社交界のアネゴ・Englebury侯爵夫人に気に入られ彼女のサロンの仲間入り。
Lizzyの聡明さや純粋さに惹かれた人たちが、彼女の意図せぬところでちょっとした人間模様を描き出しています。恋愛結婚はほとんどなかった当時の上流社会で、LizzyとDarcyの仲むつまじい様子を見たある紳士が嫉妬心から、DarcyはLizzyを束縛していると、Lizzyを「かごの中の鳥」と揶揄したり。
せっかく社交界の人気者となったLizzyですが、そんな社会の中にただよう人間間の利害のための駆け引きに少し疲れを感じます。そんな中、Darcyとの関係だけがLizzyの心に安らぎを与えてくれます。
Lady Catherine de Bourghのイジワルも忘れてはいけませんが、ここにAustenの原作との違いがあります。
オリジナルは資本主義が出始め中産階級が台頭しだした頃に書かれているので、上流社会の端で育ったAustenの視点がおもしろいんです。
Lady Catherineは原作ではそんな時代の特権階級の権化だったわけですが、現代に書かれる続編ではそのようなフレームをお話に使うのは難しいんですよね。読者がこういう時代背景を自然と共有していないので。
Halsteadのこのお話でも主人公Lizzyを通してAustenが投射したような皮肉は見られません。
なので、Lady Catherineはただのイジワルで偏屈なおばあさんで、LizzyとDarcyの幸せを邪魔する存在となっているだけで、Austenのような作品全体を通して感じる作家のメッセージはありません。
必ずしも続編がオリジナルのAustenと同じように特権階級に対してシニカルなお話でなくてはいけないというルールはありませんが、オリジナルの醍醐味はそこにもあるので、この辺が現代に書かれる続編の課題ではないでしょうか。
後半は、DarcyとElizabethが夫婦間の絆を強めるのはもちろんのこと、GeorgianaとLizzyの妹Kittyが精神的に成長する様がよく描かれています。
その他諸々の登場人物は「相変わらずね~」と思うほど原作のイメージを損なっていません。
オススメの一冊。
Linda Berdoll (2004) Mr. Darcy Takes a Wife: Pride and Prejudice Continues.
Landmark.
2004年に出版された時に、図書館で3ヶ月待ちでやっと手に入れたこの小説ですが、この時は第1章だけ読んで返しました。
さて、今回も中断の危機を乗り越えてやっと読み終わったので、前に書いた記事をちょっと直してUPしました。
前の夜見た夢の話をしたがる友人がいるのですが、支離滅裂の他人の夢の話を聞くのは苦痛です。
この本はそんな感じ。
BerdollがBBSのTVシリーズを見て感動し、それから4年間Austenやこの時代の文学を研究して書いたそうですが、ただのTVシリーズを延長したBerdoll自身のお粗末な空想の世界なんです。
登場人物達はTVシリーズで見たものをさらにBerdollの空想の世界で誇張してあるのでオリジナルとはかなり異なります。名づけて、
P&P続編:Berdoll's La-la Land Version
ですね。
言葉遣いもAusten風にしてあるつもりなんだけど、私にはRik MayallのBottomというイギリスのコメディ番組しか頭に浮かんできません。
Richieが上品な言葉使いでひたすら下品な下ネタをやるんです。
Berdollのこの小説には性的な描写が多いのですが、Austenを意識した優雅さを保つための比喩表現や間接的な表現が、どうしても、Richieのお上品且つオゲレツなネタのようにしか聞こえなくて。
ElizabethとDarcyじゃなくて、しかもお話ももっと簡潔にまとめてあって、言葉遣いも直したら、ハート3つあげます。
以上が、パートⅠを読み終わった時の感想です。
全部読み終わっても感想は変わりませんでした。
ハリポタの最終回ではハリーが死ぬのではないかとうわさが出ています。「そして誰もいなくなった」のように、キャラを殺してしまえば他人が『続編』が出すのをふせぐことができるからです。(でも魔力で甦らせられたりもできる…?)
確かに。こんなバッタモン続編が出るのは悲しいですね…。
Berdollはかなりの実力はあるので、いっそのこと別のお話を書いたほうがもっといいもになったと思います。
ネタバレしちゃおー。
すんごい長いお話なのですが、無駄な部分が多いんです。
全体的に要約すると:
・金をせびり相変わらずわがままなLidiaと悪者一直線のWickhamのウザさを強調
・Elizabethが襲われる。流産、そして2度目は死産と不幸が相次ぐ中、Lizzyを思うDarcyのヒーローとしてのしびれるかっこよさをひたすら強調。(でもLizzyがかわいそうではないの!)彼の性欲も衰えること無し。
・Wickhamの隠し子を自分の子では?と悩むDarcy。
・Lady Catherine Debourghが、頭がおかしくなったかのようにLizzyをいじめにやってくる。
・Mr.Collinsがハチにさされ池でおぼれて犬死にする。(おもしろおかしくしたつもりなんだろうけど、ひどい!)
・JaneとBingleyの間にゴロゴロと子供ができる。が、Bingleyの浮気が発覚!(Janeを思いっきりナイーブにし立て上げ、Bingleyの浮気を正当化しているが、よくもここまでオリジナルのBingleyのキャラを台無しに…)
・Mr.Bennetが心臓発作で急死。(殺す必要あったの?)
・Georgianaが家出。愛するいとこのFitzwilliamを追ってワーテルローへ。(かなり強引な展開)
・Wickhamが戦争中行方不明になり、結果、死亡したことになるが、実は生き延びてヨーロッパのどこかへ消えていくところで終わる。(もしかして次回作の伏線?やめて~。)
・etc
ハッピーエンドしたものをわざわざもう一度起こして、結局ハッピーエンドするために、ここまで罪のない人が死んだりつらい目にあったりするのはなぜ?
ロマンス小説界最大の無駄な努力が集結した一冊。
みなさんは読む気ありますか?