こんばんは
、大島です
今回の記事は私が担当させていただきます。
大島健志 30才(磐城高校→法政大学)
得意なプレー:ロンスポでの買出し、DVD編集
WBCが終わり日本のプロ野球も昨日開幕しましたね
ジャイアンツは開幕2連敗

でも、「メークレジェンド」の去年は開幕5連敗スタートだからまだまだこれから
ところで、WBCでも侍JAPANはグータッチ
をしていましたね、何で原監督がグータッチを始めたかわかりますか?
グータッチはハイタッチと違って、手の接点がほんの一部であるため、タッチする瞬間に目と目を合わせないと、うまくできない。
つまり、原監督と選手がグータッチをする瞬間は、必ず目が合う、その事を原監督は大事にしていたようです。
元々ダーツの時の挨拶もグータッチですし、メジャーでもグータッチは多いので、そこらへんを参考にして、いいものを取り入れたということでしょう。
うちらのチームも今シーズンはグータッチ取り入れてみますか

最近、私は歯医者(内郷の小野歯科クリニック)に通ってます、虫歯が痛くて我慢できずに、7年ぶりくらいの治療です
皆さんも時間があれば是非、歯医者さんで歯のチェックしてもらった方がいいですよ
ちなみに、小野歯科クリニックではマウスピースも作ってくれますよ
さて、このブログは私が工藤首相に提案して始まりました、みんなの意外な一面がわかったり、コミュニケーションの場となればいいかななんて思いまして
前の人から5、6日の間隔で私が誰かを探して頼んでおります。
先週からK田さん、S長、A藤君に頼んでいるんですが、誰からも返事がなく、投稿が滞っておりました。
工藤首相より、前々から「投稿が滞った場合の責任は君がとれ」と言われておりまして、今回は私が投稿させていただきます。
なお、投稿希望者は随時募集中ですので、その際はご連絡ください

本題に移ります
『この物語は、ある学園の荒廃に戦いを挑んだ熱血教師達の記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を余す所なくドラマ化したものである。』
というナレーション、一度は耳にしたことがありませんか??
そう、「スクール☆ウォーズ」というドラマのオープニングナレーションです。
スクール☆ウォーズ
1984年10月から85年4月に大映テレビ制作、TBSテレビ系列で放送されていた“スポ根ドラマ最高傑作”と言われるドラマである。
正式名称は『スクール☆ウォーズ ~泣き虫先生の7年戦争~』。
京都市立伏見工業高等学校ラグビー部と同部監督で元日本代表フランカーの山口良治をモデルとして、作家・馬場信浩が執筆した小説『落ちこぼれ軍団の奇跡』を基に制作されたフィクションドラマ。ラグビー部が全国優勝を果たすまでの軌跡を描くことで、健全な生徒の育成に取り組もうとする教師と生徒の葛藤と成長を表現したドラマである。ドラマの舞台は神奈川県内の川浜市という架空の市となっている(ロケは川崎市の周辺が多かった)。
元日本代表の大八木淳史や平尾誠二がモデルとなる人物が登場しており、高野浩和演じたイソップも、脳腫瘍で没した実在の部員がモデルである。大映ならではの大げさな演技や強烈な展開と演出で人気を博した(ちなみに伏見工業の現監督である高崎先生も全国初優勝時のSHで平尾さんとコンビを組んでいた)。
元日本代表の名フランカーだった滝沢賢治は現役引退後、川浜市教育委員会に勤務し、ラグビー指導等をしていた。それに目をつけた市立川浜高校の山城校長から川浜高校体育教師の職にと懇願されたが、滝沢は、その悪いことなら県下一のワースト校が川浜高校であったため、妻・節子も反対した。しかし、一方では滝沢の夢は教師になることで、悩みぬいた末、川浜高校に赴任した。しかし、生徒たちの反乱、そして屈辱の大敗を経て、ラグビー部として始動していき、全国大会の決勝戦に臨んだ。オープニングの冒頭近くに、モデルとなった伏見工業-大阪工業大学高等学校の決勝戦のキックオフ前後の映像が流れる。


リアルタイムでこのドラマをみたのは確か幼稚園の頃で、みた記憶はあるけど、内容はほとんど覚えておらず、どちらかというと再放送で何度もみた思い出があります。
10年近く前の「Number」にスクール☆ウォーズの特集が載っていたんですが、これを再放送すると翌年の高校ラグビー部の新入部員が増えたり、高校ラグビー部の登録数に影響を及ぼすほどのものだったとのこと。ラグマガで花園出場校の選手を紹介する付録本がありますが、「ラグビーを始めたきっかけ」欄をみると、必ずといっていいほど「スクール☆ウォーズをみて」と書いている選手がいたほど。ちなみに「Number」では「スクール☆ウォーズをみて」ラグビーを始めた選手を「賢治の落とし子」と書いていました。
そう、私がラグビーを始めたのも「スクール☆ウォーズをみた」ことがきっかけでした。紛れもない「賢治の落とし子」です。再放送でみているときはルールなんてほとんどわからず、ただ、そのドラマ(スクール☆ウォーズ)に魅せられていた気がします。「スクール☆ウォーズ」をみていると、何か熱いものが込み上げてくるんですね!
こんな理由でラグビーに興味を持ち、高校でラグビー部の門を叩いたわけではありましたが、僅か一週間足らずで辞めようと思いました。練習が辛く勉強をする時間はないし、上下関係も結構厳しいし、何より弟と一緒なのが嫌で嫌で・・・(双子の弟も磐城高校の同級生でラグビー部に入部)。
辞めようと思って母親に相談したところ、「もう少し頑張ってみたらと止められたこと」、「先輩や先生が怖くてなかなか辞めると口に出せなかったこと」があり、そのままラグビー部に在籍。そして、今に至るというわけです。
今となっては、あのときラグビーを辞めていれば今の自分はなかったと思います。ラグビーをやっていたからこそ、忍耐力や体力、精神力を鍛えることができ、そして高校三年間の限られた時間を有意義に送ることができたのかなと。「母親の一言」と「当時の弱気な自分」があったから、今でもラグビーを続けられているのかななんて思います。
またな
by内田勝
つづく
追伸
今回の投稿と全く関係ないんですが、うちの実家と嫁の実家で飼っている犬です。
うちのは柴犬で6才、名前は「りゅうた」。
嫁のはゴールデンレトリバーで8才、名前は「モモ」。
モモちゃんが着ているのはラガーシャツです。
モモちゃんはチームのBBQと練習に登場したことがあります

あっ、大事なことを書き忘れてた
子供たちが諸橋のおじちゃんからのプレゼントがないって怒ってます
Nintendo DS 2台で許してくれるそうなんで、待ってま~す



今回の記事は私が担当させていただきます。
大島健志 30才(磐城高校→法政大学)
得意なプレー:ロンスポでの買出し、DVD編集
WBCが終わり日本のプロ野球も昨日開幕しましたね

ジャイアンツは開幕2連敗


でも、「メークレジェンド」の去年は開幕5連敗スタートだからまだまだこれから

ところで、WBCでも侍JAPANはグータッチ

グータッチはハイタッチと違って、手の接点がほんの一部であるため、タッチする瞬間に目と目を合わせないと、うまくできない。
つまり、原監督と選手がグータッチをする瞬間は、必ず目が合う、その事を原監督は大事にしていたようです。
元々ダーツの時の挨拶もグータッチですし、メジャーでもグータッチは多いので、そこらへんを参考にして、いいものを取り入れたということでしょう。
うちらのチームも今シーズンはグータッチ取り入れてみますか


最近、私は歯医者(内郷の小野歯科クリニック)に通ってます、虫歯が痛くて我慢できずに、7年ぶりくらいの治療です



さて、このブログは私が工藤首相に提案して始まりました、みんなの意外な一面がわかったり、コミュニケーションの場となればいいかななんて思いまして

前の人から5、6日の間隔で私が誰かを探して頼んでおります。
先週からK田さん、S長、A藤君に頼んでいるんですが、誰からも返事がなく、投稿が滞っておりました。
工藤首相より、前々から「投稿が滞った場合の責任は君がとれ」と言われておりまして、今回は私が投稿させていただきます。
なお、投稿希望者は随時募集中ですので、その際はご連絡ください


本題に移ります

『この物語は、ある学園の荒廃に戦いを挑んだ熱血教師達の記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を余す所なくドラマ化したものである。』
というナレーション、一度は耳にしたことがありませんか??
そう、「スクール☆ウォーズ」というドラマのオープニングナレーションです。
スクール☆ウォーズ
1984年10月から85年4月に大映テレビ制作、TBSテレビ系列で放送されていた“スポ根ドラマ最高傑作”と言われるドラマである。
正式名称は『スクール☆ウォーズ ~泣き虫先生の7年戦争~』。
京都市立伏見工業高等学校ラグビー部と同部監督で元日本代表フランカーの山口良治をモデルとして、作家・馬場信浩が執筆した小説『落ちこぼれ軍団の奇跡』を基に制作されたフィクションドラマ。ラグビー部が全国優勝を果たすまでの軌跡を描くことで、健全な生徒の育成に取り組もうとする教師と生徒の葛藤と成長を表現したドラマである。ドラマの舞台は神奈川県内の川浜市という架空の市となっている(ロケは川崎市の周辺が多かった)。
元日本代表の大八木淳史や平尾誠二がモデルとなる人物が登場しており、高野浩和演じたイソップも、脳腫瘍で没した実在の部員がモデルである。大映ならではの大げさな演技や強烈な展開と演出で人気を博した(ちなみに伏見工業の現監督である高崎先生も全国初優勝時のSHで平尾さんとコンビを組んでいた)。
元日本代表の名フランカーだった滝沢賢治は現役引退後、川浜市教育委員会に勤務し、ラグビー指導等をしていた。それに目をつけた市立川浜高校の山城校長から川浜高校体育教師の職にと懇願されたが、滝沢は、その悪いことなら県下一のワースト校が川浜高校であったため、妻・節子も反対した。しかし、一方では滝沢の夢は教師になることで、悩みぬいた末、川浜高校に赴任した。しかし、生徒たちの反乱、そして屈辱の大敗を経て、ラグビー部として始動していき、全国大会の決勝戦に臨んだ。オープニングの冒頭近くに、モデルとなった伏見工業-大阪工業大学高等学校の決勝戦のキックオフ前後の映像が流れる。


リアルタイムでこのドラマをみたのは確か幼稚園の頃で、みた記憶はあるけど、内容はほとんど覚えておらず、どちらかというと再放送で何度もみた思い出があります。
10年近く前の「Number」にスクール☆ウォーズの特集が載っていたんですが、これを再放送すると翌年の高校ラグビー部の新入部員が増えたり、高校ラグビー部の登録数に影響を及ぼすほどのものだったとのこと。ラグマガで花園出場校の選手を紹介する付録本がありますが、「ラグビーを始めたきっかけ」欄をみると、必ずといっていいほど「スクール☆ウォーズをみて」と書いている選手がいたほど。ちなみに「Number」では「スクール☆ウォーズをみて」ラグビーを始めた選手を「賢治の落とし子」と書いていました。
そう、私がラグビーを始めたのも「スクール☆ウォーズをみた」ことがきっかけでした。紛れもない「賢治の落とし子」です。再放送でみているときはルールなんてほとんどわからず、ただ、そのドラマ(スクール☆ウォーズ)に魅せられていた気がします。「スクール☆ウォーズ」をみていると、何か熱いものが込み上げてくるんですね!
こんな理由でラグビーに興味を持ち、高校でラグビー部の門を叩いたわけではありましたが、僅か一週間足らずで辞めようと思いました。練習が辛く勉強をする時間はないし、上下関係も結構厳しいし、何より弟と一緒なのが嫌で嫌で・・・(双子の弟も磐城高校の同級生でラグビー部に入部)。
辞めようと思って母親に相談したところ、「もう少し頑張ってみたらと止められたこと」、「先輩や先生が怖くてなかなか辞めると口に出せなかったこと」があり、そのままラグビー部に在籍。そして、今に至るというわけです。
今となっては、あのときラグビーを辞めていれば今の自分はなかったと思います。ラグビーをやっていたからこそ、忍耐力や体力、精神力を鍛えることができ、そして高校三年間の限られた時間を有意義に送ることができたのかなと。「母親の一言」と「当時の弱気な自分」があったから、今でもラグビーを続けられているのかななんて思います。

またな

つづく
追伸
今回の投稿と全く関係ないんですが、うちの実家と嫁の実家で飼っている犬です。
うちのは柴犬で6才、名前は「りゅうた」。
嫁のはゴールデンレトリバーで8才、名前は「モモ」。
モモちゃんが着ているのはラガーシャツです。
モモちゃんはチームのBBQと練習に登場したことがあります


あっ、大事なことを書き忘れてた

子供たちが諸橋のおじちゃんからのプレゼントがないって怒ってます

Nintendo DS 2台で許してくれるそうなんで、待ってま~す

