天正19年蒲生氏が会津に入部、そして慶長3年に上杉氏が会津に入り
会津地方、信達地方(福島県福島市及び伊達地方)を治めて福島城と梁川城がその中心的な拠点であった。
信達地方の総高は12万石であったが、上杉氏は荒地の開墾に力を注ぎ実質24万石はあったようです。
この時代の村の数は180村位だった。
寛文4年から信達地方は幕府領となり陣屋において代官が支配したようです。
その後、何代か後に代官になった拓殖氏が陣屋を福島から桑折に移し、これ以降様々な私藩私領が移封されて、1686年頃に福島十万石藩主堀田氏が106町を支配、1700年頃に桑折二万石藩主、奥州氏(松平氏)が20村を支配
1729年、梁川三万石藩主、松平義昌が入り30村を支配していた。
その後も信達地方は一万石から二万石位の小藩ができていったようです。