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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

忠臣蔵、大石内蔵助の秘密

今日、12月14日は「赤穂浪士の討入」、いわゆる「忠臣蔵」の日ですね。(^。^)

毎年、この日には、「忠臣蔵」の主役の一人、大石内蔵助ゆかりの地である京都の山科地区で、「山科義士祭り」が開催されます。(^-^)

祭りの概要は次のとおり、ネットより引用です。m(._.)m

「忠臣蔵」の立役者・大石内蔵助が、吉良邸討ち入りを決意するまで山科に隠棲したことにちなみ、山科区民の扮装による義士隊行列がゆかりの地を練り歩く。京都市東部文化会館では討ち入りの様子を再現したパフォーマンスも行われる。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「忠臣蔵」のあらすじ
(ネットより引用)

吉良上野介の様々な嫌がらせに我慢に我慢を重ねていた浅野内匠頭も堪忍袋の緒が切れた。
3月14日、江戸城の松之廊下で吉良上野介を斬り付け、浅野内匠頭は切腹、赤穂藩は取潰された。
一方、吉良上野介には全く罰することはなく、これを不服とした大石内蔵助はじめ四十七義士は、1年10ヶ月後の元禄15年(1702年)12月14日夜、吉良邸へ討入り、見事に吉良上野介を討ち取った。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

ところで、映画やドラマで描かれる大石内蔵助といえば、たいてい貫禄のある二枚目俳優ですが、史実の大石は、筆頭家老ではあっても財政手腕に乏しく、あまり目立たない存在で、「昼行灯」(ひるあんどん)というあだ名だったそうです。(°▽°)

昼行灯とは、いてもいなくても変わらないという意味で、梅干し顔で風采もあがらなかった大石ですが、赤穂浪士を見事にリードしていくのだから人間とはわからないもの、と言われています。( ; _ ; )/~~~

「義士祭や昼の行燈夜の刃」 祖谷馬関

(注)義士会、義士祭は冬の季語。十二月十四日。赤穂浪士が主君の敵、吉良上野介を討ち取った日である。この日、京都など各地で赤穂義士をしのぶ会が催される。東京高輪泉岳寺では、この日多くの人が赤穂義士の墓参に訪れる。
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