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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

山、海へゆく、須磨ベルトコンベヤー!(^。^)

「山、海へゆく」、、、かつて、神戸株式会社と称えられた、神戸市による都市開発のシンボル的キャッチコピーです。(^。^)

昭和40年頃、神戸市は、海岸に沿った狭い平野の背後に急峻な六甲山系が連なり、さらにその背後に広大な丘陵地が展開するという地勢であり、人口は狭小な海岸平野に集中していました。
このような人口の偏在を是正するため、西神ニュータウンに代表される内陸部の開発が決定され、あわせて、港湾地域への都市機能の充実が位置付けられました。(^_^)

この内陸部と臨海部の2つの市街地開発を同時に実現する方策として採られたのが、内陸部で土砂を採取して平坦な土地を造成しつつその土砂で埋立てを行うという、いわゆる「山、海へ行く」手法であり、これを支えたのが「須磨ベルトコンベヤー」、、、(^。^)

ダンプトラックで土砂を運んだのでは道路の混雑を招きますし、公害が社会問題化していた当時にあって、騒音・排ガスなどの環境負荷については、絶対に回避が必要でした。m(._.)m

起死回生、、、このような事態を見事に打破したのが、専用のベルトコンベヤーで土砂を運ぶという斬新なアイデアでした。(^_^)

昭和39年(1964年)1月、ベルトコンベヤは稼動を始め、設置当初の長さはわずか1.4kmだったが、工事が進むに連れて北へと延長され、総延長14.5kmもの一大コンベヤとなりました。( ^_^)/~~~

平成17年(2005年)9月の機能停止までの約41年間で、運搬した土は5億7千万トンに及ぶとのこと。(^_^)

六甲山系南側の狭い神戸市街地を広げ、港を整備発展させるためのポートアイランドや六甲アイランドなどの埋立事業や神戸空港整備事業を担った「須磨ベルトコンベヤー」、、、今なお、優れた土木遺産として、須磨の地下に息づいています。(^。^)

我が国を代表する都市開発事業を支えたベルトコンベヤーに心から敬意を表する一句。

「コンベヤー山海へゆく須磨の秋」  祖谷馬関


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