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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

節分、天使突抜と宝船図

今日は節分、、、豆まきや追儺の行事が有名ですが、本来は、節分とは文字通り節(季節)の分かれ目のことで、昔は立夏、立秋、立冬、それぞれの前日のことを節分と言っていだそうです。(^。^)

現在では、立春(2月4日頃)の前日を節分といい、節分に行う豆まきは、季節の変わり目に起こりがちな病気や災害を鬼に見立て、それを追い払う儀式が、家庭内にも浸透したというのが由来です。(^-^)

思い立って、京都は洛中の最古社と言われる「五條天神宮」へ足を運びました。(^_^)

この五條天神宮では、年に一度、節分の日にだけ、「宝船図」が授与されるからです。( ^_^)/~~~

以下、ネットから引用しますと、、、

794年、桓武天皇の命により空海(弘法大師)が大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請した洛中最古社で、少彦名命、天照大神、大巳貴命などを祀る。古くから農耕、医薬の神として信仰された。
「義経記」では源義経が弁慶と出会った場所とされている。(五条大橋ではなく天神宮との事)
例祭の5月10日は厄除け祈願の参詣者が多く、毎年の節分日には宝船図が授与される。この宝船の古図は日本最古のもので、船に稲穂を一束乗せただけの簡素なもので、厄除け、病除けのご利益がある。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

節分の日だけに授与、、、文字通り、このお宝度合いが良いですね。(^-^)

それほど広くはない境内に、3、4組が訪れていましたが、さすがにインバウンドの姿はありませんでした。m(._.)m

簡素な宝船図(写真)ですが、小さな色紙に描かれたものを購入、、、金800円也、でした。(^_^)

かつて広大な五條天神宮の境内を南北に突き抜けていた通りの名は「天使突抜通」と呼ばれ、現在も地名の一つとして定着しており、珍地名としても有名です。(^。^)

「突き抜けし夢を抱いて宝船」 祖谷馬関

(注)宝船は初春の季語。よい初夢を見るために、枕の下に敷く、宝を満載した船の絵をいう。七福神の乗ったものもある。元旦もしくは正月二日の夜に敷いて寝るとされる。
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