お元気ですか?kikiの日記

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頑な父でした

2022-08-20 17:23:55 | 日記
木曜日の10時半に父を迎えに病院に行きました。
暫くして看護師さんに手を引かれてスリッパで降りてきた父。
顔色もよく普段通りの父でした。

外来のトイレを済ませ玄関に目に入ったものがあったのかそちらに行こうとします。
制止して近くの椅子に座らせ看護師さんに、説明もないし今後の事も聞いていません。そう言いました。

後で思うと義弟に電話で病院から説明、と言っても検査をしてもこれと言った悪いところがないので退院となったと説明はあったのです。

私は直接主治医と話せるものと思っていました。

連れて帰って今夜から一人でも大丈夫ですね?

その質問に、無理です。認知もあるし家族の方が一緒におられないと、退院したばかりなので今日明日は家族が付いてください。

頭は真っ白になりました。
まずお盆明けの17日は検査で説明があるからと仕事をキャンセルしました。
主人の事も気になります。

今後を思うとどうしたら良いのか…

迎えに来た妹に話があるからと妹宅に行き看護師さんから言われた話をしたあとに一緒にお昼を食べました。

義弟が父に お父さん一人で食事の支度ができますか?
すると父は ようせん、できんよ と言いました。

それならお弁当を取れば良いことなのでそうしましょう。

妹も義弟も話はみやすい方向に行くものとその時は思ったのです。

妹宅から館長に退院したことと、明日はかかりつけ医に受診するが最後の方で診察のため仕事に間に合わないので遅れることを言いました。

するとそれは良いけど先生焦りませんか?
それならお休みされてください。

お言葉に甘えてお休みとなりました。

しかし私はこれが嫌だったのです。
仕事を辞めれば何があっても対応できると思って辞めたのに、また仕事をしているために職場に迷惑をかけたのです。

なんのために辞めたのか、これじゃあ意味がありません。
本当に情けないです。


役場の職員が3時に来られるので早目に父を連れて妹宅をあとにし、ひとまず私が父の食べるものを買いに行きました。

暑い中に父を残すのでエンジンをかけてドアを開けると、エンジンを切ってくれ!と言うのです。
熱中症で入院したのに本人全く分っていません。

ひとまず買い物をして家に帰って役場の職員さんを待ちました。

担当者が二人で来られました。
母が亡くなってからの経緯を話し、お昼ごはんの時に食事を作れないのでお弁当の手配をお願いすることにしますと言うと、一人で作れます。弁当はいりゃあしません。車を運転して買い物も行くので弁当は要りません!

父はキッパリ言いました。

私たちはそれを一番心配していたのです。

それからは今まで通り全てできる、できると言い始めた父です。

こうなれば一筋縄では行かないことは百も承知です。

介護認定も受けていません。
お金がいるからと断っていたので、まず申請書を記入しました。

認定が下りるのは一月後。その間はどうしたらいいのか?

私は誰か僅かの時間でも話し相手が欲しいと言いました。
しかしヘルパーを頼めば最低でも20分なのでその間にできる食事作り、掃除その他のことを言われましたが何れにしても直ぐには無理。

民生委員が2週間に一度の訪問しか今はないと言われました。

その後父の生活する場をみられ、あれこれ説明する父です。

介護認定が下りなければ今は何もできない事がこの時に分かった私。

義母の時にやったことを実父にはしていなかったのが悔やまれました。

入院中お風呂に入っていなかった3日分を取り戻すように一人で髪も洗いました。

それを見届けて妹夫婦は帰りましたが時間は遅くなりました。

父は帰っても良いとは言ったけれど退院した父に何かあってはと気になって悩んだ末に泊まることにしました。

私はと言うとやはり退院したその日は帰るに帰れない、頭の中で葛藤がありました。

その後晩ごはんを食べるために立とうとしても立てません。
手を貸してくれ!
手を引っ張っても立ち上がれる訳はなく身体を上にあげようとしましたが直ぐにはできなかったです。

こんな時に講習を受けていればとつくづく思いました。

食べ終えて座敷に座りカレンダーに記録を書く後ろ姿は何も変わっていない父です。

その後トイレに行こうと立ち上がろうとしても立てません。
コロンと後ろに寝てしまいました。私は自分で起きるところを動画で取り続けました。

やっと起きて立ち上がりトイレへ。
行きも帰りも足がふらついていつ転ぶか分かりません。

水は流していたけど多分おしっこも紙パンツにしたのでしょう。
夜だけ紙パンツです。

仏壇を指して、法名はここに入っとる!そう言いましたが、法名はまだ先でしょ!とか何とか言った私です。

父のベッドの下に敷布団を敷いたものの寝るに寝付けず私の病院でもらっている睡眠導入剤を飲みましたが、夜中何度も目が覚めました。

息をたしかめる私。
ああ良かった! 生きてくれている

一夜明けた昨日の朝、6時35分。
父がいません。
みると畳におしっこが

廊下も同じです。

トイレにいたのですが、紙パンツの中にそれまで使っていた紙パンツのおそらく両脇を切って一枚を安全ピンで後ろに止めていたのです。
いつもしていたのでしょう。
なのでそれがあるためおしっこが吸収できていなかったのかもしれません。

新しく紙パンツをはかせて寝るように声をかけるとベッド横のタンスからドライヤーを出して畳を乾かすと言いました。

私が前日の夜シャンプー後に髪を乾かそうとしてもドライヤーが見当たらなくて扇風機で乾かしたのです。
まさかこんな所にあったとは!

ということは今まで何度か失敗して乾かしていたのです。

大いびきで寝たので濡れた畳と廊下をきれいに拭いて、濡れた敷布団をお風呂に運んで熱湯をかけました。

7時過ぎに外に竿を出して干しましたが怒るに怒れません。

齢なのだから仕方ないことと。

8時半に介護施設で看護師をしている妹夫婦の長男が大好きなおじいちゃんを心配して来てくれました。

本当に有り難かったです。
起こし方等教えてくれました。


義弟が病院に診察に行くことを伝えていましたが最後に診察なので早くにはいけません。

私、妹、甥、途中から義弟が来てくれました。

12時前に診察室に入りました。
歩くことはできますが時間がかかるので父は車いすを借りました。

初めてご家族にお会いしますね

それが主治医の第一声でした。

今まで一人でしてきたし病院に一緒に行こうとしても一人で大丈夫と言うので、付いて来ませんでした。

正直に言いましたが元気だからと安心しきっていたのはやはり失敗だと思います。

既に入院から退院までの経緯はご存知ですが、病院なので病気ではない父は入院できませんと言われました。

甥が主治医に介護する家族を休ませる事も必要です。
元に一晩で伯母はどうしたら良いのかと不安になっています。

それを専門用語で言ったのですが初めて耳にした言葉です。

医者と看護師、元消防士のやりとりは専門用語が出ます。

当然主治医も甥の言うことは理解されています。

今現在歩行に不安があるのでリハビリ目的なら何とか入院できても、その後を家族の方はどうお考えですか?と聞かれました。

言葉がでません。詰まります。

家でみることが難しいのであれば老人ホームなどの施設に入所するしかありません。
しかし介護認定を受けておられないし…
色々説明され病棟に誰か来て!と連絡され来られたのは男性の相談員でした。

父は 家に帰ります。一人でできますから

もうこの繰り返し。

主治医があと二人診察があるのでまた聴きますと言われ、相談員さんと別室に移動しました。

認定を受けていなくても入所できる施設はあるのですね。
空きがあるか確認してもらっている間も、家に帰る、家に帰ると言い続けている父をどうしたら良いのか?

妹は涙を浮かべています。

診察を終えて主治医が来られました。
やはり家に帰ると言います。

この足では転ぶ可能性があるので入院してリハビリをして歩けるようになったら帰りましょう!
と言われると、リハビリなら家でします

堂々巡りです。
病院中に聞こえるようです。

義弟がこの状態で運転ができるか確認しました。

無理です。事故を起こすのはわかっています。
まあ今の足では力が入らないので運転はできないけれど、絶対にしてはいけません、警察問題になりますよ!と厳しく父に言われました。

とにかく時間ばかり経ちます。
お腹が空いた、早く家に帰りたい!と父。

父の後ろを付いていくとトイレ🚻でした。
ズボンにおしっこがかかっています。
夜しか紙パンツをはかないので入院中も看護師さんが困ったそうです。

主治医がおしっこも間に合わないのだから早く歩けるように入院してリハビリしましょう!

家を出てから長いので間に合わなかったと父。

とにかく口は達者なのです。

こうなると周りが根負げです。

主治医がじゃあ〇〇さん、月曜日にまた来てくださいね!

そう言われて病院を後にしました。

こうなることは予想していたと義弟。

思い出せませんが、父の頑な言葉で何もかもふり出しに戻ったことは過去に何度もあるのです。

気がつけば3時半を廻っていました。
遅い昼ご飯です。
何時間病院にいたのでしよう。

家に帰った父は水を得た魚のように元気、元気。
歩き方も早くなりました。

やっぱり家が大好きなんだ!

何度も何度も思いました。

一人なんだから何があっても知らんよ!

そう強く強く言いました。

病院でもわかっとると認めていました。

主治医がそれは僕らからしたら一番困るんですけどね。って。

甥がおじいちゃん、意識が無くなったら死ぬんよ!と言うと、目が覚めたら電話をかけて来てくれと言うよ!

目が冷めんかったらの話よ!

甥も一所懸命耳元で言ってくれても理解できていません。

帰り際相談員さんが、久々にみましたわ〜って。

普段はここまで頑固な人はいないそうです。

しかし頭もしっかりしているだけにできると主張する父の気持ちも十分過ぎるほど分かります。

今夜から一人で頑張ってね!

そう言って実家を後にしました。

エネルギーを使い果たして疲れているのに昨夜も寝付きが悪く安定剤のお世話になりました。

まだ課題はあるのです。
義弟からの提案で見守りとして家の中にカメラをつけること。

それにはネット回線を引くらしいのですが、恐らく あがあなものは要らんよ!と嫌がるでしょう。

その時は施設に入ってくださいと言おう?

義弟と決めました。

長文ですが退院してから昨日の5時半までの行動を備忘録として書きました。

ご心配してくださった皆さま、ありがとうございました。

わずか一晩なのにずっと介護されておられる方には頭が下がります。
コメント (2)
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