11月26日、外出から帰宅して郵便受けの中を見たら、箱状の郵便物が入っていました。
そこには「ARRL」の文字が読めました、先日申請したDXCC(MIX)の賞状(会員証か?)が入っていました。
10月30日にDXCC(MIX)をLoTW経由で申請しましたので、1ヶ月弱で届きました、予想よりも早く感じました。
DXCCの賞状を見たら、発行ナンバーは#69,532で、10月29日付けでした。
このナンバーが、DXCCが創設された時からから通算されたナンバーかは分かりませんが、結構多い数ですよね。
とは言え、自分がDXCCのメンバーに加われたことは凄く嬉しいです。
開局した当時、DXと言うのは自分とは別世界のことだと感じていました。
100Wの出力にトライバンダーを載せたタワーと適度な英会話能力、、最低限それくらいの設備がないと交信できないものと思っていました。
まあ、当時のCQ誌には、それ以上の設備を持った局が多々掲載されていましたから、そのように感じたのは当たり前なのでしょうが。
たまに、10Wの出力と、いい加減なアンテナででDX交信ができた時には、高揚感を感じました、笑われそうですが。
それでも、こんないい加減な設備でも、結構DXができるだなと感じたのは、2度めの開局時でした。
設備的に、電話は国内QSOでも厳しいので、CWをメインに運用し始めました。
世界的なDXコンテストに冷やかし半分で参加したのですが、QSO数が100を超えたのにはびっくりしました。
当時の設備は、出力は50W、アンテナはICOMのAH-4に20メートル位のワイヤーをループ状に張ったものでした。
しかも、AH-4の給電点は地上高2メートル程度、ワイヤー部分は全てが2階屋根の軒下以下、家の壁とは1メートル程度しか離れていないという、高層マンションのアパマンハムよりも条件が悪いという環境でした。
こんな設備で、当局の電波はドーバー海峡を渡ってUKまで飛んだのは驚きました。
こちらの設備ですが、トランシーバを交換した以外は、今も同じです。
こんな設備でDXCCを獲得できたのは、やはりFT8というデジタルモードのおかげです。
コンデションに助けられれば、このようなプアな設備でもCWとは比較にならないほど世界の地域へ電波が届きました。
結局、再々開局してから、大体2年弱でDXCCが完成できました、夢のような気分です。
FT8を開発したSteve Franke氏(K9AN)とJoseph Taylor博士(K1JT)には感謝申し上げます。
さて、賞状ですが額装を考えています。
だけど、アメリカから届くこの手やつは、大きさの規格が日本と異なるので、賞状を入れる額が見つからないというのは、有名な話ですよね。
Amazonで結構な値段で販売されているのは知っているんですが、ちょっと躊躇しています。
A3だとピッタリは収まらないけど、余白は問題ないので、こちらを考えています。
余談ですが、DXCCが入っていた箱ですが、実にそっけない物です、如何にも質実剛健な西洋的論理が感じられました。
中には、賞状とスリップが輪ゴムで止められて入っているだけでした、必要最低限ですね。
箱は、誰でも開けられるようになっていました、封印はなしです。
こんなご時世ですから中身を確認できるようになっていないと駄目なのでしょうね、実際に箱を何回か開けた様子がありました。
まあ、無事に届けはOKです。