こんにちは、ヨシです。
現在、日本でアメリカンスタイルを教えている団体は、
我々のJSDCかアーサーマレーだけです。
アメリカンスタイルを、個人で教えている人はいるかもしれませんが、
余り聞いた事はありません。
アメリカで社交ダンス(アメリカンスタイル)をやっている日本人は何人もいるはずです。
現に私がNYにいた時も、一つのスタジオでも何人か日本人の生徒さんはいらっしゃいました。
私、NYから帰国して18年になりますが、
この18年間で日本でアメリカンスタイルを教えてる先生は殆ど聞いた事はありません。
最近少し流行り出した競技の為のアメリカンスムースを教えてる先生はで出て来たようです。
が残念ながらアメリカンスタイルの本来の楽しむ為のダンスを教えている人は聞きません。
何故なのか私はいつも不思議で仕方ありません。
多分始めた人は何人もいらっしゃると思いますが
続ける事ができなかったのではないかと私は思います。
日本の社交ダンスはインターナショナルスタイルが殆どで、
幾つもの社交ダンス組織がしっかりとしています。
まだプロもアマも競技やレベル」テストの結果によって階級があります。
これらのやり方は他の国にはないものです。
それらが理由なのか、競技会の世界で一番注目されるイギリスのブラックプールに、
参加する選手の数も見学に行く人の数も日本人が一番多いとい聞きます。
私はアメリカンスタイルを教え始めた頃、
生徒さんに「何処でこのダンスを使えばいいですか」とよく聞かれました。
それで、私はJSDCで出来るだけ多く生徒さんが踊れる機会を作ろうと思い、
今では、
ラテンナイト、アメリカンプラクティスパーティ、タンゴプラクティカ、という毎月3
つの練習会、3月毎のシニアアフタヌーンパーティ、新年会、バレンタイン、アニュア
ル、サマー、夏祭り、温泉ツアー、ハロウィン、クリスマス、などのパーティがあり、
JSDCのイベントだけで充分に満足してもらえるように色々アイデアを練って来ました。
又上記以外の楽しいイベントも考えています。
インターナショナルスタイルは初心者には理解するのに難しく、
ダンス的にもかなりの時間と練習が必要です。
私がNYにいた大きなスタジオでのインターのクラスは
ベテランの10年はやってる人ばかりでした。
皆さん長年アメリカンをやってから、インターに入っていきます。
。
健康で、気楽にパーティなどで無理なく楽しみたい方の為、
デモで色々な面白い振付を楽しみたい方、
アメリカンからインターと繋がって、日本の社交ダンス界の発展の為にも、
アメリカンスタイルをもっともっと広げていきたいと常に思っております。
何時も色々応援、ご協力ありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。
こんにちは、ヨシです。
映画紹介です。
1947年に作られた白黒映画 「ニューオリンズ」
白人の男女のラブストーリーの展開と共に、 ニューオリンズから始まる、ジャズの発展を描いた映画です。
演奏者の中心はサッチモの愛称で通っているルイ・アームストロング。 又ビリー・ホリデイも何曲も歌っています。
少しジャズについて調べてみました、
ニューオリンズから始まったジャズのミュージシャン達は白人からの強制立ち退きで、
シカゴやニューヨークに移って行きました。
シカゴではルイ・アームストロングやベニー・グッドマン。
ニューヨークでは、以前載せた、「コットンクラブ」を中心にデューク・エリントンやキャブ・キャロウェイ。
NYのジャズはスウィングジャズという。
なるほどリンディホップが、NYで生まれたわけだ。 少し合点がいきました。
何故シカゴがジャズの街だと言われていた事もこの映画を観て合点がいきました。
私は30年前くらいに、ニューオリンズに2回行きましたが、アメリカの中では好きな街です。
早い時間に行伝って、
黒人の若者が殻を開けてくれた生牡蠣を1ダース頼んでタバスコとレモンをかけて安く食べられた事を思い出しました。
又この街で初めてザリガニを食べて好きになりました。
コカ・コーラなどの王冠(栓)をスニーカーのつま先と底に貼って、
踊っている酷似の子供たちが見れるかなと期待しましたが、
私が行った時は残念ながら見られませんでした。
私の知り合いで、東京で、「王冠タップ」
を広めてる知り合いのタップダンサーがいます。
音楽はと言いますと、
1件ライブハウスで、バンジョー等が入っているデキシーランドジャズを聴きました。
私はミュージカルで全米の半年ツアーを2回もやっているので、アメリカの殆ど大きな街は行ってますが、
シカゴだけは行った事はありませんでした。
ジャズは時々聞いていますし、 スウィングジャズでは踊っていますから、
今回ジャズについて学べた事は、良かったです。
映画「ニューオリンズ」に出会った事に感謝です。
「こむら返り」
最近続けて福岡と東京の生徒さん女性2人から同じ状況でふくらはぎがつったと聞きました。
「こむら」とは、ふくらはぎのことです。
こんにちは、ヨシです。映画「Yesterday」 2019年のイギリス映画です。 この映画では、ビートルズはいかに人々に感動させる多くの曲を残したか そして、人生で大切なものとは、を表していると思います。 ここで登場する3つのWords. [Beatles] [Ed Sheeran] [Liverpool] 「Beatles」
私は時々グループレッスンで、
「好きな歌手は誰ですか?」と生徒さんたちに尋ねます。
一人ひとり聞いていくと、必ずと言っていいほど、ビートルズと答える人がいます。
50年代はプレスリー、60年代は、ビートルズとよく聞きます。
そして私もよくレッスンなどでビートルズを使わせて頂いてます。
ビートルズの偉大さに驚かされます。
「Ed Sheeran」
この映画では本物が登場します。
この映画の主人公が、エドシーランの前座としてビートルズの曲を歌い、
観客(初めてビートルズの曲を聞きます)から滅茶苦茶に受け、
コンサート後、エドシーランの曲とビートルズの曲で勝負するシーンがあります。
この映画の中の設定は、この時は誰もビートルズを知らないことになっています。
恥ずかしい話、今の流行の曲を全く知らない私は、ブライダルダンスでカップルが持っ
て来る曲で知ります。
2,3年前のブライダルダンスは殆どエドシーランの「Thinkinng Out Loud」
「又」、と何回頭の中で言ったことでしょう。
ミューシックビデオでダンスも入っていたので、
ビデオのダンスをそのカップルができる範囲で振りを変えたりしていました。
2年前ぐらいからは「Perfect]
エドシーランの曲はよほどブライダルダンスに合っているんだなあとよく思いました。
「Liverpool]
イギリスにあるビートルズの出身地であるリヴァプール。
ここにビートルズが初めの頃歌っていた
「キャバーンクラブ」という有名なライブハウスがあります。
最近、私の福岡のクラスにアマチュアバンドのボーカルをやってる女性が来ており、
リヴァプールのキャバーンクラブで歌う予定が
コロナで行けなくなってしまたったと残念そうに話していました。
その3日後、私が車を運転しているとラジオから
「イギリス、リヴァプールのキャバーンクラブが経営難で困っている」と。
関連したものが引き寄せられます。
今回はダンスは直接出てきませんが、ダンスとはどこかでつながっていました。
ヨシです。
「The Cotton Club」
久しぶりに映画「コットンクラブ」をIpad で観ました。
コットンクラブは、1920年代から30年代のNYのハーレムにあった名高い高級ナイトクラブで実際に今も、
NYのハーレムや東京にもあります。
2年前くらいに、渋谷スタジオでブライダルダンスの私のレッスンを取ったカップルhのアメリカ人男性が
NYから来たベニー・グッドマン楽団のメンバーで、東京のコットンクラブで演奏すると言ってた事を覚えてます。
この映画では、ベニー・グッドマンは登場してませんでしたが、
デユーク・エリントンやキャブ・キャロウェイの楽団も登場していました。(勿論本人ではありません)
映画の内容は、NYハーレムのコットンクラブを中心に繰り広げられるギャング同士の争いと、歌、踊りのエンターテイメントです。
そして主人公のリチャード・ギアとグレゴリー・ハインズ。
初めて見た時は、ギャング通しの争いの印象が強く、エンターテイメントが余り感じられましたが、
今回はこの映画に沢山入っているエンターテイメントの素晴らしさに惹かれました。
一時期私もコットンクラブやアポロシアターがあるブロードウェイ125丁目の近くに住んでいて、
この映画に知り合いの黒人ダンサーも出ていましたので、私にとっては興味深い映画です。
今回観て1人知り合いを発見しました。
この映画のタップダンスの振り付け師でもあるヘンリ・リ・タングのスタジオでの知り合いです。
彼女はブロードウェイに何度か出てたようですが、
ある時彼女曰く「エルビス・プレスリーの腰の動きは私のお爺さんが教えたのよ」と。
これは、多分誰も知らない面白い事実ですね。
殆どのダンスは黒人達のダンスから来たと言っても過言ではありません。
そして、私がペアダンスを行う前に特に力を入れていたタップダンスの大御所達が
グレゴリー・ハインズを中心にずらりとこの映画に出ています。
実在したハーレムのSwing streetにあった「Hoofers Club」というタップダンサーが集まるクラブでは年配の大御所達が踊っています、
グレゴリー・ハインズは、タップダンサーだったら誰でも知ってると思いますが、
映画「ホワイトナイツ/白夜」でバレエダンサーのバルニシコフがグレゴリー・ハインズとラジカセを賭けて
、バルニシコフがピロエットを10回回ったシーンは、映画で誰もが1番印象に残っているのではないでしょうか。
ここでは、実際にグレゴリー・ハインズは兄のモーリス・ハインズとも一緒に踊っています。
この兄弟は子供の時はずっと一緒に踊っていました。
兄のモーリス・ハインズはグレゴリーほど世間的には余り有名ではないですが、
今でも活躍しています。映画でハインズ兄弟の関係が実際の2人の関係の様に思われました。
そして、今アメリカを中心に言われている人種差別に対しての怒りが、
この映画でも強く訴えられています。
当時のコットンクラブは、お客は白人でスタッフやエンターテイナーは黒人。幹部は白人。
映画の中で、グレゴリー・ハインズ(黒人)は、白人に見える黒人と白人の間に生まれた恋人が
「ブロードウェイに出たい」と言った事に対して、「君は白人の世界であるブロードウェイに行きたいのか」と、怒りを現しています。
当時のブロードウェイに黒人の入れる余地は全くありませんでした。
実際には、60年代からグレゴリーは幾つものブロードウェイショーに出演しています。
さてこの映画で主人公のリチャード・ギアですが、
彼のファンでしたら1度は見てもいいかと思います。
若い頃のリチャード・ギアですが、トランペットを吹いて、ピアノを引いて、
歌い、タンゴも踊っています。そして映画の中で映画俳優としてスターになっています。
この方、多才です。映画「Shall We Dance」でも踊っていますね。
この映画を作られる時は、黒人のタップの全盛期でもあり、
私も、バレエ、モダン、ジャズ、タップも黒人のダンスのトップレベルの学校に何年も通っていましたから色々事情は聞いていました。
映画「コットンクラブ」は、初めエンターテイメントかギャングシーンをどっちを中心にするか迷ってたらしいです。
結局ギャングシーンが中心になったのですが、最初はその当時のトップレベルの黒人ダンサーは全員出てたらしいです。
私としてはダンサー全員見たかったです。
リチャード・ギアの母役で、ボブ・フォッシーの妻でもあった、「All That Jazz」などブロードウェイやミュージカル映画で有名な、
グウェン・ヴァードンも少し出ています。
この映画では子供にワルツ(Box)を教えてるシーンが出て来ます。
他に本人ではないですが、チャールズ・チャップリンやジェームズ・キャグニーなどもお客として出て来ます。
又、クラブの前でや駅で踊ってお金を稼いでいる黒人の子供達も出て来ます。
リチャード・ギアはちゃんとチップをあげています。
私がNYにいた時良かった事の1つが、ダンサーという職業が尊敬の目で見られる事でした。
それであなたは何してるのと聞かれた時、ダンサーだと言うと、「いいね」「素晴らしいね」とよく言われたものでした。
最後に、この映画でクラブが幾つか出て来ますが、お客の男性は揃って皆、黒のタキシードを着ていました。
この映画は、色んな面で見応えありました。
よかったら観て下さい。観た人も違う角度から見れますよ。
ブライダルダンス
ヨシです。
西洋では皆が行う結婚式での新郎と新婦のダンス。
一般にファーストダンス、ウエディングダンスと呼ばれています。
西洋のウエディングは、式が午前、午後からカクテルパーティ、ディナー、そしてデザートの辺りで新郎新婦のダンス、両親とのダンス、
そしてお客様が踊り出します。延々とパーティは夜中又は朝までも続きます。大抵のウエディングがこのやり方です。
私も何度かNYとメキシコの地方のウエディングに参加したことがあります。
NYのある時は、生徒さんの息子さんの結婚式(Plaza Hotel)に招待され、
私に盛り上げて欲しいと言われ、新婦新婦を筆頭にお客さんを参加させて一列になって踊るコンガをやりました。よくある盛り上げ方です。
メキシコでの時は、酔っぱらわないテキーラの呑み方と女性の誘い方を友達に教わってから式に参加しました。
新郎新婦は教会で式の後、馬車でレセプション会場へ。
静かな素敵な会場に着くと、野外の芝生の上で、マントを羽織ってソンブレロを被ったマリアッチの編成楽団を聴きながら、
テキーラを中心にカクテルパーティから始まりました。
やはり両方のウエディングともかなり遅くまで皆さん飲んだりお喋りしたり踊ったりしていました。
色んな国のウエディングのやり方があると思いますが、西洋のやり方ではないウエディングにも参加してみたいものです。
私はNYから帰国してからこのブライダルダンス(商標登録済み)を日本で広めようと活動してきました。
JSDCではブライダルダンスという言い方にしています。
DVDも作りました。
このブライダルダンスもアメリカンスタイルが適しています。
狭い場所でテクニックにこだわらず音楽に合わせて、カップルに合わせた振り付けをするからです。
そしてソロダンスや芝居の要素も取り入れます。
ドレスを踏まない様に、生かすように振り付けをします。
着物や羽織袴の時もあります。
ポップス、クラシック、ジャズ、ロック、歌謡曲、朝ドラ主題歌、などカップルがどんな曲を持って来ても振り付けします。
映画のシーンをそのままやってほしいという依頼も珍しくはありません。
殆どの依頼はカップルが直接JSDCへ連絡してきます。
ブライダルダンスは、結婚式でどんなイベントより、インパクトが凄くあります。
お客様に感動と、新郎新婦に素晴らしい思い出を作ります。
特に結婚式でのダンスが、あまり見れない日本でやると、皆さんビックリします。
ですから披露宴に新郎新婦のダンスを取り入れたカップルは、
皆さん本当にやってよかったと言ってくれてます。
だから凄くやり甲斐のあるレッスンです。
JSDCへ習いに来るカップルは殆どダンス未経者です。
かなり前ですが体験レッスンで、ある時日本人カップルが来て、聞くと男性の方は何の為にここに来たのかわからず、
ただ女性に来てほしいと頼まれて来たらしいのです。
披露宴で2人で踊るという話が出るやいなや、有り有りと男性の顔が変わって行くのがわかり、
説得しても男性が怒って帰ってしまった(女性の方はほんと気の毒でした)経験がありました。
「一生に1度?しかないのだから、この時は頑張って奥さんの言うこと聞いてあげた方が将来の為にもいいんじゃないですか?」
と言いたいのを我慢していた私でした。
それで上記の経験から、体験レッスンで男性がダンスに興味がなさそうな時は、話し合いは後回しにして直ぐにダンスを体験して貰います。
するとどうでしょう?ちょっと踊っただけなのに、
「ダンスって楽しいね」と大抵の男性は笑顔で言います。
女性は「そうでしょう?」と言うかと思ったら、キョトンとしています。
「どうなってるの?」「何でそんなに直ぐに態度が変わるの?」と言いたそうな顔になっています。
そして女性よりも男性の方がダンスに夢中になるのです。
ダンスは魔法です。
踊る場所は、5×6メートルくらいの一室を改造してタンゴスタジオにしている感じ。
ヨシです。
シンガポール編②
12月クリスマス前に2回目のシンガポール。
ネットで調べると、社交ダンスのパーティは見つからず、
サルサ関係が多くスウィングが少しタンゴが 何件かありました。
それで今回の1つ目は、Fullerton Hotelという大きなホテルのPost Bar というラウンジ、
1人ワンドリンク付き20ドル(約1650円)、Latino Nightというタイトル。
21:30ごろまで少しずつフロアで踊る人が増えていき、サルサとバチャータが流れていましたがメレンゲは全くかかりませんでした。
立派なホテルのラウンジですが、踊りに来てる人達はそれ程オシャレはしていません。
結構顔なじみらしき人達がお互いに挨拶していました
シルバー の派手な裾短めなセクシーレディースが3人いましたが誘いにくいのか誰も誘わない。
こイベントは、サルサ、バチャータ、アルゼンチンタンゴをやるとネットでは書いてありました。
私は踊らずダンスフロアをチェックしながら、
ウエイターのおじさんに明日行くマレーシア のバスでの行き方を根掘り葉掘り聞いていました。
21:30バンドが入ったと思ったら歌手がいきなりメレンゲを歌いだし、
結構皆さん踊っていました。そして殆どは移動せずにその場で踊っていました。
殆どスウィングとサルサのステップを使って、時々くっついて体をくねらせていました。
そして又サルサとバチャータが3曲づつ交互に。
結構皆さんステップは知ってるようでした。
私がいる間タンゴがかからなかったのは残念でしたが、誘えそうな女性を探して1曲だけサルサを踊りました。
私と踊った女性は、ターンはそれ程反応できませんでしたが、腰がしっかり動いてラテンの雰囲気が充分に出ていました。
やはりラテンは腰が動かないとラテンにならないなとつくづく思いました。
1人中南米の男性(先生と思う)がいて、余分な力が入らず女性に合わせて無理なくリードしていて、
長年踊り込んでるという感じがよくわかり、私もこういう風に踊りたいものだと思いました。
サルサも踊れる人達はタンゴも踊れるのだろうかと見たかったのですが、タンゴが一曲もかからないままその場を出ました。
一般的に、サルサ、バチャータ、今流行ってあるキゾンバを踊っている人達はタンゴはやりませんが、逆もそうです。
JSDCの人達のようなアメリカンもサルサもタンゴもやる人達は中々いませんが、NYでは結構いました。
当然な事で、JSDCは私がやってきたNY のやり方を取り入れています。
続きます。
ヨシです。
ルドルフ・ヴァレンティノというサイレント映画時代の俳優をご存知でしょうか?
相当の美男子で31歳で亡くなったのですが、
「黙示録の四騎士」という映画の主役で
アルゼンチンの農夫の格好をしてタンゴを踊るのです。
社交ダンサーだったらしく俳優以前はダンスホールのダンサーとして働いていました。
この映画のタンゴシーンでアルゼンチンタンゴが世の中に出て来たとも言われています。
以前この俳優の伝記映画「バレンティノ」を見た事があります。
バレンティノを演じたのは、バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフ(パリ・オペラ座芸術監督)。
私もバレエ学校時代はバルニシコフ同様、ヌレエフのバレエもよく動画で観ていました。
この伝記映画の中でのタンゴシーンのバレンティノの相手は、
これも誰もが知ってるニジンスキー。ニジンスキー演じるのは、アンソニー・ダウエル(ロイヤルバレエ芸術監督)、他にも有名な女優も出ています。
バレエをよく知ってる人だったらビックリする人達の名前ばかりですよね。
さて20年ほど前、このバレンティノの伝記をミュージカルにしようと話しが持ち上がりました。
このミュージカル版バレンティノのプロデューサーの1人で、バレンティノの主役をやる俳優が、
私の先生であるピエール・デュレイン氏に振り付けを頼みました。
この主役の俳優とピエール先生は、ブロードウェイでミュージカル「グランドホテル」で一緒に出ていました。
このミュージカル「グランドホテル」でピエール先生とパートナーのイバン先生(JSDCは、初めこの先生に手伝って頂いておりました)は、このミュージカルでフレッドアステア賞を授与されてます。
それで余り振り付けが好きででないピエール先生は、頼まれた振り付けを何と私に回してくれたのです。
それでミュージカル「ヴァレンティノ」の、ペアダンスのシーンやタップダンスのシーンは私が振り付けをさせて頂きました。
勿論作る側はブロードウェイを目指して、ブロードウエィで公演できるようになったら私を日本から呼んでくれると言ってたのですが、
残念ながらそんな話は今まで全く聞いてません。
でも全ての話は繋がっていますよね。
こんにちは ヨシです。
1990年代、リンディホップのリバイバル全盛期でした。
あるCM(ソング)がきっかけで、スウィングに火がついたのです。
1920年代後半に、サボイボールルーム(in ハーレム)を中心に、
伝説のリンディホッパーであるフランキー・マニング氏を中心にリンディホップのダンスチームなどが活躍していました。
そこから下火になりましたが、郵便配達などやっていたマニング氏もリンディが90年代に復活して高齢者になってからスウィングダンス界で再び活躍するようになりました。
マニング氏のバースデーダンスはよく彼の年齢と同じ人数分の女性と続けて踊ることは有名な話でした。80人、90人とか。
マニング氏と私の関わりというと、NY在住中WSなどは受けていましたが、ある時私に知らない人から電話がかかって来て、
日本人のカップルでマニング氏の前で軽く踊ってほしい。
他の人も踊っているから大丈夫と言われまして軽い気持ちで引き受けた私は、
友達と一緒に一応軽く振り付けてナッシュビルまでスウィングの大会に行きました。
世界中から名だたるリンディホッパー達が来ていて、
ある時間、国や都市の出身地のアナウンスが入りながらマニング氏の前でカップル毎にダンスを披露していくことになり、
ひょっとしてここで呼ばれるのでは無いだろうねと友達と言っていると「ヨシーー&ーーーfrom Japan」「Oh my God‼︎」
何とか一応無難としか言えないダンスを披露して少ない拍手の後、
その当時から流行り出してきたウエストコーストスウィングから来たハリウッドスタイルのリンディホップを若いアメリカンのカップルが
踊った後の我々と全く違う大きな拍手を聞いた時はガックリとなりました。2000人くらい人はいたと思います。
スウィングミュージックとは切り離せないタップダンスについても同じような状況でした。
1930年代に活躍していた黒人ダンサー達の活躍する場が戻って来たのでした。
ブロードウェイミュージカルの「ブラック&ブルー」では私が習っていたタップの先生であるヘンリィ・リタング氏もリンディホップのマニング氏も振り付けに加わってトニー賞を貰いました。往年のフッファー(タップダンサー)達が勢ぞろい。
映画ではリチャード・ギア主演「コットンクラブ」サミーデイビス主演「タップ」、
どちらの映画も当時のタップダンサーの第1人者であるグレゴリー・ハイン氏が出演、これらの作品はどれも私のお気に入りでした。
この頃にグレゴリー・ハイン氏とセイビアン・グローバー氏主演、黒人中心の「ジェリーズラストジャム」、
そして白人中心の「クレージーフォーユー」のどちらもタップダンスが中心のブロードウェイミュージカルが上演されてました。
この頃私は黒人ダンサー達とよくタップをやっていて、「今年のトニー賞はどれ?」と話が出た時、
やはり黒人の友達は「ジェリーズラストジャム:」
私はこの友達の気持ちはわかりましたが、結果は今でも劇団四季が時々やっています。
私は、大抵の一流黒人ダンサーなら習いに行く、
世界的に有名なアルビンエイリー(モダン中心)とダンスシアターオブハーレム(バレエ)の2つのダンススクールに殆ど毎日6年間通いダンスの基本を身につけました。
一流の、ダンスにおいての大学、大学院に通ったようなものです。
タップダンスは別のスタジオに通っていました。どちらのダンスカンパニーにもできたら入りたいなとは思っていましたが、
私はペアダンスの世界に入るようになっていたんだなとよく思います。
日本では知られてるかどうかわかりませんが、アメリカ人のバディシュイマー氏も知ってて貰いたい存在です。
ウエストコーストスウィングダンサーですが、ナイトクラブトゥステップを作った人ですし、
氏の家族皆がスウィングダンサーとして有名です。
私はこの人のWSで普通のクラスでは習わない2歩のスウィングを覚えました。
いつから始まったのかわかりませんが、NYでは夏になるとリンカーンセンターの広場で
「ミッドナイトサマーフェスティバル」というイベントが毎年行われます。
バンド用のステージとダンスフロアが作られて8月の1ヶ月間毎日、
違うバンドとNYの メジャーなペアダンススタジオのレッスンがあります。
私はピエール・ドュレインダンスクラブの講師もしていましたから何度かアシスタントとして行った事があります。
土日は、やはり人気のあるスウィングかサルサの日です。 ダンスフロアに入れない人は皆周りを囲むように生バンドの演奏で踊っていました。 こんなイベントを日本でやりたいと時々思います。
写真のDVDの私のこの時のアシスタントは、2017年アルゼンチンタンゴのアジアチャンピオンの清水みきさんです。
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こんにちは、ヨシ矢野です。今回は台湾、滞在したのは台北。
ネットで面白そうな所を見つけたので行くことに。 ダンスホールの名前は「新世界舞場」 。
店で買った高梁酒をホテルで軽くひっかけてほろ酔い気分で出かけました。
地下鉄MRTで西門駅で降り、話しかけた何人もの中の1人、年配の女性が日本語で話し連れてってくれました。
「あなた本当にこんな怖い所にいくの?」「え〜」私は何も言えませんでした。
行ってみると、入り口にただ古いエレベーターがあるだけで、数件ね飲食店などが入っている何でもないビル。
5.6.7階は教会、9階に上がり、入り口で70元(約¥225)払い、全くダンスホールの雰囲気もないドア。まるでレストランのキッチンドアの様なドアを開け
ると、何と立派なダンスフロアが見えました。
部屋は暗く、天井はキラキラと星が輝いていました。12✖︎14mくらいの立派なウッドフロアのダンスフロアの中央には大きなミラーボール。
不思議な雰囲気で、日本の社交ダンサーだったら踊ってる人を見て「何これ?」と言ってすぐに帰るような所。
月曜夜6時半頃、客は5人。席は300人は座れるような大きなラウンジでソファ風の椅子とテーブルがぎっしりありました。
ダンスフロアに近い所に座ると、ウエイターがビニール袋に入ったおしぼり入り紙コップとやかんを持ってきました。
やかんの中身はお茶かと思いきや何とお湯でした。
フロアを見ますと、2カップルがスローミュージックで、アルタンみたいなチークにしては動きに一定のパターンがあるような、ちょっとわからないダンス。
女性の両手は男性の両肩の上。男性の両手は相手の腕と背中。顔はアルタンのように頰をくっつけている様子。
次はクラブミュージックで、チャチャ風?次はハッスル風?スウィング風?次にワルツ、。
1人で踊っているTシャツとジャージのおじさん。でもダンスシューズはちゃんと履いています。
音楽は全て台湾ミュージック。西洋の音楽は全くかかっていません。
せっかくここまで来たのだから、兎に角、何でも踊ってみようと1人の女性を誘ってスウィングで踊ってみました。
女性は、ロックのステップの代わりにタッチ。だからと言って、ついてこれない事ははありません。
キックステップ以外は殆ど私のリードに合わせてくれた。 ヒップバンプをやると凄く面白がっていました。
二人目、フォックストロットを入門ステップから少しずつ中級レベルまで上げて、 倒したりロールインアウトまで
、その方が出来るのではと思うステップを沢山試しましたが、殆ど私に付いて来ます。
この女性何処までダンスをやってるのか分かりませんが、踊っていて余り違和感がありませんし、他の女性のリードをしていたことも自然に感じました。
そしてもう1人誘った後、ヤカンのお湯を飲みながら後ろを見ると、先程踊った3人の女性達は全然別々に座っていました。
友達ではないのか?踊っている時には3人に話しかけられましたが、中国語だからさっぱり分からず、英語で言っても相手は全くわからない様子。
その後、1人がリードして交代に2人の女性と踊っていて、3人とも年齢不詳、ギャルの装い、シューズは外履きで全くダンスをする格好ではありません。
ここはどんなダンスホール?もう充分と思い、夜市へ向かいました。
中国は早朝に太極拳と同じようにダンスも盛ん。翌朝近くの大きな公園に足を運びました。「お〜やってる、やってる」音楽は台湾音楽ですが西洋風。
よく見ると太極拳、他も又太極拳、次は体操。残念ながらダンスは見れず。
夜、ダンスショップを見て情報を手に入れようとしましたが、ショップが見つからず、クタクタになって他のダンスホールへ。
120元と昨日のホールよりは高いが中は変わらず、何組かカップルで来ていて踊っているのはインターナショナルスタイル。
服装も社交ダンス風。日本と変わらないのでちょっと見学だけさせてもらって、お金は払わず引き上げました。
好奇心旺盛な私には、期待はずれだろと疲れようと、今までと違う事に触れるのは大変よい経験になり楽しかったです。
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皆さんこんにちは、ヨシ矢野です。
アメリカンペアダンス協会への取材協力依頼があり、先日TV番組制作サポートをしました。
撮影現場は横浜クリフサイド、ダンスシーンでのサポートです。
ワーナーブラザーズ25周年記念番組で日本ではWOWWOWで放送予定、番組名は、現段階では公開NGとなってます。
ここでは、1950年代の設定でダンスホールで生のJAZZバンドで踊るシーンがあり、そこを私が担当させて頂きました。
撮影は殆ど丸1日がかりでした。
ダンスとしては、ワルツとスウィングを基本的に、トリックやディップも。
多くの米兵役の外国人男性や日本の役者さんやエキストラの方々が大勢集まりました。
私もニューヨークに住んでいた頃、出演者としてTVや映画の仕事を行い、俳優の組合にも入っていました。
ダンサーや役者やエキストラとしてかなりの撮影現場に立ち会いましたので、その頃を思い出したりしました。
さて、ここクリフサイドは1946年から続いている有名なダンスホールです。
以前はかなり盛り上がっていた高級なダンスホールだったようです。
何日か前にクリフサイドの話をしたら、生徒さんの何人かはよく行っていたと話していらっしゃいました。
今ではレトロな感じで撮影でよく使われる場所です。
私も以前パーティ会場候補の1つしてここを見学に来たことがあります。
素敵な雰囲気があります。
JSDCとしては、皆さんに少しでも楽しんで頂けるようパーティ会場をいつも探しております。
どなたか何処かご存知の場所があればご連絡して頂くとあり難いです。
宜しくお願い致します!
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(スケジュールの都合上、出られない場合があります。ご了承ください)