菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

常滑 2

2015年11月06日 | 菅井滋円 作品集


常滑 2
八十歳になったらバイクを卒業しとうと思っていた だが半年前倒しにして早々と卒業した。
当初は自転車に乗ろうか・・・?  などと考えていたのだが それも止そうとも思いだした。
買い物の帰り道 交差点にさしかかった 向かいの信号を待っている人がいる 町内のK氏である 信号が変わる それを合図に交差点の中央で会釈を交わした K氏はニコヤカニ手を上げる 言葉を交した 背後で何か音がした 振り返るとK氏が押していた自転車とともに倒れていた 急いで起こしに駆けよった 若い人と接触した模様である。

彼はわたしより4~5歳年上であり八十半ばであろう  これからわたしの入って行くゾーンの人である。

自らバイクを放棄したのは正解であったが 自転車を買うことについては ちょっと考えさせられた。





常滑 1

2015年11月06日 | 菅井滋円 作品集


常滑 1
わが家の前に常滑の水瓶が置かれている 室町時代のものだときいているが 大きく口が欠け落ちている。
水瓶の幅は両手を軽く広げたくらいで 高さはベルトまではない 水瓶は縦に割れ目が入っており 少し水が漏れる 土の重さに耐えきれず出来たヤマ傷である 愛して止まないモノだ。
惚れてしまえば アバタもエクボと云う言葉がある ビーナスの手が欠落しているのとよく似ているからだ。  欠け落ちた水瓶の残余は 何処へ行ったのだろう。
戦時中にバケツで水を汲みだすために 口を叩き壊し 用水として爆弾投下に備えていたと云う話である だから用あって口を砕いたのである。

その瓶にメダカを飼いだして 十年くらいになる  メダカには心地よい住処であり 長年 子々孫々 春には水草に金色の卵を生みつけ コドモを残してきた これより少し小さな瓶が2個半(半はちょっと小さい)コドモ養育用のモノ併せて4個となる。

この秋も「苹展」を友人達が開き わたしにもお声がかゝり ゲストで「かぼちゃ」(4F)を出品した 胴体がくびれた鹿ケ谷南瓜である。
展覧会にはわたしの友人も多く駆けつけてくれた ご来場頂いた全ての方々に 心より感謝申し上げたい。

わたしにとって 制作の前にきまってする作法がある それはエチュードとデッサンである 手の内のカードを示すことであるから 通常見せないが 若い日にヘンリー・ムーアのデッサンを見て感動したことが思い起こされ これはこれも面白いものである。

紙の質 大きさ 色等・・・デッサンもエチュードもその人を示す大切なこころの表示であり 積み上げられたデッサンのヤマは 精神の軌跡のヤマであると思っている それらのモノを開陳したのをブログに掲載したいと思っている。

ご高覧頂ければ幸甚である。