菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

菅井滋円展 3ー形象の孤独ー

2016年02月13日 | 菅井滋円 作品集
 菅井滋円展 3
――形象の孤独――







展覧会を終えてこんなことを考えていた。
現代絵画についてだが 人類が絵を描き出して2~3万年経つのだろうか・・?  現代絵画とは絵画の厚い歴史の層の最後の一枚であるのだが・・・・・・現代絵画はその一枚であり 薄い地層の一枚の革(かわ)のように見えてだしてきた。

わたしの内側で拡がる絵画の野原で 「イマ」と云うトキの存在が意識を決定した そして「絵」を造り出していた しらずしらずに画風は重厚な画面になった それがこの度の展覧会である。

自身のことを省みると わたくしも亦 現代絵画に類する仕事をした時期も長くあったが それは結局身につかず いまは過去のモノとなっていた。

現代絵画と類する仕事から別れを告げた 自分は自分でしかない だがかけがえのない一人の自分であると自覚したからである。

帰宅後進捗出来なかった 分厚い板のエンコラティク(蝋を用いる絵)の未完成の一枚を 描き次ぎたいと思い出したのは収穫であった。

柏野のアトリエで描いた油彩を 展示したものより 2点の伏見人形をご高覧いただこう。




菅井滋円展 3ー形象の孤独ー

2016年02月13日 | 菅井滋円 作品集
 菅井滋円展 3
――形象の孤独――

展覧会を終えてこんなことを考えていた。
現代絵画についてだが 人類が絵を描き出して2~3万年経つのだろうか・・?  現代絵画とは絵画の厚い歴史の層の最後の一枚であるのだが・・・・・・現代絵画はその一枚であり 薄い地層の一枚の革(かわ)のように見えてだしてきた。

わたしの内側で拡がる絵画の野原で 「イマ」と云うトキの存在が意識を決定した そして「絵」を造り出していた しらずしらずに画風は重厚な画面になった それがこの度の展覧会である。

自身のことを省みると わたくしも亦 現代絵画に類する仕事をした時期も長くあったが それは結局身につかず いまは過去のモノとなっていた。

現代絵画と類する仕事から別れを告げた 自分は自分でしかない だがかけがえのない一人の自分であると自覚したからである。

帰宅後進捗出来なかった 分厚い板のエンコラティク(蝋を用いる絵)の未完成の一枚を 描き次ぎたいと思い出したのは収穫であった。

柏野のアトリエで描いた油彩を 展示したものより 2点の伏見人形をご高覧いただこう。