作品 2
前回同様公開していない 平素ひとりで自らのために描いた絵である。
引っ越しの度ごと かなりの作品を破棄したが たまたま残ったので 長期に亘りよく残ったものだと思う まことに不思議で むしろ結果として足跡が残ったのだろう。
いまでは自分の過去を語る足跡となった 何を求めて描き次いで来たのかがよく分かる それは「カタチ」である。
「カタチ」はわがライフ・ワークであった ながいテーマとなった 「カタチ」はイメージという航跡を残して これから危険な絵を成立させる わたしの精神の根であり 幹であり 枝を伸べ 葉をつけた そしてイメージの花を開ける。
ときにはさまざま ときには危ないことも これまでの道筋を語ろうとするものである。
数多の作品の中より たまたまわたしの手元に残ったものから選んでみた。
この度は人物を描いたもので 西陣のMさんの工場に十数年 またその後花園春日町で畑から糞尿の臭気のするアパートに移りアトリエにしていた時期も長い。
この頃を省みて懐かしく 愚かしく コワイもの知らずのわが面映ゆく 眩しい若僧の記憶であった 展示するのも 些かの決断を要した。
ご高覧下さい。
前回同様公開していない 平素ひとりで自らのために描いた絵である。
引っ越しの度ごと かなりの作品を破棄したが たまたま残ったので 長期に亘りよく残ったものだと思う まことに不思議で むしろ結果として足跡が残ったのだろう。
いまでは自分の過去を語る足跡となった 何を求めて描き次いで来たのかがよく分かる それは「カタチ」である。
「カタチ」はわがライフ・ワークであった ながいテーマとなった 「カタチ」はイメージという航跡を残して これから危険な絵を成立させる わたしの精神の根であり 幹であり 枝を伸べ 葉をつけた そしてイメージの花を開ける。
ときにはさまざま ときには危ないことも これまでの道筋を語ろうとするものである。
数多の作品の中より たまたまわたしの手元に残ったものから選んでみた。
この度は人物を描いたもので 西陣のMさんの工場に十数年 またその後花園春日町で畑から糞尿の臭気のするアパートに移りアトリエにしていた時期も長い。
この頃を省みて懐かしく 愚かしく コワイもの知らずのわが面映ゆく 眩しい若僧の記憶であった 展示するのも 些かの決断を要した。
ご高覧下さい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます