菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

柏野 1

2016年03月11日 | 菅井滋円 作品集
柏野 1
毎日バイクで通っていた 柏野のアトリエはいまでは行ってなない 年齢を考えると ここらが矛(ほこ)を収めるトキであろうと思い 節度を持って警察へ免許返還した 足を奪われたため行きにくくなった。
現実は入退院のため制作は完全に止まった いま行方を見失ってしまったのだ 繁忙な病院との付き合いに疲れたのだろう。

前回の個展はお病院のベッド上での決断であった がその作品は多くは柏野のアトリエで描いたものであった。
病になって20年 病院のベッドうえはもう沢山だと考えている  しかし外の選択枝はないのである。

憂欝は拭いようがなく積み上げられている 以前は自分にご褒美としてCDを自らに買ってやったこともあり 病院の帰途御馳走を自らに与えたこともある 嫌なことを誤魔化していた それにも通じにくいところまで来ていた。
本も買い持ちこんで若い日に繁忙で読めなかった本読んだが これも亦大体終わった。
いやな いやな峠に差し懸った これを越えて行かねばならない。

あなたの目の前で無心で草を食む動物の群れを見るがよい昨日がなにであるか 今日がなにであるかは知らない。

ニーチェの言葉だが わたしは老いてそして昨日を語る わたしにとっての 問題は柏野のアトリエもその一つなのだ わたしの憂欝は「老いる」こと「やまい」この二つは避けられない 多くはこの二つをバネに描いて来た 頻繁な入退院がそのバネを奪いつつある。
憂欝の持つ版図の領域は大きい。

このような思いで亀岡のH医師を受診した。





                                  雪の金沢

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