菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

柏野 3

2016年04月08日 | 菅井滋円 作品集
柏野3
その後法務局から連絡があり 測量の人が来られた そして測量にわたしも立ち会った そのさい思いついたことだが アトリエをこれからどうしようか・・・さまざま考えを回らせた。
問題はアトリエのことよりも 残された作品の山のことである 生きる出あろうその間の問題であり 過去に描きだし長時間に亘って描き切れていない 多くの作品のことである 結果として夥しい途上の宿題が待っているが いずれしても整理だけはしなければならない。
わたしに与えられた時の狭間で 自らへの問いかけでありまことに悩ましい。
それにくわえてオペを前にして避けることができないのは 入院まで空白のトキがイヤなのだ。
そのことがわたしを苦しめていた 目の前の時間をどうかして消してゆけないかと思っていた。
どうにもならないことは十分承知していながら そのトキを消しゴムで消し去りたい それには旅に出ようと思い出していた。
何処へ向かうのか 穏やかな景色はわたしには似会はない。
北へいこう 知らない町へ厳しい風景を求めていた・・・・わたしは敦賀に行こうと思いだしていた。

京都駅から快速がある 敦賀~京都間は1時間あまりで着く そして準備もせず敦賀への切符を手にしていた。
湖西線はたちまち敦賀に着いた そして駅頭で立ち喰い蕎麦をたべ タクシー気比の松原へと行った タクシーをまたし気比の松原に立つ たしか・・・?この松原は・・・長谷川等伯は「松」を描いた・・のだったかと思いだした等伯の八曲二双の屏風「松図」・・・背景の朦朧とした墨の用い方は砂原の・・・そして湾内の海辺が・・実景は対岸のブルーグレーの淡い色・・・思索の旅となった。
タクシーはそして気比神社へと 二礼二拍手し参拝を終えた ここへは松尾芭蕉も参拝して芭蕉の月を詠んだ句が銅版。  境内の参拝者は幾組かの老人がいたが 気比神社の絵馬堂は誰も訪れる人は誰もいないが 絵馬堂にある絵馬の扁額があり江戸時代武将の図 日露戦争の戦勝を語るもの さまざまがあり その立派な幅広い板が用いられている そしてこびり付いた胡粉の執念のような 僅かに残る顔料には感銘を深くした。

国宝になっている鳥居。  街を彷徨った  街はことごとくシャッター街となっていた  たまたま街中の立ち寄った喫茶店に近隣の人たちが集まっていた。
店主は彫刻を楽しむ人であった 孤客は未知の街の人々と語りあった。






                                   気比神社絵馬堂の絵馬

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