柏野 4
わたくしの入った部屋は 前の7階の一室の隣の6人部屋で 病院は加茂川の西岸にあり この部屋から東山36峯が全て見えた 窓外は鮮やかな鳶の飛行術が見られた。
この度も亦いつものような何回も受けたオペと同じであった。 やがてその日もキャスターに乗せられて手術室へと・・・
退院3日柏野のアトリエへ通いだしていた かつて絵を描いていたまま 手の付けられない状態である過ぎ去った日が そのまま時間が止まっていた。
兎に角整理には長時間必要だと思はれた 絵の具 筆 モチーフの雑器などを家の方へ持ち帰り ゴミを捨てに通った コドモが賽ノ河原で石を積み上げ その石を鬼が壊す また積み上げる 果のない作業のように思はれた。
これは長期戦だ もう一度戦術を組み換える必要がある本棚 水屋などを含めやり直そうと思い出した。
退院から10日 F氏の車でK女史と三人で亀岡の公孫樹を見に行こうと話していたが 生憎予報では下り坂で 雨が気使はれた 途上予想に反して陽が斜めから射しており 車は七条を東に向かった そこで国道24号線を南へ南山城の蟹満寺へと向かうことにした そして恭仁京へ向かった。
道路標識に知らない寺の名前があり 曹洞宗地蔵禅院・・咄嗟にそちらへ向かった。
寺は山の中腹にあり 樹齢300年と云うしだれ桜 眺望はおそらく三重県の山並みであろうと思う遥かに望まれた 寺の縁を書かれているモノによると 創建は奈良時代の古いものだという。
草刈り機で老人が草を刈っていた。
奥さまと思える女性が その寺の由来を語った わたしは
「この辺りは橘諸兄さんの地所ですか・・・」
「そうです 橘諸兄公がおいでになった所です」
そのおくさんに挨拶をして別れた。
その曹洞宗地蔵院の脇にものすごい階段 鞍馬寺の階段を思わられたが 病後のトレーニングと登った石鳥居があり玉津岡神社 息を吞むような能舞台 碩学の白数正子さんでも見ていないだろう拝殿を裏の緑の背景の鎮座していた。
誰も居ない森閑とした威厳 わたしは鶴と松の蟇又(かえるまた)をスケッチした。
われわれは山を下り 橘諸兄顕彰碑 蟹満寺 木津川の流れ恭仁京でスケッチをした 予報に少し遅れたが 雨が降り出し帰途に着いた。
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